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ヨーロッパ文化教養講座(クラシックTV 「ベートーベン ザ・ビギニング」)

2024/06/07
清塚信也氏の弾く「熱情」のあと、ゲストの松山ケンイチさんが登場。
->松山ケンイチさんは、放送中のNHK朝ドラ「虎に翼」の主要キャストなので、呼ばれたのだなと思った。
2007年の映画「神童」で松山ケンイチさんのピアノ吹き替えを担当したのが清塚さん、とのことで2人は知り合いだという紹介からスタート。
今回は、「ベートーベン ザ・ビギニング」と題してベートーヴェンが世に出るまでのエピソードが語られ、とても興味深かった。

1.ベートーヴェンの家系
ベートーヴェン(1770年12月生まれ)の祖父は宮廷楽長だったが、父ヨハン(宮廷歌手)はそこまで偉くなれず、大酒飲みだった。ベートーヴェンは4歳のときから、父のスパルタ指導で鍛えられた。
2.ベートーヴェンの先生
ベートーヴェンは次第に才能を現し、8歳のときにケルンでデビュー。
1782年より、ネーフェ先生(クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェ)に指導を受ける。ネーフェ先生は、当時あまり知られていなかった、大バッハを弾かせる一方、ベートーヴェンを型にはめず、ベートーヴェンの才能を引き出す指導をする先生だったという。
3.最初のウィーン
1787年春16歳のとき、ウィーンへ行き、モーツァルト(当時31歳)と面談、母の危篤を聞いてボンへ戻る。
->松山ケンイチさんは、家族の夕食のときに、モーツァルトをかけることが多く、二台のピアノのためのソナタを良く聴くと言っていた。
4.二度目で最後のウィーン
ボンへ戻ったモーツァルトは、母を看取ったあと、飲んだくれの父に代わって家族を支える。1790年と1792年にボンへ立ち寄ったハイドンの目に留まり、弟子としてウィーンへ行くことになった。
->結局忙しすぎるハイドンに直接教わることはあまりなく、それが良かったのかも知れないと清塚さんは言っていた。
1792年(22歳)にウィーンへ出発、二度と故郷へ戻ることはなかった。

番組中に演奏されたのは、
「ザ・ビギニング」ということで、ピアノソナタの第1番と交響曲の第1番だった。
1)ピアノソナタ第1番 ヘ短調 作品2-1は、1795年(24,5歳)に師のハイドンへ捧げられた3曲の作品2のひとつ。
何度聞いても飽きない曲だなと思った。

2)交響曲第1番 ハ長調 作品21は、1799年作曲(28,9歳)
この頃は、もうベートーヴェンの名前はこの業界では有名だったはずなので、「ザ・ビギニングの後期?」なのだろうと思った。
これも大変、好きな曲。


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