ヨーロッパ文化教養講座(「欧州と世界の貧困史ー古代から現代の貧困政策 その2)
2023/07/13
昨日に続いて、ヨーロッパの貧困史その2
1.中世->近世->近代 英国の貧困政策
A. 中世
中世は農業中心の経済。
封建制度のもとで、農民(と言っても人民の大多数)は、封建領主(と言えば聞こえはいいが、縄張りを仕切るヤクザの頭領のようなもの)に支配されていた。
精神的にはカトリック教会が人生の主要イベント(結婚、出産や、特に死に臨んで天国へ行くための重要な儀式)を司っていた。
ところが、14世紀半ば、ペストが大流行し人口が激減すると、働き手がいなくなり、農民は、より働きやすい、領主の元へ移動する。封建制度は崩壊する。
B. ルネサンス
16世紀になると、英国では、農業技術が発達し、効率化のため、より広い農地を求めて、囲い込み運動(要するに、共有の土地を柵で囲い込んで暴力的に自分のものにすること、最初は羊毛のための羊の飼育)が起こる。
農地を失った農民は、浮浪者として都市部へ流れる。
市場経済が拡大し、英国チューダー朝は、経済の規制を強める。
具体的には、
・労働移動を規制
・物乞いや浮浪を制限
・居住地を固定(所属する教区の異動を禁止)
・土地の使用権、労働者の訓練、雇用、賃金、契約の形態の規定・規制
これにより、貧困層を働かせ、教区を効率化な救済事業システムに組織化する。
チューダー朝の救貧システム
ヘンリー8世(在位 1509年 - 1547年)の救貧制度を経て、
エリザベス1世(在位 1558年 - 1603年)の旧救貧法(1601年 エリザベス救貧法)制定
これは、国家が本格的に関わった初めての救貧政策であった。
・浮浪者や物乞いは社会秩序を脅かすものとして抑圧
・援助に値しない人は、強制労働。
・救貧法の費用と運用は教区によって担われる。
宗教改革によりプロテスタント(天国に行けるという実感を得るためには、社会貢献をしたいという考え方)が誕生。
・労働の務めを果たしていないことへの罰(公開のむち打ち)
・救貧院、矯正院、労役場(ワークハウス)での強制長時間労働。
C. フランス革命、市民革命
フランス革命の伝搬を抑える(秩序維持)ため、旧救貧法が大きく変化する。
1782年の「ギルバート法」1795年「スピーナムランド制度」
・就労可能な貧困者に対する住宅における扶助(院外救済)を可能
・賃金補助、児童手当に近い給付
フランス革命、ナポレオン戦争が終了し、国民国家の確立と共に秩序維持としての救貧政策は不要となり、再び取り締まる方向へ。
「スピーナムランド制度」は労働者の勤労意欲を失わせるとして、1834年に「新救貧法」が成立
・援助を受ける者は最下級の労働者と同等以上の処遇を受けないという原則
・給付決定を行う地方行政への専門官吏の派遣
・中央政府による地方政府の監督強化
*労役場(ワークハウス)の環境は、「罪なき人の牢獄」と呼ばれるほど過酷になった。
このころの多数派は、貧困者は怠情で自立性に欠けているから救済は最小限で良いという意見。
貧困は社会経済に原因があるから、扶助事業が必要だという少数派がいた。
その後、資本主義経済の不安定性、繰り返される恐慌のなかで、社会経済的な原因で発展する失業の問題に焦点があたるようになり、少数派の考え方が社会的に影響を与え始め、「ナショナルミニマム」という発想が普及。
*放送大学 「貧困の諸相」(駒村康平・慶應義塾大学教授、渡辺久里子・神奈川大学助教)第5章 欧州と世界の貧困史 より
to be continued
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