無音だけでなく音の反響もない空間――「無響室」とは何か
2025.2/21 TBSラジオ『Session』OA
Screenless Media Lab.は、音声をコミュニケーションメディアとして捉え直すことを目的とています。今回は、音の中でも「無音」に関する情報をお伝えします。
◾無音で音の反射もない「無響室」
音のない状態を「無音」といいますが、私たちは通常、どんなに静かな環境にいても、無音ということは基本的にありません。どんなに静寂な環境でも、基本的に音は存在しています。
しかし、人工的に無音の環境をつくる「無響室anechoic chamber」と呼ばれるものがあります。これは外部からの音を完全に遮断するだけでなく、室内で発生した音も反射しないように設計された、特別な部屋になっています。したがって、実際は音がない=無音ではなく、音が出ても反響・反射がないので「無響」ということになります。
無響室の目的は、スピーカーやマイク、楽器の性能チェックだったり、機械や家電製品の騒音のチェックのためです。カタログに音の性能等を記載するために利用されることなどが多くあります。もちろん、音の研究や、こうした空間における人体の反応を調べるための実験にも用いられます。
無響室の壁や天井には吸音材が使われており、一般的な部屋とは異なり特殊な形をしていますが、これによって音の反響を極限まで抑えます。様々な企業のHPなどで無響室の解説がありますが、非常に綿密な設計が行われています。
◾️無響室の特殊な構造
有名な無響室としては、米ミネソタ州ミネアポリスにあり、音響や照明デザインを専門とする、「オーフィールド研究所(Orfield Laboratories)」に設置された無響室で、99.9%の音を吸収する無響室です。同様の無響室はマイクロソフトの本社にもあり、共に性能を競っています。
特にオーフィールド研究所の無響室は、2021年に室内の環境音で-24.9デシベルを記録し、ギネスにも「最も静かな場所」として認定されました。人間の耳は0デシベル以下の音は聞こえませんが、0デシベル以下でも音はあるとはいえ、-24.9デシベルでは、ほぼ無音といってもいいでしょう。
音のない環境で静かにゆっくりしたい、と思う読者もいるかもしれませんが、この無響室に人間は長く滞在することはできません。というのも、まず無響室は音が反射しないので、普段なら無意識で行っているモノとの距離感が掴めなくなって、方向感覚がおかしくなることがあります。
また、極端に音がなく、かつ音の反射がないので、自分から発生した音が即座に自分の耳に届きます。したがって、音響室にいると、心臓の音だけでなく、血流や呼吸音、骨のきしむ音まで聞こえることがあるとのことです。
また、あまりに音がなくなるため、聴覚器官が過敏になって無理に音を探そうとするため、わずかな振動などを大きな音と感知してしまうことで、無音なのに大きな音がしたり、生理的に生じるわずかな耳鳴りが大きく聞こえることで、鼓膜が痛くなることがあるといいます。あるいは実際には出ていない音を錯覚して聞いてしまうこともあるでしょう。
いずれにせよ、普段とはあまりに異なる環境のため、長時間滞在すると平衡感覚を失い、気分が悪くなり、精神的にも悪影響を及ぼすようになるというのです。オーフィールド研究所によれば、多くの人は数分で出ていきたくなり、椅子に座らずに30分以上滞在することは相当困難だということです。
◾️楽曲のインスピレーションにもなった無響室
こうした環境は人間には負荷のかかるものです。ただし、人間の生理や心理に関わる実験などで、短時間利用することは可能でしょう。あるいは宇宙飛行士など、重力のない静かな空間で活動する特殊な職業の人にも、短時間であれば訓練に利用することができるようにも思います。
(宇宙飛行士は一般的に、「無重量環境訓練施設」という、巨大なプールの中で活動することで、主に無重力環境を再現し、訓練を行うとのことです。)
また、アメリカの音楽家であるジョン・ケージが1952年に発表した「4分33秒」という曲は、音は出さないものの、聴衆から聞こえる音などが自然に流れるもので、無音ではなく「意図しない音が起きている状態」を表現した非常に有名な作品です。
この4分33秒の制作についてケージは、ハーバード大学に当時あった無響室を1951年に訪れたことにインスピレーションを得たとも語っています。無響室はこうしたインスピレーションの源泉にもなっているのです。
いずれにせよ、人間は無音の環境にあっても、生活が難しいことがわかります。他にも、無音に関する研究も多くあります。今後も、無音を含めた「音」について、様々な情報をお伝えしたいと思います。