見出し画像

1つの答えは、同じではない

どっちにしようか迷った時、いい方か、わるい方か、二択だとする。多くの人はいい方を選ぶ。そんな当たり前の話だと思うでしょう。でも、より深く考えるってことは、100個の選択肢から1つを選ぶ。仮に同じ1つの選択肢を選んだとしても、結論にいたる量と深さは大きな違いなのです。

1、「かもしれない」運転に見える本性

運転免許証を取得したことのある人なら、知っているでしょう。座学でやる「かもしれない」運転という授業。シミュレーターをつかって、運転しながら、飛び出しやボールが転がってきたり、あるいはいきなり自転車が右折して進路を塞いだりすることを予測するアレです。

そんな「かもしれない」ということを想像しながら運転することが、事故を未然に防ぐことにつながりますよーっていう講習なのですが、とても大事な考え方の1つだと思うんですよね。

たいてい世の中の人の多くは、不安なことがあれば、進むのを恐れたりして、慎重になることでしょう。でも、世の中には、一部の人ですが「大丈夫だから大丈夫」というわけのわからない論理を持ち出して「危険なことや失敗はない」という結論を導き出す人もいるのです。

そういう人ほど、運転をする時に、飛び出しがいきなりあったりすると「あぶなーい!」と動作よりも声がでたり、ウインカーを出さずにいきなり曲がったりする。客観的には自分勝手に見えますが、当の本人には「周りが理解しないのがわるい」とそもそも主観と客観が一致していません。

そんな世の中ですから、人が二人以上集まれば、ズレや衝突が起きて当然。特に、安全や人の命に関わる仕事には付いてほしくないものです。

2、世の中の「予測」するということ

そんな様々な性格や考え方が世の中にあふれる中で、「ちょっと先」の未来を予測できる人がいます。「トレンド」や「分析」といった分野を対象とする人たちです。わかりやすく世間に認められている仕事としては、気象予報士が一番身近ではあると思いますが、膨大な気象観測データから、スーパーコンピュータで予測した様々な気象データの行く末を通して、明日が晴れるのか、雨が降るのか、あるいは台風がどちらに向かうのか、を予測する。

これらは、過去から現在に至るデータを用いて、未来を予測する方法。言ってみれば「連続性のあるデータ」に基づき、その方向(ベクトル)を指し示すようなもの。だから、予測する未来は、明日とか明後日のちょっと先ですが、当たる確率は比較的高い(といっても台風進路は未だに当たりはずれがたくさんですが…)のです。

一方、世の中のトレンドや新しい流行などを予測するような、マーケット分析と言われる分野では、データの重要性は加味されるものの、「不連続なデータや現象」から予測をすることがあります。言語化されている言葉で示すなら「インスピレーション」や「着想」とでもいいましょうか。

様々な情報を踏まえ、その人の頭の中で「ピンっ」とくるものが生み出される。脳の中のシナプス結合なのか、はたまた膨大な情報処理がその中で行われているのかは外部には見えませんが、少なからず「予言」的な位置づけで、未来を予測し、比較的「当たる確率が高い」という人もいるわけです。

3,「予測」は「公共」か「宗教」しかビジネスにならない

では、そんな「予測」が世の中に役立ち、そしてビジネスとして存続するための要件はなにか。それは2つのタイプしかありません。

一つは「法律」という形で強制的に存在を肯定するもの。例えば気象予報士のように予想が乱立しては社会が混乱することから、一定の能力や範囲を定めて、「公共」としての役割を付すことで、独占的な地位を存続させるというもの。あるいは「教授」のように知の基盤としての役割を与えることで、予測の失敗成功に限らず存続を確立するものです。

もう一つは「宗教」です。新興宗教が終末思想を唱えて、それを信ずるものは救われるといって、様々なグッズ販売やお布施を促すことや、賭け事での順位予想をすることで「当たりやすい」という信望のもと、一定のサブスクリプションで信望する集団を大きくし、それが集客につながるというものです。一定の確率で当たることもあるでしょうが、外れても「その先」を期待させる期待と誘惑で、底にとどまることを誘発する。言い方が悪ければ、それは「詐欺」ともグレーゾーンな扱いなわけです。

金融の世界では「アナリスト」という存在が、売買部門とは切り離して独立した存在でなどという大義名分を建前としますが、つまるところ「売れ筋」が収益の柱に成る以上、一定の忖度や交流がゼロとは言い切れないでしょう。

こうして、世の中の「予測」ビジネスというのは、大方が「法律などによって強制させる」か、「人を騙すこと」で成立させることしか、手段がないように思います。

もし、誠実に「予測」したり、間違いを「認める」ことがあっても、そこに、Continuity Plan(持続可能なプラン)を提供する存在やバックボーンはないわけです。つまるところ、あたったという結果に基づく感謝はされど、対価を支払う人はいない、ということ。

結果的に、「予測ビジネス」は「期待」はされど、「持続」することは困難であるというのが、この市場経済における掟なのです。

だから、若い世代に「市場予測やマーケティングがしたい」なんていう期待と華やかさを求めて就職や就業を希望する学生がいたら、是非いっておきたい。

「ぜったいにやめておけ」と。

いいなと思ったら応援しよう!

alltogethergoheven
日本と世界を飛び回った各地域の経験と、小論文全国1位の言語化力を活かし、デジタル社会への一歩を踏み出す人を応援します!