【Look back at that day 12】
絵を描くことは嫌いではない。いや、どちらかと言えば積極的に好きと言える。残念ながら今は書く機会がない。機会など作ればよいのだが何かきっかけが必要なのだろう。
父は器用で職人気質の人だった。公務員ではあったが私が幼いころに覚えている霧のかなたの記憶ではトラックに乗っていた。そのトラックでデパートに行ったこと、母親が不機嫌だったことを覚えている。母の話では友人と事業を起こしすぐに失敗して倒産した らしい。父の口から真実を聞いたことはない。
私は父に似たのだろう。学校の絵や工作の宿題、課題は楽しみであり色々な意味で工夫と気合を込めていた。それなりに評価もされたはず。対して姉はそのあたりがからっきしで、それらの課題は全て父の手に委ねられた。父ももしかしたら私と同じでそれらの課題に対しひそかに燃えていたのかもしれない。毎回出来上がる作品が笑ってしまうくらいすごく、子供ながらに「絶対にばれてるよな。」と心の中で苦笑していた。母親は姉を所謂、私立のお嬢様学校に入れようと必死だった。当然、学校の成績ごときでミソをつけるわけには行かなかったのである。結局、姉は頑張って第一志望の○○女学院に入学した。その後の人生を見てもそれは正解だったのだろう。
Look back at したいのは姉と一緒に通っていた絵画教室の事。姉は中学入試の前にはさっさとその教室を止めてしまった。べつにショックでもないし当然の選択だろう。幼稚園から高校生通う町の絵画教室であった。そこに私の憧れの女性がいたのである。
低学年の頃は、全く意識(存在も知らないくらい)しなかったが高学年になり、彼女が高校に入学したあたりで私は初めて彼女の美しさに気づいたのである。本当に美人だったなぁ。今にして思えば名字の漢字に〇が入っていたので中華系の血を引いたお家だったのかもしれない。
美人の形容の一つに「アーモンド形の瞳」があるが、まさにそれであり、色は白く手足はすらっと。一緒の空間にいるだけでときめいた。
何がきっかけかは覚えていないが、急に会話をするようになった。彼女にとっては小学生相手の他愛もない話だったのだろうが、小学6年生が高校1年生と会話するというのは色々な意味で夢のような話である。彼女は当時人気だったアニメのサブキャラクターが好きでその話を良くしてくれた。テレビを見せてもらえない私はひたすら相づちを打ちながら、話が途切れぬようひたすら心の中で祈っていた。
帰りは多分18時ごろだったか。夏はまだまだ明るい時間だが冬はそれなりに暗くなり彼女と一緒に帰る機会が増えた。初めて付き合った彼女と初めて一緒に帰るときめきなど比べものにならないくらい、それこそ気が狂うほど幸せだった。
小学生には恋心は有っても、それを表現するという発想はなかった。
あの時、この気持ちを伝えていたら何か今の自分に変化は有ったのだろう。
何十年か経過して東京に帰った際に、思い切って母親に彼女の話を振ってみた。どうせ知らないと返事があるだろうと思ったからだ。母からの返事は意外だった。
ああ、あの綺麗な○○さん、いつかは知らないけど精神的に少しおかしくなって今でも一人、ご自宅にいるらしいわよ。
あいまいにうなずきながら彼女の美しかった当時を思い出した。そして東京に滞在して数日後、環状〇〇の歩道で彼女とすれ違った。美しさは残っていたが表情には壊れた人特有の何かが張り付いていた。勿論、私の事など気づく由もない。(私の外観が変わりすぎたからだと思いたいが。)
美人薄命 彼女は自分の世界の中で生きていた。それが分かったのはすれ違った際に、ひたすら誰かに話しかけていたからだ。その世界には誰がいるのですか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?