極めて個人的な追悼
恩人のひとりを追悼したいと思うのだが、追悼文ってのは往々にして自分語りになることが多い。
故人はあずかり知らぬ彼岸におられるから、悲しんでる自分がどうしても中心に居座ってしまうんだな。
まあでも、それも故人からの最後のギフトなのかもしれない。
自分と相手との交換を思い出すなかで、新たな自分を客観視する旅。
アキさんは、抑制の効いたプロフェッショナルだった。
我々のために、正確でわかりやすいコラムをこの世に現すまでに、どれほど探求して最新の論文を見つけ出し読み込んで血肉にしているか、それはもう途方もない作業だったと思う。
日本語ってやつは三人称の表現を手にしたのがかなり遅かったこともあって、どうしても人称性がべったりこびりついてしまう言語で、それが真っ当な議論にならない要因でもあるのだけれど、
アキさんのコラムからは常に、客観性をできる限り保持しようという態度が伝わってきた。それでいて一人称たるご自分の意見はキチンと真ん中に据えてある。
なんらかのかたちで文章に携わる仕事を齧ればわかるけど、それってかなりすごいことなんだよね。
もちろんアキさんのお人柄もあるけど、根底には研究職の方々へのこういうリスペクトがあったように思う。
どんなにキャッチーな面白subjectでも、必ず原本を添付することを怠らなかった。
あと推論を断定的に書くようなことも、一切しなかった。
ひと言で言って、温かみと誠実さのカタマリのようなコラム。
私はもともと、今太郎の出自や過去の犬たちに対する懺悔から、犬は犬であるように自由で自尊心高く生を全うしてもらいたい、という気持ちがすこぶる強いのだが、
そういう私の偏向した嗜好を満たす論文をたくさん紹介してくだはった。
きっと私だけではなく、他の善なる飼い主たちに対してもきめ細かく愛情を持って見守り、適宜アドバイスを配布してくれてたのだろう。
それはもう、情熱という言葉でしか言い表せない。
コアな部分に宿る熱を心地よい冷んやりでまるく包んだ、intelligentな魂。
こういう身体反応は、情熱を持ってしごとをするひとのみに現れる。いわば才能の発現、新陳代謝とも言っていい。
私にとっての Twitterにおける恩人はたくさんおるけれども、そのなかでもアキさんはごく初期からDMでも踏み込んだアドバイスをたくさんくださって、
そのきっかけは、私と氏に対して共通の悪意を持った野良アカウントの書き込みだったんだ。
パブリックなところでは悪態をつかないアキさんがガス抜きする瞬間をみた笑
E・マスク的なもの、ホリエモン的なものを忌避するアキさんは X以外のSNSをずいぶん探していて、新しいSNSに拠点をおくと必ず私にも連絡くだはった。
だから私がそういうとこで中途半端にしているアカウントのぜんぶに、アキさんがちゃんといる。
そのなかでもタイッツー垢は、ごく身近なことや個人的な心象を頻繁に呟く場となっていた。
パブリックでないアキさんは少し口が悪く、美しいものや可愛くて勇敢なものが大好きで、やっぱりしごとには情熱的だった。
いつだって、どこのSNSでだって、ご自分のコラムをいかに新規フォロワーにお届けするべきか
を試行錯誤していて、それは決して売名などじゃなく、犬ネコ界隈に正しくて善なるものを届けたい、広く誤解されてることをアップデートしたいという一心だったと断言する。
ああ、書いていてもまとまりがつかないし、思いが溢れて止まらない、などと80年代ポップみたいな陳腐なことになってしまうよ。
たかだかSNS付き合いが3年だか4年だかしかない私でもこうなんだから、もっとお付き合いの長い、そしてリアルに彼女を知っている方々はどれほどの喪失感だろう。
そしてまた、犬界隈の至宝でもあったアキさんのコラムに、いろんなかたちで助けられてきた善なるみんなたち、オレたちはこれから何を指針に犬を育てていけばいいっていうんだ。
これはアキさんが最後にくれたリプ。
そんなこと言ったって!と、私は子どものようにおふおふと泣いてしまったのだった。
R.I.P
私が生をまっとうするまで待っていてね
会ったことはないからお顔はわからないけど、きっとニコちゃんニヤちゃんがそばにいるから、それを探せばいいんだよね。
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