短編小説1(前編) 流血のディエップ~怠惰終焉~
【ジャンル】戦記
【視点】一人称
【時代設定】1942年8月19日。
第二次世界大戦のフランス ディエップ海岸。
【主人公】ジュビリー作戦参加のカナダ兵(第2歩兵師団隷下ロイヤル・ハミルトン軽歩兵連隊所属)
※グロテスク表現あります。苦手な方はご注意下さい。
ちくしょう、ちくしょう!
オレ達は街を襲う海賊よろしく大暴れする手筈じゃなかったのかよ?
それがなんで…どうしてこんな無様な事になってやがる!?
オレは胸中でのたうつ怒りと焦りを隠しもせず、ただひたすらに玉砂利をかいた。
状況は最悪を通り越して絶望的だ。
敵のドイツ軍の水際戦術は、こっちの予想以上に巧みだった。
カナダ軍の上陸用舟艇のランプが降りたタイミングで、右手に見える古びた城がそびえる断崖と、胸壁の向こうに乱立するカジノやホテルをからの十字砲火。
おかげで勇猛なる我らロイヤル・ハミルトン軽歩兵連隊は、上陸早々に玉砂利でお遊戯というロクでもない状況に陥った。
数時間前に船倉で仲間と交わした余裕の会話が今となっては懐かしい。
「イギリスがナチにやられたら今度はオレ達だ。ヤツらがソビエトに食いついてる隙にケツを蹴り飛ばしてやれ。文字通り命を賭けてな」
そんな勇ましい長口上を垂れた小隊長はすでに顔面を撃ち砕かれて仰向けに転がっている。
ガキが見たらミートパイも食えなくなるようなひどい有り様だ。
オレは生来の目の良さを恨みつつ低く伏せながら石つぶをスコップで掘り返し続けた。
あいつはその賭けとやらに負けたが、オレは必ず生き残ってやる。
前をふと見渡せば小隊長に続いて先行したA分隊の隊員が倒れているのが見えた。
その大半が腕や足もあり得ない方向にねじ曲がっている。あれじゃボロ雑巾の方がまだマシってくらいじゃねぇか。
中には気違いじみた叫び声を上げながら飛び出した腸を腹に戻そうとパニックになっているヤツもいる。
誠に御愁傷様というほかない。
裂かれた腹から遠慮なしに入って来る塩水でさぞかし痛かろうに。
「ウィーロウ伍長、指示を!指示を下さい!」
一等兵が顔を引きつらせながら泣きついてくる。
小隊長が戦死しA分隊が壊滅した以上、この小隊はオレのB分隊と仲間のC分隊の合計16名のみ。
もちろん、この見積りだって希望的観測というやつでしかない。
なにしろC分隊はおろか自分の属するB分隊の状況すら掴めていないのだ。
おそらくはもっと数を減らしているだろう。
狼狽する気持ちを抑え、部下に伝える。
「泣き言たれる暇あったら、穴掘って身を隠せ!この玉砂利なら、敵の銃弾を弾いてくれるさ」
そんな保障はどこにもありはしないが、今はそうする以外に方法がない。
なにしろ、海岸に張りつけた隊はまだ運が良い方で、中には上陸用舟艇に乗る小隊ごと全滅した部隊もいるのだ。
このホワイトビーチの東隣に接するレッドビーチも似たような状況で、同戦区に殴り込んだエセックス・スコティッシュ連隊も海岸線に釘付けにされているのが見えた。
カナダ軍は主力の上陸地点をホワイト、レッドと銘打ち、前者をオレ達ロイヤル・ハミルトン軽歩兵連隊、後者をエセックス・スコティッシュ連隊に割り当てた。
その両側は、それぞれグリーン、ブルーと呼ばれ、同じカナダの部隊が配置されている。
さらに、ちょうどレタスとハムを挟むサンドイッチのパンのようにオレンジ、イエローと命名された海岸にはイギリスのコマンド部隊と、分散配置されたアメリカの海兵隊がカナダ軍の両側面を支援する為に上陸していた。
つまり、今張り付いているホワイトビーチから右手の断崖の奥に、グリーンビーチに上陸したカナダ軍サウス・サスカチワン連隊がいるはずなのだが、西岬からけたたましく機関銃弾が鳴り響いているのを聞くと状況は芳しくなさそうだ。
気がつくと北フランスの夏の陽光が玉砂利を照らしはじめている。
くそっ!もっと夜中に上陸出来てりゃあ、敵の目を眩ませただろうに、上の連中は何やってんだよ。
普段なら観光客を魅了するさぞかし美しい光景なんだろうが、今のオレ達にとっては身を隠す手段が無くなる事を意味する。
ありがたみもへったくれもない。
早く海岸を突破しなければ、ここで全滅の憂き目にあいかねないが、この状況では、海岸の勾配を利用して少しでも身を隠さざるを得ないというジレンマ。
いくら積んでも崩れかける石粒に苛立ちながらも、曲がり形りの掩体をようやくあつらえた頃には、腕時計の針は6時を指し示そうとしていた。
上陸から2時間近くも海岸で釘付けにされていたという事実を突き付けられているようで情けない事この上ないが、身が少しでも隠せるだけで次第に平静を取り戻して来る。
一呼吸すると、そこから周囲を改めて観察した。
正面の胸壁の上にそびえ立つカジノやホテルの窓辺から光が瞬いているのが見える。
あのひとつひとつが敵なんだ。オレをこんな状況に落としている憎むべき、殺すべき敵だ!
このままトカゲのように這いつくばっているのも良いが、光が見えるのなら射手も居るという至極当然の事実に思い当たる。
その瞬間、自分を最悪の状況に落としている目前の敵兵達に対して、体が浮き上がるような猛烈な怒りが湧いて来た。
「ぶっ殺してやる!」
右側に置いていたリー・エンフィールドの銃把に手をかけ、積み上げた玉砂利に添えるように構えると、正面のカジノの窓辺に1発、2発と叩き込む。
3発目の反動が肩を叩いた瞬間、正面の光のうち一つが途絶えた。
当たった!?ざまぁみやがれ!
興奮に胸を焦がしたその時、積み上げた玉砂利がそこかしこで跳ねる。
まるで仕返しと言わんばかりのMG34機関銃による重い応射に、ただでさえ頼りない自前の防御陣地が削られていく。
オレには一転して亀のように肩をすくめて鉄火が過ぎるのを耐える事しか出来なかった。
くそっ、くそっ、くそっ!
蛮勇を振りかざした事を後悔したその時、着弾する敵の銃砲弾とは別の、重く下から突き上げられるような振動が全身に伝わって来る。
ふと左横に目をやると、規則正しく並んだ小さないくつもの転輪が、すぐ脇を通り過ぎていくのが見えた。
カナダ軍カルガリー連隊のチャーチルMkⅡ歩兵戦車だ。
やつらはこの海岸に歩兵支援の為に投入された期待の戦車連隊だった。
地を這い行くその姿は、ガキの頃に絵本で見た竜のようにおぞましくも頼もしい。
いいぞ、このままヤツらを潰しちまえ!
だが、そんな友軍戦車の頼もしい前進に心の内で歓喜した矢先、チャーチルは車体を右に旋回し始めた。
戦車という兵器は前面の装甲が最も厚く出来ている。
このチャーチルシリーズは、ちょうど同時期に生産が開始されたドイツのティーガー戦車と同等の最大102mm。
敵に前面を向けている限り、機関銃はもちろん、対戦車砲すらはね返す。
なら、なぜ目の前の敵陣地に対して側面を曝すようなマネを?
訝しんでいると、右の履帯が前部の誘導輪を伝って押し出されていくのが見えた。
故障か?いや違う、自重と玉砂利の摩擦に履板同士を繋いでいるピンが耐えられず折れ、履帯が切れたんだ。
それでも鋼鉄の獣はその砲塔を振り回し、猛り狂ったように主砲の2ポンド砲の同軸に備えるベサ機関銃を乱射した。
カジノの壁に土煙が上がるにつれ、心なしか敵陣からの攻撃が弱まっていくように思えた。
戦車が敵の動きを拘束してくれる分、こちらも安全が確保しやすい。
気がつくと、ディエップ海岸には10輌以上のチャーチル歩兵戦車がたむろしていた。
その大半が玉砂利に足を捕られ無残に擱座し、もはや砲台と化しているが、かろうじて堤防や胸壁を目指して進み続けている車輌もある。
その中にちょうどミシンのボビンを抱えたような不恰好なチャーチルがいた。
カーペットレイヤーという装備で、車体前面から垂らした布と鉄パイプで組み合わせたカーペットを履帯で踏みしめながらゆっくりと歩みを進めている。
あれで玉砂利に足をとられずに済むという訳だ。
その後ろに車体後部の排気管を二本の鹿の角のように伸ばしたチャーチル歩兵戦車が続く。
ディエップ海岸に上陸した同車輛すべてに、このような防水処理が施されていた。
排気管を上に伸ばす事で海水の流入を防ごうというのだ。
オレは歩兵を護り、共に進む頼もしい鉄獣の踏破を横目に、次の行動を思案した。
せっかく積み上げた玉砂利も、あのMG34によって、砂糖菓子のように削り散らされてしまった。
玉砂利遊びはもう終わりだ。戦車の上陸が始まっているなら、アイツらの後ろに隠れて進んだ方がいくらか安全だろう。
だが、前進するにしても、まずは仲間のC分隊の状況を確認しなければならない。
意を決して10メートルほど左に離れたC分隊の一団に匍匐で駆け寄る。
「そっちの分隊長は?」
「やられました!こっちは残り6人です」
「チッ…」
カナダ軍の歩兵小隊は、イギリスにならい各8名の分隊3個で1個の小隊を構成する。
各分隊は分隊長である伍長によって管理され、お互いを支援しつつ小隊長の指揮のもと任務を遂行していくのだが、現状で小隊長も他の分隊長も軒並み敵に討たれたとあっては、この小隊の指揮をとるのは最先任…つまりはこのオレ、フレデリック・ウィーロウ伍長殿という事になる。
まったく冗談じゃねぇ!
過酷な状況下で突然にして責任ある立場に押し上げられ、全てを投げ出したい気分になる。
だが、戦況は文句を言う事すら許してくれない。
この砂利浜にとどまっていても、全滅するだけだ。
先陣を切ったA分隊は既に壊滅し、B分隊もC分隊も傷つき、もはや小隊の陣容を成していない。
とにかく中隊や大隊なりに合流し、状況を進展させなければならない。
でなければ仲間ともども波打ち際に醜い肉の浮き袋として漂う事になる。
「もうここに居てもラチがあかねぇ!2時方向に擱座した戦車を盾にするぞ!C分隊、オレに続け!おい、B分隊!B分隊!」
声を張り上げ、元居たB分隊に手で合図を送る。
「クソ野郎ども援護しろ!」
今は場当たりでもいい。とにかく動く以外にマシな選択などありはしないのだ。
オレはC分隊の残余とともに駆け出す。
挙動に少し遅れて気づいたB分隊がしゃにむにリー・エンフィールドとステン短機関銃を放って援護する。
ほどなくしてから履帯を垂らしつつも未だに孤軍奮闘を続ける先ほどのチャーチルMkⅡの側面に陣取った。
「分隊射撃!奴らを殺せ!」
檄を飛ばすと、先ほどまでこちらの前進を援護していたB分隊の合流を助けるべく、市街と古城への射撃をC分隊に命じる。
自分もリー・エンフィールドの廃莢を済ませて構えた。
仲間の数を減らしたくなければ、クラウツ(※当時のドイツ兵への蔑称)どもの攻撃を僅かでも鈍らせる事が肝要。
しかし、遮蔽物のない海岸で、味方の戦車盾に出来たのは良いが、その巨体は敵から見ればまさに的だ。
敵の対戦車砲が畑に湧いたスズメバチみたいにチャーチル歩兵戦車を刺しにかかる。
「くそっ!」
鋼鉄がぶつかり合うけたたましい音が耳を打つ。
衝撃波で鼓膜が破れないように口を開けつつ不揃いな応戦を続けているうちにB分隊が合流して来た。
たったの4人かよ。最悪だ。1個分隊に毛が生えた状態にまで、この小隊はすり潰されてしまったのだ。
右後方に目をやると未だに合流出来ていない部下が一人、玉砂利に足をとられつつこちらに走って来るのが見えた。
先ほどオレに指示を仰いでいた一等兵だ。
ああ、なんて情けねぇツラしてやがる。
「早くしろ、このノロマ!」
まあ、あんなヤツでも居ないよりはマシだ。
オレは叫びながら手招きすると、援護する為に再び銃をカジノに向ける。
だがその直後、風切り音ともに、こちらに走って来ていた一等兵の上半身がかき消えた。
一瞬何が起こったか分からなかった。
チャーチルの砲塔側面に斜めに当たって跳ね返された敵の50mm対戦車砲による徹甲弾が、一等兵に直撃したのだろう。
戦車の装甲を貫くために造られたその砲弾はまさに巨大な銃弾。それが人間に当たればどうなるか、頭の悪いオレでも分かる。
二本の足が、糸の切れた操り人形のようにもんどりうって中身を撒き散らしながら崩れる。
なんでこっちに向かって倒れるんだよクソが!
突然の嘔吐感が下腹部から込み上げて来る。
ここで全てをぶちまけるのは、ただでさえどん底であろう仲間達の士気にかかわる。
堪えるしかない。
銃声。怒声。敵の対戦車砲はもちろん、味方のチャーチル歩兵戦車による砲声。
耳どころか頭までおかしくなりそうだ。
叫びだしたくなる気持ちを押さえつつ、周囲に目を配ると、30メートルほど右手に、崩れかけた胸壁を登り始める戦車が見えた。
チャーチルMkⅢ。
先ほどから盾代わりにしているMkⅡとは違い、強力な6ポンド砲を備えている。
対戦車戦はもちろん、榴弾を使えば対陣地戦もこなせるこの車輛の進出が成功すれば、戦闘が有利に運ぶはずだ。
さらにその後ろに、大隊規模の一団が追っているのが見えた。
「よし、3時方向の戦車にくっついている部隊に合流する」
こっちのMkⅡは、急場を凌ぐための盾でしかない。
たった10人という戦力でこの場に留まってもジリ貧だ。
それに、先ほどから敵の対戦車砲が火線の集中を始めている。
このままでは、いつ敵の急降下爆撃機に襲われるか分からない。
かつてのポーランドとフランス戦で見せたドイツ陸軍と空軍の高度な連携がトラウマとなっているのは、オレだけじゃない。
前方からの攻撃はチャーチルが防いでくれても、さすがに上からは無理だ。
チャーチルを狙った急降下爆撃機の巻き添えはごめんだ。向こうに合流した方がより安全だろう。
行こうが留まろうが、どのみち地獄。
ならば、僅かでも生き伸びる可能性が高い方向に賭けるしかない。
合流に間に合う為、飛び交う銃弾に構わず中腰で駆ける。部下もそれにならう。
なるほど確かに、死んだ小隊長の言った通り、戦争はギャンブルなのかも知れない。
それもひどく割に合わない。
何人もの敵の命を奪い、無数の銃弾を掻い潜った上で得られるのは、自分の命という平時ならばおよそ当たり前に手に入る報酬だ。
先に逝った小隊長は、カナダ国民がナチスの被害に遭うのを恐れていたのだろう。
立派な考えだ。守るものが何もないオレは、まだそこまでの実感は持てなないが、確かにイギリスが倒れたら、ナチはカナダを狙うかも知れない。
どのみち戦う事になるなら、小隊長の言う通り、今のうちに一発殴るのも悪くはないだろう。
古城がそびえる断崖からの攻撃を気にしたが、今はほとんど収まっていた。
どうやら状況は少しばかり進展しつつあるようだな。
「第3小隊のウィーロウ伍長であります」
目についた大尉の階級章を身につけた男に声をかける。分厚い髭を短く切り揃えた、いかにも指揮官然とした初老の男だ。落ち着いた雰囲気とは対照的に、 目の奥の眼光は鋭い。 「ご苦労、いきなりで済まないが、伍長も部下に着剣を命じてくれたまえ」
大尉は説明もそこそこに命令を下す。
よく見ると周囲のリー・エンフィールドを持つ者は皆すでに着剣を済ませている。
「護岸を越えたら、草地に張られた敵の防御陣地があるはずだ。突撃になる。戦車と共同しつつ、敵を蹂躙し、その先の市街に突入する」
マジかよ。さも恐ろしい事をさらりと言いやがるぜコイツはよ。
先ほどの達観染みた感情は霧散し、恐怖が背筋を這い上ってくる。
だが、上官の命令は絶対だ。
こればかりはどうしようもない。
「着剣!」
半ばヤケになって、わずかばかりの部下に命じる。
オレ達は合流した部隊とともに、胸壁を登りきったチャーチルに続いた。
【中編へ続く】