SCRAPTを立ち上げます
SCRAPT設立に寄せて by 韻踏み夫
SCRAPTという名義のNOTEを、吉田雅史と共同で立ち上げることにした。一応ヒップホップ批評ユニットのようなものと思っていただいて構わないが、なにか重々しい、大したものと勘違いしてもらってもいささか困る。なぜなら、このNOTEはとにかく緩く、マイペースに継続することを目標としているからである。これも片手間に、一時間程度で書いている。そんなもんとして受け取っておいてほしいわけだ。
これを立ち上げる経緯を記しておこう。2016年にさかのぼる。『ユリイカ』2016年6月号は日本語ラップ特集で、私と吉田さんの商業誌デビューは同じくそこであった。だから私は吉田さんのことを勝手に「同期」のように思っているし、年は離れているが氏のあまりに気さくすぎる人柄から、気のいい一、二個上の「パイセン」のような感覚で接している。知り合ったのがちょうどその頃で、同じく日本語ラップ批評を目指す者同士、打ち解けたわけだ。だから、一緒にトークイベントに登壇したり、クラブやトークイベントに遊びにいったり、原稿の相談をしあったりするなどしていた。そして現在私が東京から離れてからも、しばしば長電話をする関係である。そこで私たちは、まあ一応はプロの書き手同士なので、それなりに批評的に意義のあることを話したりもするのだが、そのほとんどを公に出せずにいる。それは単に、私たちが怠け者であるか遅筆であるからに過ぎないわけだが。
そして実際私たちには「前科」がある。というのは、吉田さんらとともに、私たちは日本語ラップ批評の書籍を出版しようと動いたことがあり、色々と準備は進めていたのだが、結局雲散霧消させてしまったことがあるからである。そのことが私たちの心残りであり、内容自体には自信があったのだが、単に事務的能力、集団の統率などに著しく苦手意識を抱える者たちの集まりだったということもその原因であった。
そのときにみなで考え付いたのが、この「SCRAPT」という言葉である。たしかそのときも同じように、日本語ラップ批評のサイトを立ち上げようとし、そのために考え付いた名前だったと記憶している(むろん実現はしなかった)。Script(筆跡)という言葉と、rapを掛けている。ラップの痕跡を追う批評家たち、といった意味を込めようとしたのではなかったか。いまでもなかなか気が利いているかと思う。
だからこのSCRAPTでは、前回の失敗に学び、できるだけ気軽に記事をアップすることを目標としている。当時私たちは自らに高いハードルを設けて、そのせいで逆に身動きが取れなくなるという愚をおかした。それも大事な姿勢だとは思うし、私たちは目標を下げたというわけでもない。高いハードルで練習したからといって、必ずしも高く飛べるようになるわけではない。迂回的な努力の積み重ねというのもアリなわけである。このごく当たり前の道理を私たちは見失っていたのだ。
SCRAPTの主役は吉田雅史である、と私は思っている。私は吉田雅史がヒップホップについて有する、膨大かつ精緻な知識の数々を心から尊敬しており、それを早く世に出すべきだと本人にも伝えてきた。それは、日本語ラップ批評の、あるいは音楽批評の風景を容易に変貌せしめるポテンシャルをもつものだと、私はずっと確信し続けてきた。しかしそれはまだまだ十全には成し遂げられていない。この場所から、それが始まれば素晴らしいと思う。私はそれをサポートできたら満足ではある。
というと私が消極的なようにも受け取られかねないが、もちろんそんなことはない。まあ、私は今年『日本語ラップ名盤100』という本を出し、また連載「耳ヲ貸スベキ――日本語ラップ批評の論点」を一応完結させた。前者は作品を歴史的に位置付け、後者では論点整理を行った。だからこれらは実は基礎工事に過ぎないと私は位置付けている。つまり、両者はフルスイングの批評ではなく、送りバントのようなものである。誰もが四番を打ちたがるが、その競争から一歩引いて、来るべき四番に備える、というようなことを考えていた。だから、その下準備が終わったいま、さらに高度な批評が書かれねばならない。誰が書く?吉田雅史か。あるいはいまからSCRAPTに付いてきてくれようとしているあなたか。むろん私も立候補する。だからこのSCRAPTを私は、そのための練習場として存分に使おうと思っている。
マイペース、低いハードル、練習場などと書いた。そこはたしかに強調しておきたい。実際、これを始めないかという吉田さんからの電話を受け、なにも考えずに――微妙な二日酔いの頭で――やりましょうと答えて、即決で始めることになった。といっても、このSCRAPTを緊張の欠けた場にするつもりもないのだ。なにかを始めるときの感覚とは、もしかしたらそのようであるべきなのかもしれない。それは私にとって般若の「サイン」である。倍速のラップで全力疾走するそのクラシックのフックはしかし、「今から軽く走るがどうだ」と、むしろ気楽さを醸しているのである。その「学校じゃ教えてくれねえGOサイン」とは「ロクでもないとめどもないたしかな合図」の様相をしめすわけだが、たしかにこれはいまの私たちの感覚にきわめて適っているのではないだろうか。それは「ロクでもない」些細なきっかけだが、「とめどもな」く常に明滅していてふだん私たちが意識しないだけであり、しかし「たしか」に存在している「合図」なのだ。そのような合図をキャッチしたものは、はじめの気楽さをいつしか忘れ、我を忘れてどこか知らないところへ向けて全力疾走してしまう。そのような瞬間を般若は見事に歌ったのであり、私たちSCRAPTもまたそのような「サイン」をキャッチしたから始まったに違いなく、かつ私たちがこれからあなたへ向けた「サイン」たりえるようなことがあるならば、それはなによりも素晴らしいことである。
韻踏み夫
SCRAPT決意表明 by 吉田雅史
この度、韻踏み夫氏とnoteを始めようと思う。ここ最近色々と思うところがあり、その実践のひとつとしてトライしてみることにした。思い立ったが吉日なり。
「色々と思うところ」とは内実のない観念的な焦燥のようなものだったりするのだが、ひとつはっきりしているのは、韻踏み夫がリリースした『日本語ラップ 名盤100』に接したことだった。彼が本書をリリースしたとき、私はそれをある種の衝撃と共に受け取った。企画段階から話は聞いていたし、どの100枚をセレクトするのかも相談してくれていた――リストを眺めながら、あれは選んだ?そっちの方がいいのかな?とあーでもないこーでもない言い合う長電話は最高だった――のだが、実際に出版された本を手にして、ある感慨を持った。
彼は以前から批評を活性化させるための土台を整備することの大切さを説いていた。そして実際に『日本語ラップ 名盤100』をリリースし、『文学+WEB版』で展開した連載『耳ヲ貸スベキ――日本語ラップ批評の論点』を完結させた。もちろんそれは多くの批評家が実践してきたことであるーー例えば大谷能生氏が『平岡正明論』を上梓した際に話を伺った際にも、執筆の動機は「今後平岡を語り批評するために誰かが一度仕事をまとめる必要があったんだよね」とのことだった。だが韻踏み夫が20代のキャリアの初期から自分は黒子のように舞台をセッティングする、ということを強調し実行している姿勢にはリスペクトしかなく、同時期にキャリアをスタートした者として――一回り以上も年齢差があり、その意味で私はパイセンなのかもしれないのだが、いや、そうであるがゆえに――グリっとみぞおちにボディブローを喰らったかのような心地よい衝撃と共に教えられる思いがしたのだ。
とはいえこれは自己犠牲の精神がすごいとかそういう話ではなく、自身が論じる対象が置かれている状況を冷静にまなざし、自分のできることを粛々と行っていくという真摯な姿勢に対するリスペクトである。その思いは美学校で22年10月26日に開催された『ゼロから聴きたい日本のヒップホップ』のイベントへつながり、この一度は棄却されたSCRAPTのアイディアにつながった。
だから当面の目標は、ヒップホップ/日本語ラップについてのテクストを――といっても大上段に構えたものではなく、見取り図となるファクトの整理や議論を立ち上げるアイディアの断片などを――軽やかに、マイペースにアップしていくことだ。個人的には、特にビートについての議論の土台となる言説や整理は足りていないと思っているので、注力していきたい。
この「軽やかさ」というのがSCRAPTの目指したい基本姿勢である。その背景には、私がゲンロンからリリース予定の『アンビバレント・ヒップホップ』との足掛け5年以上にわたる格闘がある。そもそもゲンロンのメルマガで連載した内容をまとめあげて一冊にしよう、という試みであったはずが、日々変化し続けるヒップホップシーンの変化の速さと自分の文章を後から読んだ際の納得の行かなさに改稿を続け、ほぼ書き下ろしのような様相を呈しているのだ。今年のリリースに向けてようやく最終形が見えて来ているのだが、目下直面しているのは、本来自分には書けないレベルの質の高いものを求めた結果、なにも形にできていないという現実だ。そしてその現実に対する反省だ。しかし反省ばかりしていてもしょうがないので、状況を打破するためにも何か動いてみよう、というわけだ。この単著との格闘へポジティヴなフィードバックを起こすためにも。
例えば自身で曲を作るとき、ビートを作るときには「軽やかさ」があるように思う。アイディア先行で、実験的な作風を楽しむ余裕がある。文章についても、そのような「軽やかさ」を前提に、みなと軽やかに議論を回したい。ありきたりな比喩で恐縮だが、サイファーのように。自分の身の丈を超える虚像に足を取られることなく、一応は頭のなかに生起したアイディアを、そのまま記しておくこと。チック・コリア率いるリターン・トゥ・フォーエバーに『Light As A Feather』という名盤があるが、文字通り羽ペンで書くくらいの軽やかさを目指したいのだ。あるいは、チック・コリアのフェンダーローズのタッチくらいの軽やかさを。そしてそれが目に触れる状態にさらされていれば、誰かがその一片のアイディアをつないでいってくれるかもしれない。
それから私がSCRAPTという場に期待するポテンシャルについても記しておきたい。決して忘れることのないだろう、ある夜の話だ。それは2017年に市原湖畔美術館で開催されたRAP MUSEUM期間中のイベントの日のことだった。この日本初となる日本語ラップについての展覧会の一環としてトークイベントの時間が設けられることとなり、幸い私にも登壇の声を掛けていただいたのだ。それはその前年に開催された「日本語ラップ批評ナイト」のメンバーたちを中心に、当時の日本語ラップ論客たちが入れ替わり立ち替わり登壇しプレゼンや議論をする場だった。10人以上のメンバーが、それぞれの視座で持論を展開する様は、日本語ラップ批評のもつ多岐にわたる論点のポテンシャルをそのまま示すものだった。
数時間にわたるイベントを終え、私たちはミュージアムに併設されたレストランで一次会をし、ヒップホップについて語り合い、みなでバスに乗り合い、二次会とばかりに再びヒップホップについて語り合った。確かそこそこ集合時間は早かったのだからみな眠かったはずだが、帰りのバスで数時間揺られながら、誰一人として眠りの姿勢に入る者はいなかった。みな目を輝かせながら、ラッパーのリリックやビートのスタイルについて時間を忘れて語り合った。私の隣の席には韻踏み夫がいて、般若についてアツい議論をしたのを覚えている。斜め前方にはトークイベントにゲストとして迎えた佐々木敦氏がいて、バスの後方部を占拠してしゃべり続ける修学旅行生のような私たちに感心した/呆れた様子で後から「よくそんなにしゃべることあるねしかし。朝から一日中喋り続けてるじゃん!」と激励の言葉をもらったのだった。
そうなのだ。ヒップホップには、日本語ラップには、語るべきことが無限にあるのだ。だからSCRAPTに書き連ねられるネタは潜在的に無限である。初めは韻踏み夫と私によって口火が切られることになるが、やがて様々な人々が集まり、時を忘れておしゃべりが続くだろう。あの夜のように。いや、ホントに色々な批評ホーミーたちに話を伺ったり、ある対象について一緒に論じたりしていきたいんですね。そんな感じでぜひよろしくお願いいたします。
吉田雅史
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