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ヨーロッパ文化教養講座(題名のない音楽会 パリだからこそ生まれた名曲の音楽会)

2024/08/04
パリだからころ生まれた名曲を、ベルリン在住の若手指揮者出口大地マエストロが解説。
興味深いのは、紹介された3曲が全てフランス人ではない作曲家の作品であること。

1)ロッシーニ:ウィリアム・テル序曲フィナーレ
あまりにも有名なイタリア人ロッシーニの最後のオペラの序曲
パリのオペラ座からの細かいリクエストに応えていたら、5時間もの超大作になったそうだ。
ロッシーニも出来に満足したのか、この曲を最後に引退して、料理家の道へ進むことになる。

2)ストラヴィンスキー:バレエ音楽<火の鳥>より「魔王カスチェイの凶悪な踊り」
パリが芸術の中心であった時代に、伝説的なロシアの興行主、セルゲイ・ディアギレフが自らのバレエ団「バレエ・リュス(ロシアバレエ団)」の演目として、ロシアの作曲家ストラヴィンスキーに依頼してできたバレエ音楽。
ティンパニーをヘッドを布で巻かないマレットで叩いて硬質の音を出したり、トロンボーンのグリッサンド奏法を使ったり、シロホンを使ったりして、芸術の都らしい斬新な音楽を提供したそうだ。

3)ガーシュイン:「パリのアメリカ人」
ニューヨークのブルックリンに生まれた、ジョージ・ガーシュインは、父親がロシア人、母親がベラルーシ人のユダヤ系移民の子であった。
パリに憧れを持っていたガーシュインは、交響詩「パリのアメリカ人」で、当時の自動車のクラクションやサキソフォーンやチェレスタなどを使ったり、パリで流行したシャンソンの一節を入れたりして、この曲を作ったそうだ。



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