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「酔う」ことはよいのか

春の日差しも暖かくなり、花見シーズンといきたいところですが、公園は以前閉鎖、自粛中。となれば、みんなの足は、いよいよ復活してきた飲食店に向かうわけで、私のテリトリーである新宿歌舞伎町も、いよいよ泥酔者が夜は目立ち始めました。

1、「酔っぱらい」に見る社会風情

自分が酔った時には、その姿が全く気にならないし、わからないけれど、シラフでその姿を見るときは、とても冷静な感じで観察ができる。

日本一の歓楽街と言われる、新宿歌舞伎町も、営業自粛が解かれ、飲食店は通常の営業時間を取り戻してきている。
となれば、酒好き、宴会好きは「まってました」とばかりに街中に繰り出していく。

このコロナ禍の約2年の間、様々な風景を観察してきました。というのも、ここ数年前から、自ら飲酒をしなくなり、そして、シラフでいることが平気になり、街中でみかける「泥酔者」の要素をみたら、なんだかいっきに、酒を飲むことに白けてしまったのです。

当初、自粛の真っ最中では、それでも営業を続けていた数少ない居酒屋に、酒好きが集まりました。其の頃の夜の泥酔者は「一人」が多かったのです。

きっと、行き場のない感情を、酒にぶつけていたのでしょう。一人泥酔し、柱に寄りかかって眠っている人。床に伏せてしまっている人。早朝の始発電車では、いよいよ帰ろうとする人が、酒が抜けたこともわからずにエスカレーターに乗った瞬間に倒れ込み、救急車で運ばれたシーンも見ました。

あの頃から緩和がされるようになってきてから、街中に「女子二人組」が一気に増えました。男性は立場もあるのでしょう。知り合いの業界に友達に聞いても、「世帯主」や「役職」者は、やっぱり立場が会ってのみに来れないと。(もちろん、六本木の貸切や会員制ラウンジでは、この世の中の自粛関係なく酒盛りが続いていたわけですけれど…)

外出の我慢ができなくなったのでしょう。女子二人で買い物をし、飲食をし、酔って帰る姿が多かったのです。

そして、いよいよまん延防止が解かれてからは、一気にサラリーマンが増えました。きっと家飲みで我慢していたのでしょう。大声を出すグループが増え、若手サラリーマンらしき人たち、あるいは若い男子グループがちょっと言い争いしている姿なんかも見受けられるようになりました。

そして、街中にも酔ったカップルが密着している姿が、今年に入ってから散見されるようになってきました。デジタルでは感じ得なかった温度感を楽しんでいることでしょう。

こうして、繁華街の街中の風景は、ときに世の中の雰囲気と立場に寄る行動を反映するように、人の往来が姿を変えていったのです。

2、「泥酔」したときを客観視する

酔った時の赤らめた顔、少し大きい声で周りに聞こえてしまっている会話、妙に絡み合う腕や叩く動作など、冷静に見ると恥ずかしい限りです。

でも、酔っている最中はそんなことは見えないんですよね。そりゃ、脳が泥酔によって冷静でいるわけじゃないんですから…。

いつも自分を自制している機能が、抑制から開放されたとき、人々は本能的にあるいは、深く思っている言葉をためらいなく発してしまうことでしょう。
それはときに、人を傷つけ、自分を傷つけ、人間関係を傷つけてしまう。場合によっては、それが原因として暴力的事案にまで発展してしまう。軽度の酔いは、ストレス発散や緩和になるでしょうが、それでも、酔いすぎることは、マイナスしかないでしょう。

このコロナ禍においても、そんな見境がなくなった人が、街中で相手にしてはいけない人に絡むことで、命を落とす事案もたくさんありました。きっと本人は、それでなくなったことさえ記憶にないのかもしれません。

それでも、清濁併せのむように、希望と絶望とを引き寄せながら、人間を時代という渦中に巻き込む街が、この新宿歌舞伎町。行き場のない感情と、居場所のない存在を、そこに委ねても、誰も咎めることはしない。そんな「制限のない空間」こそが、全国そしていろんな年代や性別さえも超えて、沢山の人を魅了してきたことでしょう。

3、「泥酔」と「情熱」のあいだ

だから、この街を歩くときは、冷静であることは、無用かもしれません。それでも、時代や人間模様を如実に表すこの街は、魅力的です。

はたして、これからの時代、どんな人間模様が作られていくのか。デジタル社会の希望とは裏腹に、アナログでしか生きられない人もいる。そんな、常に世の中は「表と裏」が一体となって存在している。そのことを気づかせてくれるのが、この街の最大の魅力でもあります。

どちらか一方に偏るほうがよっぽど危険。泥酔という酒の分野だけでなく、私たちはいろんな場面で、人やビジネスや思想や宗教に泥酔してしまう場面や人もいることでしょう。

渦中でいることを自覚できない状態だからこそ、こうして「泥酔の外側」から眺めてみるのも、なかなかよいものです。

多様性、LGBTなんていうフレーズで、物事が解決するのではなく、こんな玉石混交の混ざり合う世界に身を置く片足と、まったくの冷静に街の風景を見る片足で、この世の中というステップを踏んでいくこと。そこに人生の「豊かさ」があるように思えてなりません。

今夜も、泥酔した人の華麗なるステップが見られることでしょう。それは、狂喜乱舞の舞かもしれないし、立場に惑う勇み足かもしれないし、もしかしたら、逃げ足なのかもしれません。

都会で生きてきた、私のふるさとは、そう、この新宿という雑踏の中にあるのです…。


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日本と世界を飛び回った各地域の経験と、小論文全国1位の言語化力を活かし、デジタル社会への一歩を踏み出す人を応援します!