UGSS
「マイヤー、新しい作戦が発令されるって、本当か?」
「何の作戦だ?」
「何の作戦って、お前、作戦って言ったら軍の作戦に決まってるだろ」
「いや、そんな作戦は存在しない」
「本当か?ホワイトストリームって名前までついてるんだぞ?」
「ああ、その話か……」
マイヤーは手にかけていたナンをちぎると、ボールに注がれたカレーに浸す。柑橘の香りがテーブルの対面に座るユウの鼻にまで漂って来る。赤いカレーが垂れるのを止まった事を確認すると、マイヤーはナンを口に運び、ゆっくりと咀嚼し始める。
「で、どうなんだよ」
「オペレーション・ホワイトストリームというのは、私達が去年行った地球奪還作戦のことだ」
「どういう事だ?」
「サイトウ中尉……食べるか話すかどちらかにしろ」
「パイロットってのはみんなこうなんだよ、ほっとけ!」
ユウはカレーライスをスプーンで掻き込みながら、話の続きを急かした。
UGSFケストレル級航宙機母艦第327番艦「アルタイル」。今はオリオン腕3分内縁管区太陽系駐留艦隊の旗艦となってる。乗員300人超の胃袋を支えるその広い食堂の一隅で、艦隊司令であるアレクセイ・マイヤーと艦隊所属のパイロットであるユウ・サイトウは食事を共にしていた。一人食事をしていたマイヤーの相席に、後からユウが押し掛けたというのが正確だが、マイヤーもそれを断らなかった。
「あれが中央の命令に反して行われた作戦だったのはお前も知るとおりだ。だが中央としては命令違反の作戦というのは体裁が悪い。だから私が『帝國の不穏な動きに対して、援軍として送られた』という体にして、後付けで作戦名が付けられた。それだけの話だ」
「何だよ、リック達がなんか浮き足立ってるからてっきり……」
「噂の出所はM兵器達か。そういう事だと、言って安心させてやるといい」
マイヤーはそう言うと、再びナンを手に取ってなめらかな手つきでそれを割く。一方のユウは、はたと、カレーを口に運ぶ手を止め、眉を顰めるとスプーンを置く。
「それ、おかしくないか?」
「どこがおかしいと思う?」
トレーに赤いしずくが一滴落ちる。カレーを乗せたナンを持つ手を止めて、マイヤーが続きを促す。
「だってそうだろう。俺達にとってあれは引くに引けない防衛戦だったが、中央から送られたお前にとっては単なる遭遇戦だった。そうでなくとも、隠したいならそういう事にしておけばいい。なのにわざわざ、オペレーション名をつけるなんざ中途半端じゃないか?」
まくし立てるようなユウの言葉を聞きながら、マイヤーはナンをゆっくりと咀嚼する。ユウが言い終えるとマイヤーはそれを飲み込み、一呼吸置いた。
「お前の疑問はもっともだ。だがその答えはお前が知る必要が無い類のものになる」
「『お前が知る必要は無い』じゃないんだな」
マイヤーはカレーに浮かぶ鶏肉をスプーンですくい、口に入れる。
「話せよ、マイヤー。中央が地球をどう考えてようが今更どうでもいいが、あの戦いをどう扱ってるのかは知っておきたい」
帝國の侵攻で元々配備されていた太陽系駐留艦隊は壊滅し、艦船と人員はほぼ総入れ換えとなった。中央はそれで数あわせを終えたつもりだろうが、死んでいった多くの仲間も、ユウの同期だった古い戦友も、二度と戻ってくる事は無い。
その上、あの戦いを無かった事にするどころか別の何かで糊塗しようとするのであれば、それは死者を弄ぶに等しい。遺された者として看過できない、出来る筈もない。
「それにだ」
ユウはスプーンを手に取りマイヤーに突きつけ、今度こそ一気にまくし立てる。
「『それだけの話』っていうならそれで構いやしないが、その口ぶりじゃそうじゃないって事だろ?お前の駒になるのはともかく、お前の手のひらで遊ばされるのは気にくわない。俺はエレーナみたいに察しが良くないんだ。真相とやらを、俺にも知らせろ。どうなんだ?」
噛みしめるほどに染み出す脂を十分に舌で愉しみ、マイヤーはチキンを飲み込む。わずかに口角が上がったのは、ユウの気のせいか。
「理由は二つ」
マイヤーはユウに食事を進めながら聞くよう促す。ユウは残ったカレーを掻き込み始める。
「一つ目の理由は中央の失態の隠蔽だ」
「失態って、お前を前線に送っちまったって事か?」
「実を言うと、私は赴任地を選ぶ事が出来た」
UGSFにとって、マイヤーは扱いに困る存在だった。UGを取り仕切る2大コングロマリットの一角、ジェネラル・リソースの御曹司。しかも後方に置いておけるほどの無能であれば良かったが、抜群の才能を示しコマンダーに成仰せた。下手に特別扱いをすれば、建前といえど軍の規律を乱してしまう。結果、最前線では無い第2列、比較的安全と評価されている戦域に送る事となり、いくつかの候補地がマイヤーにあくまで本人の希望を聞くという形で示された。本人の希望を聞くという事自体は、UGSFでも別段特別扱いという事は無い。希望が叶えられるかどうかはまた別というだけの事。だがマイヤーにはその希望を伝える自由さえ無かった事になる。
「俺達下々の兵隊だって、少しは融通を利かせてもらえるぜ……しかし呆れた話だな」
「だが大きな権力を持つ者には大きな枷がはめられるべきだ。あまりに些末なケースではあったが」
「そうじゃ無くて、お前、わざとここを選んだだろう。一番リスクが高いと踏んで」
はっきりとマイヤーの口角が上がる。それが答えだった。ったく、とユウも苦笑いで応える。
「候補地を選んだのは参謀部だが、私の評価でもすぐに戦果を上げられるような戦線では無かった。だが太陽系だけは違った。帝國の手はシリウス星系にまで届いている。目と鼻の先だ。先任のコマンダー達も危機感を覚え、増援要請を矢次に送っていたが、中央はそれを無視し続けた」
「でも、それは太陽系が戦略的に無価値だからって話だろう?」
「ああ。その上軍はオペレーション・フォースドマーチで失われた定数に回復してない。無いものは無いのも事実だ。だが「戦略的価値」と「侵攻のリスク」は峻別せねばならない。私は侵攻リスクの薄い戦線に送られるべきだったのに、参謀部はそれを戦略的価値と錯誤した事となる」
「ええと、つまり何だ?地球は価値がないから、帝國も攻めてこないだろうって中央は考えたって事か?」
「そういう事だ。だが太陽系自体に価値は無かったとしても、オリオン腕3分宙域の航路は地球が起点になっている。あのような事態にならずとも、いずれ太陽系は攻められただろう」
「お前を最前線に送っちまったって事以上に深刻じゃねえか。前と後ろの区別がつかない司令部なんざ冗談じゃねえぞ」
「中央に戻された時、査問会とやらに呼ばれ、今お前に聞かせた事を証言した。結果として参謀部トップ以下何名かの首がすげ変わった」
「さっそくやりやがったのか」
「私の言葉でそこまで事態が動いたらそれはそれで問題だ。流石に中央も事の重大さに気づき、問題になっていたようだ。後付けのオペレーション名は、参謀部がトップの首を差し出す代わりにメンツを立てる為に求めた取引の結果とも聞かされた」
マイヤーはカレーをスプーンですくい、赤い液体を事もなげに啜る。
ユウは、マイヤーが滾らす野望と掲げる理想を知っている。UGSFのトップに上り詰め、堕落したUGを改革する。夢想どころか最早妄想。一歩間違えれば軍政に繋がる危険な思想。だが紙一重の狂気はカリスマに転化する。マイヤーは粛々と野望を実行に移し、一歩ずつ理想を達成して行くに違いない。命令違反という逆境さえも利用して、参謀部を”粛正”してみせたのだ。ユウは確信を強くする一方で、マイヤーに魅せられている自分を自覚せざるを得ない。
ユウはコーヒーを口に流し込む。カップの保温機能は効いていたが、湯気は既に消えている。
「で。二つ目の理由ってのは?」
「帝國にとっては、地球は重大な戦略拠点だった可能性が地球奪還作戦を分析した情報部から提起された」
「帝國が? 地球を?」
目をしばたかせるユウに、マイヤーは含むように説明を始める
「帝國がオリオン腕方面にまで戦線を広げてきたのは、UGSFがフォースドマーチの失敗で、総戦力の2割を失った以降だ。中央は帝國の行動は戦線を広げることでUGSFに戦力分散を強いて、局地的優位な状況を作り出す戦略だと断定し、戦力が回復するまでは盾腕管区つまり中央に戦力を集中させ、オリオン腕管区は有人領星を攻められたら迎撃する戦略を採用した」
「おいおい、攻められたら迎撃って、出たとこ勝負すぎないか?」
「オリオン腕に赴任するコマンダーには『高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処せよ』と基本戦略が与えられている」
「やっぱり行き当たりばったりじゃねえか、戦略ってレベルじゃねぇぞ?!」
「お前は先任のコマンダー達を決して許せないだろうが、彼らは中央の戦略に従い、臨機応変に対応したとも言える」
でもよ、と言いかけて、ユウは口を紡ぐ。まともな作戦も、まともな補給も無く戦争を続けられる筈が無い。ユウも軍人であり、それが絶望的状況であるのは理解出来る。彼らもまた無い無いづくしの中で選択を強いられていたのだろう。だがマイヤーの言うように、彼らに対する怒りは未だユウの心をあぶっている。やり場の無い感情に震える拳を、マイヤーはただ見つめる。ようやく絞り出された声は、唸りにも似ていた。
「それでも、民間人を見捨てて逃げるのは、絶対に許せねえ」
「それだ。サイトウ中尉」
元々、UGにおいて中央と領星系の心理的距離は近くない。まして辺境領星系であれば遠心力が強く働く。その辺りの事情はUGSFが反乱鎮圧のために創設されたというその出自が雄弁に物語る。だが、前線に立つのはその周辺領星系出身の一般兵士だ。故郷を守るという兵士の矜持を、中央が蔑ろにするのであれば、彼らはモラルを保てるだろうか?
まして見捨てられる民間人はたまったものでは無い。領星系政府に認められていた自衛の軍備も帝國との戦争が始まって以来UGSFに徴発されている。そのUGSFが守ってくれないのであれば、UGに所属する意味はあるのか?
「情報部は、帝國が太陽系侵攻を完了させていた場合、中央と周辺領星系の離間を企図したプロパガンダを始めていた筈だと主張した。情報部は帝國人のメンタリティについてプロファイリングを終えている。帝國も我々について同様だと考えるべきだろう。地球がUG発祥の星である事は、今や歴史的事実以上の意味を持たないが、他の辺境星系よりは宣伝効果が高い」
「………お前がいなかったら、俺はゲイレルル乗りになっていただろうな」
マイヤーは残ったナンを二つに裂く。ユウは、淡々と指摘されたその可能性を、認めざるを得なかった。
査問会に出席した情報部員は、帝國軍の動向についてマイヤーに多くの質問を浴びせた。だがその熱意はUG分断を憂慮すると言うよりは、利権と予算の獲得に傾けられていた嫌いをマイヤーは感じていた。出席者の中からは、情報部の主張に失笑が漏れた。しかし中央と一般兵士の距離を実感すれば、全く笑えない状況であることをマイヤーは知っている。
『作戦中、艦隊将兵及び避難民に対し帝國軍の情報戦があったという報告は受けておらず、小官の記憶にそれらしき動きがあった事は認められません。が、小官の所感では、もしそのような攻撃があった場合、状況は極めて困難になっていたと確信します』
査問会の議事録に残されたマイヤーの発言である。戦闘のあった太陽系、オリオン腕3分内縁管区に隣接する2分管区の司令部も、議事録を読んだ後マイヤーの発言を追認した。2分管区には多くのボスコニアンが居留している。
「情報部の主張を鑑み、ホワイトストリーム命令書の前文にはUGSFは領星系を守るという強いメッセージが込められる事となった。つまり、オペレーション名が後付された理由の二つ目はプロパガンダという事だが、中央はUG分断というリスクをようやく意識したという事でもある」
マイヤーは残ったナンでボウルの縁に残ったカレーをきれいに拭き取り始める。ユウは思い出したように残ったコーヒーを一口啜り、呟く。
「そうか、そういう風にしてくれたのか」
中央としては妥協の産物であったかもしれない、マイヤーにしてみれば政治的活動の副産物でしかないかもしれない、だがユウにはこの後付けのオペレーション名は手向けと思われた。あの戦いで死んだ者は、中央の無策で犬死にしたのではなく、地球を守るという任務を胸に散っていった事になるのだから。
情報端末のアラームがユウを現実に戻す。午後の訓練の時間だ。
「全く。食った気にならなかったぜ」
「航宙機隊は訓練の進捗が予定より遅れているな。新しい作戦は無いが急げ」
へいへいと、ユウはトレーを持ち上げ席を立つ。そして背中越しに言うのだった。
「ありがとよ、マイヤー」
マイヤーは応えず、ミルクティーの注がれたカップを傾ける。すっかりぬるくなってしまったが、それが何故かマイヤーには好ましく思えた。 【了】
※なるべく設定は調べましたが、オリオン腕3分内縁など一部は完全な創作です
※マイヤーのユウに対する二人称は本来「君」ですが「お前」の方がしっくりくるのでそうしました
※シチュエーションはstorchさんのSS「UGSF小噺 航宙機母艦のカレー」を援用させて頂きました