青春私小説「後ろ姿の女神」
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それは、高校2年生の始めだった。
その頃の僕はと言えば、ライトノベルを読み、ゲームをやり、音楽を聴き、
だらだらと過ごしながら、部活を面倒くさげにやるだけの、全くやる気の無い高校生だった。
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その割に、部活が武道系だったこと、
聴いている音楽が、皆坊主にヒゲ、
レザージャケットにゴ-ルドチェーン。
といった部類のものだったため、
自分も、5厘刈り(たまにスキンヘッド)に
ブレザーのズボンを腰穿きという、見るからに
「無理してる高校生」
そのものの見た目で、親友二人といつも
90sヒップホップの名盤やNYサウンドの渋さ、
DJプレミアのトラックについてや、レアな廃盤についてとか、有名なトラックの元ネタなどについて等ばかり話していた。
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僕は、中学の時に、
割と激しいイジメにあっており、同級生と保健体育の時間に「心気症」について学んだ際、
『これ梶本じゃん』
と言われるくらいには、精神が不安定で、
かなり挙動不審な生徒だったと思う。
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1年生の時のクラスメイトで、
前の席に座っていた、
『美木さん』
と言う女性を、
崇拝・片思い・スト-キングしていた僕は、
決死の思いで手に入れた彼女の
メ-ルアドレスへと、日々、
メールを送り続けていた。
僕の生活は、彼女からの返信の
『ふ-ん。』や、
『へ-。』、
『あなたって、まっしろ!』
という言葉に一喜一憂する日々だった。
進級し彼女とクラスが変わってからの僕は、
『美木さん』を狙う他の男子生徒たちへの嫉妬に、気が狂っていた。
『美木さん』は、
「学年一の才女」で
「肌が雪よりも青白く」て
「髪は色素が薄く」て
「驚くほど痩せっぽち」で
眼がめちゃくちゃ…「細い」。
そして「銀縁の眼鏡をかけてる」。
だから、
それを好きになる男子生徒っていうのは、
おのずと、
「オタク系の漫画とかゲームが好きな奴」
で、その中でも、そういう
「華奢」で
「眼鏡で色白」
が好きな…マニアックな
「王道好きでは無い奴」
に限られる。
そいつらへの敵対心で僕は、毎日毎日、
気が気では無かった。
それは同族嫌悪と、歪んだ独占欲だった。
僕の心は『美木さん』で、
過剰に、過剰に、
埋め尽くされていた。
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そんな日々の、新学期で、
僕はある女子生徒と、隣の席になった。
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彼女の名前は、
『江元さん』。
江元さんは、
肌が陶磁器のように白くて、
髪の色素が薄いのは『美木さん』に似てる。
ただ、彼女は、少し、ニキビの多い肌質で、
まるめの顔つきだった。
『美木さん』が
「白い折り紙で作った折り鶴」なら
江元さんは
「ふっくらしたお餅」のような感じに、見えた。
江元さんは、よく僕に話し掛けてくれた。
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江元さんはほわほわと優しくて、
ちょっとぼけぼけした喋り方をする。
『梶本くん、「ハチミツとグローバル」読んだ?』
『読んだよ』
『めちゃくちゃ感動した。』
『だよね、私もう泣いちゃった!
「フルーツマスカット」も好きなの。』
『それ読んだ事ないなあ。読んでみるよ。』
『貸すよ…』
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江元さんは、よく自分の方を見ていた気がする。
でも、容姿でいじめられて
自分の外見に卑屈なコンプレックスと
歪んだプライドを持っていた僕は、
「見られてる気がする」
で、意識が止まっていた。
何より、美木さんを熱心に崇拝していた僕には、
江元さんは、話し掛けてきてくれる女子生徒、
以上の存在では、
あり得無かったのだ。
僕はそれまで、異性…
女性とまともな会話をした事が一度も無く、
中学生の時、憧れていたギャルが
イジメられている僕を
差別せずに話し掛けてくれた際の
『あんたとは、3年クラス一緒だったね。』
『まあ、だから何、って訳でも無いんだけどさ。』
ぐらいがせいぜいの、胸に秘めたる
華やかな記憶であり
女性と話す際はまず
汗がビシャビシャに出始め
言葉は敬語になり
眼を合わせれず
面白いことも言えない、という、
完全な女性恐怖症なのだった。
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中学時代のいじめが女子中心であったのも、
それに深く関係していた。
その女性恐怖症のせいで、一年生の時、
『美木さん』とメールで
漫画を貸し合うと決まった際も、
全く話をするでもなく、そっけなく
書店の紺色の袋に入れたギャグ漫画を
「30秒ほど」
で受け渡すぐらいしか、僕には出来なかった。
美木さんは、そんな奥手な僕を、
とても男としては見ていないどころか、
褒めてくれる信者、ぐらいにしか
思っていなかったかもしれない。
その歪んだ関係すら、僕のやはり歪んだ
メンタリティが
産み出した状況であったのも、また事実だし、
それがその歳相応の情けない有り様だった
といえば、
それもまた事実だったのかもしれない。
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何よりも、僕は、『美木さん』を、
ずっと、いやらしい眼でしか見ていなかった。
その白い肌。
細い眼。
眼鏡。
細過ぎる脚。
僕にとって彼女は、女神。神、だった。
全て彼女が決めていた。
僕の1日の出来、不出来を。
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だから、江元さんと、
2年生の夏の文化祭の出し物…
「巨大迷路」製作でたびたび会話する中でも、
僕の頭には、常に
『美木さん』がちらついている有り様だった。
とはいえ、江元さんとのメールは、
いつも、心の話をしていた。
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『あの漫画の登場人物は、あのシーンでどう思ったのか。』
『あのキャラクターはとても優しい。』
『自分はこういう時、こう感じる。』
『僕なんてゴミだから。』
『梶本くんは、とても優しいわ。』
『僕は死にたい。』
『わたしが、
励ますから。』
江元さんは、とても心理通で、
まちがいなく精神病質であった僕を、
いつも励ましてくれた。
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文化祭前。
『クラスでがんばろうね。』
『うん。』
『鐘本くんは、文化祭、誰か友達来るの?』
『来ないよ。中学校にそんな友達居ないから。』
『そうなの?ごめんね。
私は、お姉ちゃんが来るの。
来たら、紹介するね。』
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文化祭は、皆の団結もあって、
非常に盛り上がった。
どのクラスより盛り上がったかもしれない。
迷路はお客さんだらけで、
僕は、とても嬉しかった。
皆が皆のままで、笑っていた気がする。
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江元さんとのメールは続いていた。
江元さんは、実際に話す時はぼんやり、
ほんわかしているのだが、
メールでの会話では非常に鋭敏で、
とても明晰かつ善良な内面を持った女性だった。
人間の心に強い興味と分析を持っており、
いわば、僕という精神病者は、
彼女というカウンセラーに、
カウンセリングを
受けているようなものだったのかもしれない。
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僕自身、
生い立ちに関係する幾つかの要因、
先天的な要因、後天的な要因、
そして、「17歳である」という、
最も暴力的で残酷な要因によって、
精神を病みきっていた。
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僕はそんな自分自身の歪んだ精神世界を
裸でユラユラと滑空しては、
上がっては下がり、墜落し、射精し、
自殺しようとしていたのだった。
その中で、僕は、精神分析学と心理学に
強い興味を持ち、よく関係書物を読んでいた。
時はまさに90年代オカルト、ユング、フロイト、
カルト的アニメ、新興宗教、猟奇殺人、都市伝説…
そんな時代精神を引き摺っていた時代であり、
僕はそれらの空気を、
同時代のどの同級生よりも鋭敏に、
そして毛穴から毒素が煙になって
吹き上がるほどに
強く吸い込んでいた。
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江元さんとは、そういった
内的世界への掘り下げという部分で、
どこか似通った所があったのかもしれない。
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夏のある日、二人で、
新宿の書店に行く事になった。
『二人で、新宿の絹喰屋書店行こうよ。』
そう自分から誘ったような記憶がある。
それは、彼女からの好意…のようなもの、を、
自分勝手に解釈して、格好つけて…
『俺を好いてくれてる女がいる』
みたいな、尊大な気持ちで…
『じゃあデートに誘うか』ってな具合で…
誘った、最低の気持ちから始まる、
イベントだった。
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新宿の南口。
昼に待ち合わせた僕達は、
人混みの中で、
お互いをすぐには見付けられずに、右往左往した。
二人でお互いを見付けた時、
僕は、
何故か、
ドキドキした気がする。
南口から道路に降りて、二人で書店を目指す。
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僕の服装は、坊主頭で薄黄色の半袖シャツに
無地の白T、
八王子のヒップホップショップで買った、
フェイクのジルコニアのドッグタグに
ダボダボの短パン。調子に乗って、
やはりフェイクのピアス。
人生初デートだったので、
大変無理をした。
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江元さんの格好は、
甘ロリ…とでも言うのだろうか。
ピンクのゴスロリ風のドレスに、
カチュ-シャ。
今思うと、
二人とも死ぬ程内気な癖に、
滅茶苦茶個性的な格好で、
デートをしていた。
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二人で書店一階の漫画コ-ナ-に入ると、
お互いにおすすめを語り合う。
『あっ!これ、お姉ちゃんが好きなの。』
『これ、友達と読んでいるわ』
『俺これ好き。深いんだよね』
『これおすすめ。
なんてゆ-の…人間の、
本当の部分が、
書いてある感じ。』
自意識過剰かつ、陰気な餓鬼だった僕は
おどろおどろしい漫画を、
通ぶって解説した気がする。
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江元さんは、その明晰な精神性と
純粋さのままに、ピュアな漫画を好んだが
そのチョイスの隙間から、
その純粋さが故に
直面せざるを得なかったであろう、
人間の黒い部分を感じるような。
単純な少女性に留まらない…
だからゴスロリなのかな、っていう、
漫画を選んでいたような記憶がある。
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二人で選んだ漫画を数冊、買うと、
2階のベンチで、隣り合って座りながら、
それを、読む。
楽しかったが、僕は、
『美木さん』の事もあり、
どこか、覚めていた。
そして、二人共、恐ろしくシャイで
メールでは、
心の底の面が繋がったような会話をしているのに
現実では、
二人きりでベンチに座ったって。
ボンヤリとした会話しか出来ないのだった。
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帰り道、新宿のゲームセンターで、
プリクラを二枚、撮って帰った。
後で気付いたが、
プリクラの中の彼女は、
満面の笑みをほころばせていた。
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冬。
クラスはとても平和で、
受験の学年である3年生が
近付いては来ているものの、
皆、恋の鞘当てや、
ふざけた会話を楽しむばかりで、
毎日、
ゆるゆると時間が過ぎて行った。
僕は部活の大会やら、
その頃友達に紹介された先輩との
夜遊びなどで、
毎日、
まあまあへとへとだった気がする。
とはいえ、
クラスに居る人々がみな好人物揃いで、
今思えば、
(人生で一番、
穏やかな一年だったのかもしれない。)
と考える。
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冬休みは、
朝から部活の走り込み、
休日は神奈川や吉祥寺に
友達とCDや服を見に行く毎日で、
あとはゲームばかりやっていた気がする。
あとはいやらしい事ばかり考えて過ごしていた。
『美木さん』とのメールも続いていて、
僕はいつも、彼女を褒め称え、
そして
それに比例するように、彼女は高慢になっていった。
彼女は常に学年トップで、
美術部でも絵を表彰され
すっかり学年の有名人だった。
テスト順位で彼女の名前が5位以下だったのを、
僕は、見た覚えがない。
いつも僕は、順位表に、彼女の名前を
追っては
感激していた。
僕は、国語だけが異常に出来たため、
全国で300番に入った時は、
表彰状を貰ったのを覚えている。
しかし、
数学や理系科目、社会科などは
並かそれ以下くらいで、
平均すると中の上、といった具合だった。
もしも、大学受験の科目が国語だけだったら、
きっと僕は、もっとエリートになっていただろう。
しかし、
ピ-キ-な脳を持った人間は
淘汰されるようにその頃の『世界』は
出来ていた。
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そんな2月。
バレンタインが来た。
僕は、人生でチョコレートを貰った事など当然一度もなく、
むろん、告白などされた事がない男だったため、
もちろん、はなから期待などしていなかった。
『◯◯くんに渡すために作ってきたわ-』
『俺、◯◯さんに貰っちゃった。』
人生の華やかな側に居るグループの人物達が、
その取れ高を華々しくしゃべる中、
どう考えても、
そのドラマの登場人物の中で、
『脇役』にしかなれない配置に
人生が置かれていた僕は、
内心で
激しい羨ましさを持ちながら
理科、社会、体育、国語、数学…
一時間目から放課後までを、
過ごした。
親友は、幼馴染みの彼女から手作りをもらったと、
悪気なく話すのだが、
僕には遠い世界の話にしか聞こえなかった。
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帰るか…。鞄に教科書を詰め込み、
クラスの浮かれた空気から
そそくさと
去ろうとしていたその時、
後ろから声がした。
『梶本くん。』
江元さんだった。
『これ。』
その手には、
ピンクの袋入りの、クッキー。
色は…
もちろん、…チョコレート…。
『えっ。』
『あげる。』
江元さんはそれだけ言うと、
すばやく、
去っていった。
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僕は帰宅すると、そのクッキーを
机の引き出しに入れた。
食べる事など、
とても出来なくて、
僕は、
帰ると
そのクッキーを、
机の
引き出しに
入れた。
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それから一年。
僕は江元さんに依存しきったまま、
しかし、付き合う勇気もなく、
高校を卒業した。
内申点で進学は出来たが、
苦手な方面の学部だったので、
浪人をした。
江元さんは、心理学部へ行った。
カウンセラーになりたい、
というような話をしていた気がする。
僕はそのころ、色々な問題を抱えていて、
自分自身を棄損したり、
人を言葉で傷付けたり、
部屋で暴れたり、
泣いたり、
滅茶苦茶をしていた。
その間も、ずっと
僕を励まし続けてくれたのは、唯一人
江元さんだった。
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ある日の事だった。いつものように、
躁状態の後の壮絶な気分の落ち込みに
臨していた僕は、
江元さんにメールをした。
『もう終わりだ。僕は人間のゴミクズだ。
死んだ方がましだ。皆僕を見下している。
僕は要らない人間だ。早く死にたい。
ここは
地獄だ。』
『そんなことない。
あなたは、優しい人。
絶対に大丈夫だから。
わたしを、
信じて。』
『うるさいよ。
何でそんな事が言えるの?
僕の何を知っているんだ?
君は。』
『私は…
あなたの全てを知らないわ。
だけど、
私の知ってる梶本くんは、
とても心のきれいな人よ。
絶対に幸せと思える時が来るわ。
あなたは、
私が助けるから』
『だから、
誰なんだよ。君は。
彼女でもないのに。
じゃあさ!
僕と付き合ってよ!!』
『それは駄目。
私達は、
友達よ。
私はあなたが大事だから、
支えたいの』
『…なんだよ!
じゃあ別にいいや。
あ、
別に
さっきの、
「告白」じゃ、
無いから。』
『……………
わたしは……
』
『これじゃ………
都合のいい女じゃない………
』
『………………
梶本くん。
さようなら。
』
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3年後だったろうか。
僕は、小田急線の電車に乗った。
僕はその頃もボロボロで、
凄まじい顔色でガタガタの体調のまま、
窓際に立っていた。
ふと、電車の窓を見ると、
見覚えのある姿がある。
……恐る恐る………
振り向いた。
電車の椅子には、
ふわふわのワンピースに
麦わら帽子を被り、
膝に。
サンドイッチの入っているだろう、
バスケットを置いた女性が、
幸せそうに
座っていた。
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(僕は、話し掛けれなかった。)
(そりゃそうだよ。)
散々傷付けて、
都合よく扱ってさ。
(いったい何が、言えるというんだろう?)
(ああ。)
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この歳になって、
人生で出会ってきた
数少ない女性達を、
ひとりひとり
思い出すとき、
僕は、
(まず、)
(彼女を思い出す。)
人生で、
いちばんの、
(いい、女を。)
江元さん
ごめん
小説
『後ろ姿の女神』
了