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見えないものを想像する

明日、起こることがすべてわかったら、あなたはどういう気持ちになるだろう。ハッピーだろうか。それとも、アンハッピーだろうか。成功も失敗も関係なく、すべて世界が見える時、私たちは生きがいややる気は起きるだろうか。

1、私たちは「いま」しか生きれない

いま、あなたという存在と時間は、二度と同じものはない。1秒ずつ世界は同じ時間を刻み続け、そして、世界中の座標軸の唯一の場所に立っている。そう、すべては「二度とない」世界を、人間は生きているのです。

そんな、貴重で、希少な人生という一生を生きているのに、どうしても、人間は大切なものや二度とないチャンスを見失う。いや、見えていないのかもしれない。

「いま」行動すれば、できたこと。
「あとで」やっておけばと、後悔すること。

人間はいつだってそうやって、過去を思いながら悔み、悩み続ける。

じゃあ、代わりに「未来」が見えたとして、あなた自身はどういう人生になるだろうか。

明日、財布を忘れて買い物にきてしまうことや、仕事で失敗すること。あるいは友達と喧嘩をしてしまうこと。行こうと思っていたランチが休業で食べたいものがたべられなかったこと。

そんな嫌なことさえすべて前日にわかってしまったら、あなたは明日を生きたいとおもうだろうか。もしくは、明日、突然の病で命が終わってしまうと完全に分かったとしたら、今日という今をどう過ごすだろうか。

2、「いま」という一瞬のゼロサムゲーム

少しむずかしい話をしましょう。ゲームの中に「ゼロサムゲーム」というのがあります。これは、片方が勝てば、片方が負ける。あるいは、何か数字が片方が上がったら、片方が下がる。といった、結局、総和が「ゼロ」になるというゲームのこと。

人生は、いいことも悪いことも含めて、最後命が終わるその瞬間に「ゼロ」になるゼロサムゲームのようなもの。

だから、いっときに起こる喜怒哀楽に対し、

「一生自分はついている」

と思うのは過信だし、

「一生損をする人生だ」

と決めつけるのも過小評価。

どっちも、誤った考え方といえるでしょう。
そして、そんな勝ち負けや、良い悪いが、「いま」という時点でわからないからこそ、前へ進む意欲や意義があり、結果がわからないからこそ、チャレンジをする意味もある。

だから、こうも言えるのです。

「運が悪いことが続くなら、それと同じぐらいのいい運がやってくる」
「運がいいことが続くなら、それと同じぐらいの悪い運がやってくる」

どちらか片方が続いたときに、「もう片方がやってくるかも」という心構えをしておくことが、この人生というゼロサムゲームを「途中でリタイヤしない」ために必要な攻略法といえるかもしれません。

3,ほとんどの人は99%の敗者

では、そんなどちらに転ぶかわからない人生において、生きがいや楽しみとはなにか。そんなものは簡単に手に入らないといってもいいでしょう。

確かに、全国大会の地区予選で「優勝」することで、次のコマに進めるのは「喜び」かもしれませんが、それで浮かれていたら、全国大会の初戦で敗退してしまうかもしれない。油断大敵です。

でも、地区予選で敗退したからといって、人生のすべてが終わるわけではありません。スポーツの世界は勝ち残ったわずか0.00…1%の人ぐらいが、国を代表する立場になり、世界で戦って、1つの金メダルをとるように、99%の敗者によって成り立つのがスポーツの世界。

いや、スポーツだけでなく、多くの業界業種においても、優れた人はいくらでも上にいる一方で、その下には途中破れたり、それ以上の能力が高まらない人たちがたくさんいる。

だからといって、それら99%の人に価値がないなんてことはないでしょう。見える景色と、努力したうえで積み重なったそれまでの時間と失敗。そこから出来ることを考える。人生は、常に「ピラミッド」の中にいるのではなく、そうした競争は「訓練」のためのステージにすぎないのです。

ある分野ではどこまでいくのか。そうした訓練を経て、人生は長い「水平」をどっちのほうこうに、どこまでいくのか。だから、優劣のないフラットな空間を進むことだということです。

階級というのが「概念」で決まるもの。そして、ある1つの分野にすぎません。水泳選手でオリンピックの金メダルをとったからといって、ミシュラン3つ星のコックになれるとは限らないように、得意不得意を含めた様々な特技や能力は、一生かけても獲得できないほど可能性が無限にあるのです。

4、いくつもの分野をまたぐ人生

だから、一生を1つの分野に決める必要はありません。10年一つの区切りで何かを極めることは大切。でも、それで一生を食いつなげたり、生きていける人はそういません。人生80年、90年という時代になったと言われるこれからの社会においては、学生時代の専攻ににかぎらず、社会にでてからも、また新しい分野を身につけることが必然的に求められるのです。

それは、仕事であってもいいし、趣味であってもいい。あるいはまだわからないけど新しい分野にチャレンジしてもいい。道を極められるかは、10年単位で考えればいいこと。

社会人になってから、新しいことにチャレンジしてますか?
成人したら、学ばなくていいなんてことはないのです。

また1つ、もう1つと新しいことに取り組む。生涯勉強すること。その謙虚さこそが、これからの可能性を、そして年を老いても楽しみややりがいを与えてくれるように思います。

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