ヨーロッパ文化教養講座(2023年6月22日 音楽劇「ダ・ポンテ~モーツァルトの影に隠れたもう一人の天才~」鑑賞記)
2023/06/28
モーツァルトの三大オペラ・ブッファである、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョバンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」の脚本を書いた、ロレンツォ・ダ・ポンテを主人公としたミュージカルを観た。
日時:2023年6月22日(木)12時開場 12時半開演
場所:THEATRE1010 (@北千住駅隣のマルイビル内)
出演:
a. ロレンツォ・ダ・ポンテ 海宝直人
b. ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 平間壮一
c. アントニオ・サリエリ 相葉裕樹(ウィーン宮廷楽長)
d. 皇帝ヨーゼフ2世 八十田勇一 (ウィーンを中心とするハプスブルク家の君主 マリー・アントワネットの兄)
e. フェラーゼ 井上小百合 (人気女性歌手)
f. ナンシー/オルソラ 田村芽実(二役 ダ・ポンテを支えた女性たち)
g. コンスタンツェ 青野紗穂(モーツァルト夫人)
作:大島里見
音楽:笠松泰洋
演出:青木豪
内容:
1.1826年ニューヨーク 年老いたロレンツォ・ダ・ポンテが回想録を出す。傍らには f.オルソラ夫人。
2.一転して、1781年ウィーン
ユダヤ人として生まれた「エマヌエーレ・コネリアーノ」は父のカトリックへの改宗により、ロレンツォ・ダ・ポンテという名前を得る。
女好きのダ・ポンテは、事件を起こしてヴェネツィアを追放される。
詩作の才能と人垂らしの腕で、啓蒙君主 d.ヨーゼフ2世の目にとまり、宮廷劇場詩人の地位を得る。
成功者を求め続けている社交界の花 e.フェラーゼと深い仲になる。
早速、c. サリエリのために、脚本を書くが大失敗に終わる。サリエリは、責任を脚本家に押しつけ、ダ・ポンテは失意の底に。
そのとき、故郷ザルツブルクの大司教と喧嘩別れしウィーンへ出てきたモーツァルトと出会い、意気投合して、「フィガロの結婚」を書き大成功した。
しかし、次作以降の「ドン・ジョバンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」は、フランス革命やオスマントルコとの戦争など社会情勢が暗くなってきたウィーンではもはや歓迎されなかった。
3.そして、1790年にヨーゼフ2世が亡くなると、ダ・ポンテはウィーンを追放される。
モーツァルトは、旅回りの芸人シカネーダーと一緒に「魔笛」を作るが、病を得て1791年に亡くなってしまう。
4.ダ・ポンテは、1792年 イギリス商人の娘 f.ナンシーとともに、トリエステ、その後ロンドンへ移り住む。
5.1805年、アメリアへ渡り、各地を転々とした後、1826年ニューヨークで死去。「ドン・ジョバンニ」のアメリカ初演時には、客席に80歳のダ・ポンテが居たとのこと。
コメントと感想:
1)ダ・ポンテがモーツァルトと一緒に活動をしていた時間はわずか4年半とのことだったが、物語の大部分はこの濃密な期間の話だった。
2)ダ・ポンテがニューヨークで亡くなり、「ドン・ジョバンニ」の初演にも立ち会ったこと初耳だった。
3)ミュージカルもオペラも、芝居と歌をミックスさせながら、一つの作品を作り上げる点では同じだが、大きな違いとして、
ア)ミュージカルは、マイクを使う。
イ)ミュージカルの出演者は、ルックスが良い。
ウ)ミュージカルの観客は、女性が圧倒的に多数で、しかも若い人が多い。
ということだと思った。
4)一つの舞台芸術作品としては、初見でもなじみのあるモーツァルトの話だったので筋も良く理解できたこと、バックの音楽も生演奏と録音を組み合わせて効果的だったこと、各歌い手の技量が全体的に高かったこと、舞台の転換がよく考えられていて冗長にならずテンポが良かったことで、満足度の高い公演だった。
5)蛇足だが、THEATRE1010 は、「テアトル せんじゅう」と呼ぶそうだ。
マルイ(0101)のビルの中にあるのも面白いと思った。
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