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童謡「赤い靴」・昔話「桃太郎」教材化

さて、今回は誰もがご存知のはずの日本語作品の教材化です。日本語なのでやや軽めですが、意外と頭が混乱するかもしれません。

ここで公開している教材のほとんどは科学英語とは呼べないかもしれませんが、今回のものも含めて、どの教材も冠詞について考えるヒントにはなるはずです。特に今回は、日本語に冠詞は必要か不要か(冠詞の存在意義)、という問題を考えてもらいます。

答え合わせは授業内で実施する予定ですが、多くの非受講生の方にも閲覧していただけているようなので、ヒントを書いておきます(答え合わせをする機会があるかどうか分からないので)。今回は英語が一切出てきませんが、それでも英語理解が深まるような教材になっているはずです(閲覧して面白いと思った方は、コメントしていただけると、教材や答え合わせを今後公開する励みになります)。

[童謡]赤い靴

[歌詞]
 赤い靴 履いてた 女の子
 異人さんに 連れられて 行っちゃった
 横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って
 異人さんに 連れられて 行っちゃった
 今では 青い目に なっちゃって
 異人さんの お国に いるんだろう
 赤い靴 見るたび 考える
 異人さんに 逢うたび 考える

問題:回答は主観でどうぞ
この女の子は①特定の一個人?(名前が特定可能?)
それとも②非特定の一個人?
あるいは③赤い靴を履いてた女の子は複数?(特定でも非特定でも)
(英語と日本語の比較問題と見るか、日本語の枠内の国語の問題と見るか)
(Wikipedia「赤い靴」を読むと、解釈が意外と複雑だということが分かります)

[昔話]桃太郎

[冒頭部分]
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。

問題:回答は主観でどうぞ
このおじいさんとおばあさんは①特定の男女1名ずつ?
それとも②非特定の男女1名ずつ?
あるいは③おじいさんとおばさんはそれぞれ複数の可能性も?
(英語と日本語の比較問題と見るか、日本語の枠内の国語の問題と見るか)
(英語のことは忘れて、童心に戻って考えてみてください)

この教材の裏テーマ
日本語に不定冠詞vs定冠詞の区別は必要?:英語と日本語の深堀り比較
 日本語は皆さん国語の授業でしっかり学んできたはず。それが英語の授業を受けてしまうと、なぜか急に冠詞がないから不定か特定か判断不可能と迷い出して日本語が下手になる学生が増える印象を持っています。「外国語を学ぶことで日本語が下手になる」では困ります。英語と日本語の特性をしっかりと整理し区別して理解しましょう。

※「雪国」教材から再掲示
実は個人的に重要だと考えているテーマがあり、それについて皆さんにも考えてもらうための教材群です。そのテーマとは、
日本語に不定冠詞vs定冠詞の区別は必要?:英語と日本語の深堀り比較
 言い換えると、日本語には冠詞がない(本来は必要なのに)のか、日本語に冠詞は不要(英語の冠詞が逆に不自然/人為的な後付け)なのか。
 英語を学んでいると、冠詞がある英語が当たり前で、それを基準にして日本語に冠詞がないことに劣等感を抱いていると思しき日本人による解説や日本語が劣っているかのような英語ネイティブによる言説にたまに遭遇します(英語は厳密で日本語は曖昧、などなど)。簡単には答えが出ない問題(そもそも正解がないかもしれない問題)ですが、いろいろな教材を通して皆さんにも考えていただければ幸いです。

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