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紙一重の勘違い

世の中で言われている法則や真実、教訓も、自分勝手に解釈し、都合よく異言い訳に使っていることに気づかないのは一番やばい。自分を大切にすることと、甘やかすことは、同じ「自己肯定」でも異なるのです。

1、「弱さ」と「甘え」は履き違えてはいけない

自分自身を客観視するために、自分の弱さを直視する。それはとても大切なことです。どんなことが苦手で、うまく行かないにもかかわらず、ごまかしたり隠したりする。そのことが、実力以上の過信につながったり、他者に頼らず時間も労力も費やしてしまい、他人にまで迷惑をかけてしまうのでは、よくありません。

だから、自分の弱さを正直に認め、得意な人や誰かの助けを借りて、物事を前に進めていくことが大切なのです。

一方で、「甘え」を「弱さ」と勘違いしている人も、たまに見受けられます。自分のこだわりやカッコつけによって起こった状況や、不具合を自分のせいにせず、環境や運、あるいはどうしようもないこととして、自己の反省から分けて考える。そして、克服や解決するために他人に頼ることは当然やっていいという自己弁護。

これは、単なる「甘え」であって、「弱さ」とは本質的に異なります。根本的に違うのは、「弱さ」とは「自分」に関することであって、「甘え」は状況や環境に対するものであるということ。2つは全く違う対象なのです。

だから、受験で言うならば「家では集中して勉強できない」は単なる甘えですが、「誘惑に負けてしまう自分がいる」は弱さです。

今、抱えているあなたの悩みはどちらでしょうか。もし状況や環境について、安易に他人に頼ろうとしているのならば、それは「自分のことはさておき」と安全地帯を作り、自らを省みず、ただ助けを乞う、何度も続くようであれば、それは「乞食精神」が定着してしまっているとも言えるでしょう。

環境は変えられない。ただ、その環境に対応する自分は変えられる。そんな真摯な姿勢を常に持ち続けたいものです。

2、「悩み」と「不安」も別物である。

まるで並列されてよく言われるこの2つの言葉ですが、「悩み」とは「考える」ことであり、「不安」は「感じる」ことです。いわゆる、左脳と右脳の違い。

したがって、「悩み」ならば、状況を整理し、問題を細分化して、できることを進めていくしかない。一方「不安」は、心の問題。いつまでも考えては、不安は増殖していくだけ。だから、一度冷静になるためにも、その不安な気持ちを隣において、原因や状況に向き合うことが大切。

今やれることでしか、取り組めないのですから、いつまでもくよくよしても仕方ありません。小さなことでもいいから、一歩、ひとつを動き出すことです。

3,「安全」と「安心」だって異なるもの

これも同じように語られることが多いものですが、「安全」とは作るもの、「安心」とは感じるものです。2つの関係においては、「安全」がなければ「安心」はなく、「安心」を追求し続けると「安全」には際限がないということになります。

だから、取り組めることは「安全」でしかなく、「安心」は人それぞれの感じ方にも起因することから、誰もを納得させたり、受け止めることが可能な「安心」は追求してもしきれないものと言えるでしょう。

こうしてみると、並列で語られる言葉の多くが、右と左のような対になる概念であることがわかるでしょう。まさに紙一重で、存在するようなもの。勝手に解釈すれば、自己弁護となり、自己を省みる心があるならば、正しく状況を捉え、進歩していくことができる。

人間はいつまでも弱き生き物。そのことを予め真摯に受け止め、謙虚に生きていきたいものです。

あなたの周りにも、「甘え」の人はいませんか?近づくと巻き込まれますよ…言い訳に使われることで、人間関係さえ破綻してしまうことがあるからです。


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