「町中華屋のマイコー」#3 干焼蝦仁(エビのチリソース煮)
久しぶりに俺の部屋で、達海さんと二人、ダラダラとお菓子を食べつつテレビを観ていたら、突然画面が真っ暗になった。
そして、ダンッという効果音の後、
ーーセカンドチャンスを……掴み取れっ……!!
という物々しいナレーションが流れた。
「……来たな」
「……来ましたねぇ」
「……これ、来るな」
「……来るだろうねぇ、今年は」
数秒後、俺と達海さんのスマホが同時にヴーン、と震動した。通知内容を見る。俺と達海さんと、彼女の三人のグループにメッセージが投稿された。
送信者:rui
"ご無沙汰しております。
やって来ましたね、この季節が"
ルイが、来る。
ルイは俺の高校の同級生で、一浪ののち、高校中退歴のある俺と同じタイミングで美大に入学した。大学は全く別だけれど。
「懐かしいねぇ、TheSECOND」
「あいつまだちゃんと推してんだな」
ルイは漫才賞レースTheSECONDの熱いファンであり、かつては3人で観戦したこともある。浪人時代は自粛していたようだが、晴れて自由の身となった今年は、また観戦しよう、という誘いだろう。
そして推しているのは、TheSECONDだけではない。
“ルイちゃん久しぶり!
楽しみだねTheSECOND”
“たっちゃんさん察しが良すぎます。
言葉はいらない。推せすぎます”
推せすぎる。日本語としてどうなんだろう。
要は、引き続き達海さんを推してますってことだ。
“もうみんな大人だし、今年はウチで観戦してもいいよ〜。中華料理好き?”
「何でいきなり中華だよ」
「いや、”楽々”の料理テイクアウトしたらさ、色々食べられるしいいかなって。あそこふつうに美味しいし」
俺たちの会話が1ラリー終わるか終わらないかのうちに、またスマホが震動した。
“そんな……たっちゃんさんのご自宅に突撃してよろしいんでしょうか。靴下5枚着用して馳せ参じます。中華大好きでございます”
一旦躊躇しといて、来る気満々だ。
“よかったー!俺たち今マイコー目指してるんだ!!”
「おい、訳分かんないって。辞めてやれよ。今頃Google翻訳かけてんぞ」
「えー、通じないかなぁ」
“マイケル・ジャクソンですか。
ゼロ・グラビティ練習して行けばいいですか。”
何でこの二人通じ合ってんだよ。そしてさっきのメッセージ、マイコーが解読できたとて引き続き意味不明だろ。飲み込みが早すぎる。
ルイの推し愛が成せる業だろうか。俺は当初全く意味が分からず、何ならちょっとイラついていたのに。複雑な気分になりながら、俺は、近所の町中華屋でテイクアウトしようぜ、ということと、達海さんちの住所を送信した。
当日ルイは、相変わらずなきっちりとしたポニーテールに、真っ黒のワンピースという出立ちで駅前に現れた。
と思ったら、それはY'sの新作だった。よくよく見ればドレープの寄せ方がとても凝っている。確か、定価5万円くらいするはずだ。
「ルイ気合い入りすぎだろ。家で漫才観る格好か?」
「相変わらずファン心理を分かってないわね。約1年振りに推しに会うのに、ハンパな格好で来れる訳ないじゃない」
「すごいねぇ、バイト代で買ったの?」
「恥ずかしながら、両親に入学祝いとしてねだりました。入学式にもこれとジャケット着用で」
「本気の一張羅じゃねぇか」
スーパーで飲み物を調達し、町中華屋”楽々”で料理を受け取って達海さん宅へと向かう。夕食には少し早いから、三人でアイスティーを飲みつつ近況報告をし合った。
「ルイちゃん学校どう?」
「意外と普通の大学生活、という感じですね。一年生だと語学や体育なんかの一般教養も多いですし」
「グラフィックデザインて実技何やってんの」
「デザインソフトの使い方とか、印刷技術とか、タイポグラフィーなんかもやるわね」
「タイポグラフィー、ってどんなの?」
「簡単にいうと、文字のデザインですね」
一年生と言えど、学科が違うと結構やること違うなぁ、と思った。俺は、先週は陶芸でろくろ回してたから。
「ねぇ、美大って変わった人いっぱいいるイメージだけどどう?」
と達海さんが尋ねる。
「それも、意外と想像してた程ではなかったです」
「あー、俺もそう。今は周りが一年生ばっかだから、みんな小綺麗だしお洒落な人多いってのもあるけどな」
専攻が決まっている2年生以上は、油絵科の人が絵の具だらけのツナギを着ていたり、彫刻科や、工芸科で鍛金を専攻している人が、肉体労働するための格好をしていたりというのが、日常的な風景だ。どう見ても高校のジャージの人も居た。
「ジャージもツナギも、TPOに合わせた格好よね。あの格好で結婚式に出席したら変わった人かもしれないけど。あぁ、喫煙所ではちょっと様子のおかしくなってる人に遭遇するわね。髪と無精髭が伸びて、俺はさっき人を殺してきた、みたいな目をして俯いてる人とか」
俺と達海さんが固まった。
ルイは、この前の水曜日にハタチの誕生日を迎えたばかりだ。
「お前喫煙者だったのかよ、それは解釈変わってくんぞ」
達海さんは無言で頭を抱えている。これ、なんか知ってる感じだ。
「達海さん、知ってた?」
無言。さっさと否定すればいいのに、相変わらず正直な人だ。推してはないけど俺にもルイ同様、通じ合えるものがあって内心ホッとした。
「市原君には申し訳ないけれど、現役不合格が確定した時、腹いせにたっちゃんさんと一服させてもらったわ」
「ルイちゃん、ダメだよ言っちゃ……ていうかあの後日常的に吸ってた?」
「とんでもない。誕生日にようやく再デビューしたまでです」
「ルイ、身体に良くないぞ」
俺は全く普通の人としての助言をした。
「大丈夫、吸いたいというよりは喫煙所に入ってみたかっただけよ。なかなか良いデザインなの」
「ルイちゃん、俺が言う資格ないけどさぁ、ホントやめてね。百害あって一利なしだよ」
本当に達海さんには言う資格ないと思うが、彼が俺の前で吸うことはほぼ無いし、まぁ十害くらいのもんだろ。一利はないけど。
「ところで市原君はサークルには入った?」
動揺する俺たちを置いて、ルイはさっさと別の話題に切り替えた。
俺はサークルに入った。そして一時、変わった人になりかけた。
*
オリエンテーションの日、キャンパスにはサークルの勧誘のために上級生が集まっていた。
小雨の中、どんどんシナシナになっていくチラシの束を抱え、人だかりをかき分けて進んでいった。その奥にあるテントの下、小さな机を構えて、ちょこんと二人の女子学生が座っているのが目に入った。戦隊モノやアニメキャラのコスプレをした、気合の入った学生も多い中で、その二人は何だか牧歌的な雰囲気すら漂わせていた。
机には「手芸サークル」の張り紙。
俺は、迷わず歩いて行った。知らない人だらけの中で、見知った顔を見つけたような、そんな気分だった。
俺は無言で机の前に立ち、そこに並べてあるガラスのアクセサリーやフェルトのぬいぐるみを凝視した。女子学生が
「……あ、こんにちはぁ……」
おずおずと声を掛けてくれた。
そうだよな、昼間に人に会ったら”こんにちは”だよな。傘もささずにいきなり早足で近づいてきて、無言で仁王立ちし見下ろしてくる俺は、変わった人に見えただろう。
「こんにちは。……何作っても良いんですか」
これもよろしくない。爆弾作ろうとしてる奴みたいだ。でも、二人は戸惑いつつも
「えっと、そうですね、みんな好きなもの色々作ってますよ。って、一昨年出来たサークルだし、六人しか居ませんけど」
「お兄さん、何か作りたいものあるんですかぁ?」
と応えてくれた。同世代にお兄さんと呼ばれる。新鮮な響きだ。高校時代ならあり得ない。
編み物が好きで……と答えると
「編み物する子居ますよー。専攻も染めだし、糸の事も詳しいですよ。学科、どこですか?」
「工芸科です」
「あぁ、じゃあその子と一緒だぁ」
非常に心強い、と思った。工芸科は、彫金も金工も織りも染めも、ガラスも陶芸もやるので、選択肢がありすぎる。同じ学科の先輩と仲良くなれば、それぞれのコースでどんな作品が作られているかとか、教授について教えてもらえるだろう。
「入ります」
「えっ」
「サークル、入ります」
俺は、挨拶と宣言以外ろくに情報交換しないまま、一方的に闖入した。
入部してみれば、まぁ予想はしていたけれど俺以外全員女子学生だった。定時制高校ではクラスに同世代の女子はいなかったから、2年ぶりくらいに同世代女子複数名に囲まれることになる。
かつて通っていた、ルイと同じ全日制高校では、随分女子に振り回されたし、怖い思いもした。今思うと、そこから逃げるように中退した訳だが、俺は、今だったら大丈夫なんじゃないか、という気がしていた。
それは紛れもなく、ルイのお陰だ。恋愛感情抜きで、しょうもないメッセージのやり取りをしたり、真剣に相談に乗ってくれたりする女子が居るということを俺は知った。「女子」と一括りにして遠ざけることは、俺を「男子」像に縛り付けた人たちがやることと同じだ。
自ら望んで入ったくせに、早速”芸術””美術”の得体の知れなさに飲まれそうになっていた俺が、このキャンパスに、手に馴染んだ編み棒を持てる場所を得る。それはきっとプラスになる、そう思った。
数日後、サークルの勧誘をしていた二人のうちのひとり、二年生の植田さんからメッセージが届いた。
”植田です!これからよろしくお願いします^^
今度新歓をやろうと思っているんですが、市原さん、甘いものはお好きですか?
昨年の新歓では、お酒が飲めない子も多いのでホテルのアフタヌーンティーに行ったんです。もし甘いもの苦手だったら、ランチ会にしますので、遠慮なく言ってくださいね!”
穏やかだ。あのコスプレ学生の渦の中に居たとは思えないほど、穏やかだ。
そして、アフタヌーンティー、大歓迎だ。俺は甘党だし、達海さんを伴ってアフタヌーンティーに行く気には流石になれない。もちろん、一人でも無理だ。
”甘いもの好きです。よろしくお願いします”
送った後で思ったけれど、上司と部下みたいだ。上司は、俺。植田さんは戸惑っているだろう。
当日、新宿にあるホテルの高層階で新歓アフタヌーンティーは開催された。
今年は俺の他にもう一人一年生が入部したが、やっぱり女性だった。俺は申し訳ない気分になった。
歴史が浅いサークルだから、ほぼ身内で立ち上げたようなものだろう。女性同士だからこそ盛り上がれる話もきっとあるし、その上俺はどう頑張ったって「愛想がなかったことに数分後に気付く」くらいしかできない人間だ。あの牧歌的な穏やかな雰囲気を、壊してしまっていないだろうか。
そんな不安を抱きつつ食べても、アフタヌーンティーは抜群に旨い。サンドイッチ・スコーン・ケーキの定番の三段に、フィンガーフードのワゴンがテーブルを廻り、好きな物をサーブしてもらえる。紅茶やフレーバーティーも十種類あり、飲み放題。
五時間くらいは居られるな、と思いながらスコーンを割り、こってりとクロテッドクリームを盛っていたら、
「市原君は、クロテッドクリームの上にジャム乗せる派なんだね!」
と水を向けられた。
「あ、そうですね。ジャムの甘味より先に、クリームのコクが欲しいので」
こだわり~!ホントに甘いもの好きなんだねー、と全員に反応され、俺は一気に緊張が解れた。
そこから、どうして編み物好きなの?と聞かれ、母親がニットデザイナーであるとか、ばあちゃんがニットカフェやってますとか話すと
「すごーい、今度行ってみたいね!」
「作品どういうの作ってんのぉ?」
と、同じハンドメイド好きとしての盛り上がり方が出来た。
もう一人の一年生の女子学生は、レジンのアクセサリーが好きらしく、ドライフラワーやアンティークのビーズを閉じ込めた、美しいバングルの写真を見せてもらった。
「これ、家で作ってるの?」
「はい、海外行ったときに、デッドストックのアクセサリーパーツ買ってきたりして、お姉ちゃんと兼用のアトリエで……」
そう、美大にはお嬢様が多い。だいたい、美大自体が学費が高いし、そこに辿り着くための美大予備校の学費だって高い。入学したらしたで、材料費もかかる。普段絵具や泥まみれになっていようと、休日に優雅なアフタヌーンティーを嗜んで何ら不思議はない。
植田さんが、私の彼氏も工芸科の三年生なんだよ、と教えてくれた。専攻は何ですか、とか、これから就活で忙しくなるからすれ違いそう、とか話した後、自然な感じで、しかし若干の緊張を滲ませながら
「市原君は、彼女とかいるの、かな?」
と聞かれた。
これは分かれ道だぞ、と思った。
女性ばかりの和やかな集団の中に、一人男が紛れ込む。万が一サークル内で恋愛がどうこう、となったら面倒だ、と皆思っているんじゃないだろうか。相変わらず自意識過剰だけど、何より、俺がそう思っている。女性を遠ざけたいわけじゃない。俺はどうしても、同じコミュニティ内で恋愛感情を向けられる、という経験をしたくないんだ。
俺に既に彼女が居たら、ひとまずは面倒事は起きないと、皆安心するだろう。
しかし俺は、この場にいる全員を、もっと安心させることが出来る、と思った。
俺は今日一番の笑顔で
「彼女はいません。でも、彼氏がいますよ」
と言った。
一瞬、ほんの一瞬だけ場が静まった後、わあぁそうなんだ、素敵だねー。え、幸せそー、どんな人なの?と一様に安心した表情で皆が言った。
すごく背が高くて、全身に柄入ってます、と言うと
「強っ」
「想定外ー!」
「え、写真ないの写真!」
と、だいぶ本気の盛り上がりを見せた。もちろん、写真は見せない。
俺は、気付いていたんだ。俺が高校時代に怯えていたのは、「性的な視線」だけじゃない。「探る視線」であると。市原は、女に興味なさそうだけどどうなんだ。あいつの前で着替えたらやばいんじゃねぇの。そういう視線に腹が立ち、放っといてくれと逃れたかった。
俺はこうです、とさっさと言ってしまえば、探る視線に翻弄されることはない。
一方で、不思議な話だ、とも思う。
彼氏が居ます、と宣言することで、俺は「同性愛者」ということになった。それは、女性達を安心させた。そして、俺も安心した。
でも俺は同性愛者か、と言うと、それも違う気がする。誰も好きになりそうにない人生の中で、唯一好きになった人がたまたま男性だった、という事実しか持ち合わせていないからだ。
例えば、達海さんの脳が、小柄な女子学生の頭蓋の中に入っていたとしたら。
その女子学生が、「目を貸すよ」と言って一緒にニットを編んでくれて、一緒に作品を描いて、弱音を吐かせてくれたなら。
俺は多分、その子のことを好きになっていると思う。そして、「フツウ」の異性愛者だったんだなぁ俺は、と思って生きていった、かもしれない。その人の何が普通で何が普通じゃないか、というのは、外見やスペックじゃなかなか分からない。下手したら本人にも分からない。
俺は未だに、俺自身を探っているのだ。
でも、明確な答えなんていらない。だって、それが判るとき、俺は、誰かを好きになるという事例をもうひとつ積み重ねている、ということだから。
*
今日はテレビ観ながらだから、ちょこちょこつまみやすいものにしようよ、と達海さんが言ったのに、ルイはエビチリだけは絶対に食べると頑として譲らなかった。推しを崇拝しているくせに、割と本気で歯向かう。
・干焼蝦仁(エビのチリソース煮)
・東坡肉(豚の角煮)
・蘿蔔糕(大根餅)
・蟹味噌小籠包
・麻辣小籠包
・水餃(水餃子)
・春巻
・海鮮炒飯
俺がメニューをメモしていると、ルイが一張羅のワンピースの上に、白い割烹着を纏い始めた。
「え、何してんの」
「汚したくないじゃない。Y's着て丸腰でエビチリは蛮行よ」
せっかくのY'sが台無しだ。山本耀司が泣いてるぞ。
「すごいねぇ、ルイちゃん来てくれたおかげで一気にマイコーに近づいたよ!」
「マイコーに近づく、とは」
「あのね、あの中華屋さん、マイコーの御用達の店だったみたいなんだよね。でも、どの料理食べてたか分かんないから、全メニュー制覇して、マイコーのお気に入りを食べたってことにしよ、って」
「成程、『マイコー』はマイケル・ジャクソンの意であり、『マイケル・ジャクソン御用達の料理』の通称でもある、ということですね。そして、たっちゃんさんらしい素敵な試みです」
「全肯定オタクはよくねぇぞ」
あら、でも結局市原君もマイコー探しに参加してるじゃない、とルイが言った瞬間にTheSECONDが始まった。間一髪だ。
推しの前で割烹着着てまでエビチリ譲らないルイも、すぐ飽きるかと思いきやもう三ヶ月マイコー探しをしてる達海さんも、ちょっと変な人ではある。
だけど、変な人、と言ってしまうと何か突き放したような距離感を感じるから、愛情を込めて「ヘンテコな人たち」と呼びたい。
この二人を、ヘンテコな人たちだなぁと思いつつ、そのヘンテコに巻き込んでほしい俺は、まだまだ「普通」だよな。そう考えてエビに箸を伸ばし、そして取り落とし、お気に入りのシャツに早速シミを付けてしまった。