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【Look back at that day7】

幽霊いや霊魂、魂とはこの世に存在するのだろうか。

私は基本的には否定派である。一時期、人間のの脳に興味を持ち本を読み漁った結論だ。人は見たいものを脳内で作り出し、それを自身に見せる。見せるというよりは感じさせるというべきなのか。

だが一つだけ私には例外がある。反例というべきか。あまりにも鮮明で打ち消すことができないのだ。

子供のころ祖母と同居していた。同居というより我々家族が祖母の家に同居させてもらっていたという方が正しいのかもしれない。高級住宅街の一角に多分200坪位は有ったのだろう。木造の平屋で映画に出てくる○○家の一族が住んでいたようなそんな雰囲気であった。

 祖母と母、および父の関係は未だに謎な部分が多く母が養女に来て父が婿養子に来た、という事実だけは知っている。経緯は謎過ぎるので誰にも聞いてはいない。

 そんな祖母だけにまさに家長である。子供ながらに「偉そう」な雰囲気は感じ取っていた。父、母に対しては吝嗇であったらしいが、私は良く小遣いをもらっていた。ただ、今にして思えば硬貨ばかりだったが。

 その祖母がほぼ寝たきりになった。きっかけは定かでないが、庭の池に落ちたことが記憶の中に鮮明に残っている。まさか池に落ちたから寝たきりになるはずなどないのだが。気の強い祖母であったが最終的には下の世話も父、母にしてもらわざるを得なかったようだ。何かの拍子に普段そんなことを言わない父が子供の私に向かって「実の親でないから苦にはならない。」と言ったことがある。本心か自身への言い訳か尋ねる相手がいなくなった今は知る由もない。

 当時、自宅で最期を迎えることは割と普通だったように思う。祖母もそうであった。

 ある晩、自分の部屋で寝ているとき(母屋と3メートルほどの渡り廊下でつながった子供部屋が有った)、子供の私にとっては真夜中(本当の時間は皆目見当もつかない)、ガタリという大きな音で目が覚めた。祖母の部屋の隣が仏間になっていて祖父、そして祖母の実子の遺影が飾られていたのだが、それが落ちたのだろうと瞬時に思った。なんの恐怖もなく遺影のガラスが割れていなければいいのに、くらいしか考えず、再び眠りについたのである。

 翌朝、起きた瞬間、家の中が一種異様な雰囲気であることに気づいた。祖母が無くなっていたのだ。母の顔には表情がなくおばあちゃんが死んだと私に告げた。死んだ人間、正に死体を見たのはもちろん初めてである。ただ生気を失った肉体は物になってしまうのだ。人間に対しては何らかの感慨がわくのだが物体に対しては。

 異常な状況に興奮したのか、昨晩聞いた物音について私は父と母に話をした。「おばあちゃんが、○○には知らせたのね。」と母は言い、父は無言だった。

 でも、私には自信がなかった、最後に知らせたくなるほど祖母に愛されていたとは思えなかったし、そんな資格があるとも思えない。疑問だけが残り考えれば考えるほど分からなくなり、しまいには(なんで僕にだけしらせたんだ。)と軽く死んだ祖母を恨んだものだ。

 あの時聞いた音は私の中では事実として今でも残っている。祖母のメッセージとしてではなく音として。でももしあれがメッセージだとしたら私はそれを受け取り損ねているのだ。もしあの時、あの音を聞いていなければ今頃、幽霊を信じあの世を信じていたのかもしれない。

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