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この国で女性として生きるということ

個人的な経験をもとに、私的な見解を書いた文章です。不快に思われる方がいるかもしれません。
性別に関するトラウマのある方は、ご遠慮いただくことも検討ください。





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私は身体的に女に生まれたものだから、痴漢の標的になることがあった。
(さらに悪いことに、未成年の頃の私が標的となった。)


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外見的に女であることにより、容姿での優劣づけにさらされたこともある。
(往々にしてそれは助言の様相をしていたことが、話を余計に複雑にした。)


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女だけれど高い学歴を志向したことによって、「女の子が東大に行くこと」に対する偏見にも遭った。
(田舎出身だということも、あるいは関係していたかもしれない。)


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社会的に女であることにより、「女性なのに料理が下手/料理をしないだなんて…」という目で見られることもあった。
(このような偏見を持たない人もまた、多く存在することも知りながら、それでも)


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こうして思い返してみれば、私の経験してきた嫌な体験、トラウマとも呼べるそれらの半分以上は、私が女性であることに起因するように思われる。


先日、ある本を読んで衝撃を受けた。

ー『シン・ニホン』 安宅和人 (NEWS PICKS PUBLISHING)


日本のトップ高等教育機関の学生に占める女性比率は、たとえば米国と比較した場合、明らかに低いそうだ。
ハーバード大学の学部生の女性比率は、50%をずっと前後しているという。一方で、東京大学の学部生の女性比率は2019年でも17.4%にすぎない。

ここが変われば、私が感じた悩みのうちのひとつ ―”女の子が東大に行くことに対する偏見”― が少しは解消しそうだ。

また、日本は世界の主要先進国と比べても、男性が家事・育児にかける時間がずっと少ない。その根本要因として、この国の給与労働における生産性の低さがありそうである。

ここも、改善されれば国民の意識が変わり、私が感じた悩みのうちのひとつ ―”「女性なのに料理が下手/料理をしないだなんて…」という性別役割意識”― が改善に向かいそうだ。


私は正直に言って、これらの日本の現状を知ったとき、「私は日本に生まれなければこんなにも悩まなくてよかったかもしれないな」と思い、(当然、自分で選べるわけでもないのだけれど)日本に生まれたことを後悔した。


未来の女の子たちには、理不尽で窮屈な世界では生きてほしくない。
そのために私たちにできることは、まだまだある、と思う。



2020/3/22 記載
2020/6/27 一部改変