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駆け抜けすぎて、2024。
「町中華屋のマイコー」を公募に出した。同人誌に載せても、ネットに載せても応募可な公募。倍率的に、1次通過したら万々歳だなとは思うけれど、送り出してみた。
創作大賞の中間選考結果待ち中、なぜあんなに普通で居られたのか分からない。いや、普通でもなかったのか。気を逸らすために製本に勤しんでいた。
今年の創作大賞は、去年と段違いのプレッシャーがある。去年は中間選考通過したんだからとか、それ以降の公式からの拾われ具合とか、そんなことを考えると、どうしても「今年も中間選考通過して当たり前」という追い込み方をしてしまう。なお去年は「通過するっしょ〜(したらラッキー)」くらいのスタンスだった。
2023-2024年のnote生活が、恵まれすぎていたと思う。今更それを実感して、もう後戻り出来ないような、ここまでの幸運を活かさなければならないような気がしている。
もし「マイコー」が中間選考を通過しなかったら?
ちょっと、立ち直るまでにどれくらいかかるか分からないかも……。でも、あれだけ愛した「針を置いたらあの海へ」も散ったのだ(ということは2025年には中間選考通過する可能性もあるってことじゃない?!)。
公募で落ちる、これは初めてじゃない。
たとえ「あいつ落ちたんだ」と思われたとて、それは私の何かに直接触れるものじゃない、そう言い聞かせて、先にあるものに過度に怯えないようにしたい。
同人活動を楽しみたい、という気持ちもある。
改稿しながら、「同人だからこそのびのび書ける」と実感した。
「マイコー」を例にとると、冒頭でミライくんは、テイ・トウワの「the burning plain」を聴くが、公募に出すにあたりここはバサッと曲名カットした。多分、必然性のない固有名詞が続くのは良くないだろうと思ったからだ。さらにその後にYMO高橋幸宏のくだりが続く訳だが、テイ・トウワも高橋幸宏もYMOも知らない読者はここで脱落するぞ? と思われるに違いないし。
なお、その後の「僕はいいけどYAZAWAは何て言うかな」はストーリー上なんの必然性もないが、好きすぎて残した。YAZAWA故に落ちたら本望や!!
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趣味で書くなら、ガンガン自分の好きな曲や映画の要素を突っ込んでいきたい。それが物書きとして、現実の作品に依存していると思われてもいい。
公募の落選と、一旦の通過と、そして同人活動。全てを2024年に経験し、それぞれの面白みや緊張感を知った。駆け抜けすぎていたあの頃には気付いていなかったけれど、相当に濃密な期間だったと思う。
忘れてくれるな。
2024年は
・1月 処女作「あいこさんの相続人」執筆
・2月 2作目執筆
・3月 3作目執筆、すば新応募。「あいこさん」エブリスタ特集入り
・4-6月 「針を」執筆
・7月 「旧マイコー」執筆、「針を」エブリスタ特集入り
・9月 中間選考発表、「現マイコー」執筆開始
・10月創作大賞落選、文フリ準備開始
・11-12月「現マイコー」「モリス」「今フリ」執筆、文フリに全てを捧げる
・その間noteの私設コンテストにいくつか参加させていただく
休め。
お前は1ヶ月休んでも許される。
その間本を読め。
脳が枯れる。
書きたいものはある。爽やかでなく、ちょっと気持ち悪く、でも必死で再生する人の話。多分創作大賞向きではなく、同人で売るという感じでもなく。どうにか発表の仕方を考えようとは思う。これまでの明るい爽やか系の作品を読んでくださってた方々に、こういうものも書くようになったんです、とお見せしたい気持ちもある。まぁ、全ては書けてからのお話。
マイコー1本で創作大賞に挑んで散った時に辛すぎるから、是非とも別の作品も応募したい。が、ホラーやミステリー以外だと、多分明るく爽やか、優しく希望の持てる作品が相応しいだろう。もう一度、手癖でなくそういうものを書けたらいいなと思う。
今までストックしていた明るく爽やかなものは、マイコーで出し切った気がするので、また別の切り口の描き方で、口当たり柔らかなものを書いてみたい。
とりとめなく書いてしまった。
最近は一応、フリ落ちを考えて書いてきたつもりだったけれど、たまにこうして完全ノープランで書くのも悪くない。
こんな、緩いアウトプットではすり減らないくらいの蓄積が欲しい、中身の詰まった袋でいたい。そのために、たくさんのものを詰める期間を設けようと思う。
こっちのけんと活動休止の報に希望を貰った。生き続けるために、創作を手放さないために活動をセーブする選択ができる強さ。ペースを緩めることが怖くて、駆け抜けすぎていた自分には響いた。休んでも、ペースを落としても、まだ自分はやれると、己の執念を信じる2025年にしたい。
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