見出し画像

利己的遺伝子から社会的存在へ 第4章

ヒトにおける自己犠牲的な行動は、血縁者に対してだけ向けられるのではない。血縁関係は必要ないのだから、血縁淘汰で説明することはできない。他にどのような説明があるのだろうか。最も単純な仮説は、すべてが大きな誤解だというものだ。

大きな誤解(ミステーク)仮説(BMH)は、人類は小さな家族集団の中で進化し、血縁淘汰によって周囲のすべての人を助けるようになったと提唱している。ところが、集団が大きくなるにつれ、非親族にも同じように接するようになり、それが現在のプロソーシャルな(社会のための)行動につながったとされる。つまり、プロソーシャル行動は適応的ではなく、進化の名残にすぎないという考えだ。

この仮説を検証するために、類人猿を含む15種の霊長類を対象にした研究が行われた。食べ物を独り占めせず他者に与えるかを調べた結果、人間は「10点満点の10」、一方で最も近い親戚であるチンパンジーは「1点」だった。この違いは「協同育児」の有無に関連しており、親以外の個体が子育てを担う種ほど、無償で食べ物を分け与える傾向が強かった。この研究は、プロソーシャルな行動が血縁淘汰によるものだという仮説を支持するが、BMHが主張する「現代においてプロソーシャルな行動は自然選択によって有利とされていない」という点については、さらなる検証が必要だ。人間は本能に従うだけでなく、理性によって適応的に行動する生物であり、プロソーシャルな行動が現在も有利なのかどうかを調べる必要がある。

協力の持続性を説明するために、「囚人のジレンマ(IPD)」が使われることがある。例えば、群れで食事をする動物は、捕食者を警戒する時間と食事の時間を分け合うが、協力を怠る個体(ただ食べるだけのズルをする個体)がいると、協力は維持されにくい。しかし、相手が協力すれば自分も協力し、裏切られれば協力しないという「しっぺ返し(Tit-for-Tat)」戦略が機能すれば、協力関係は維持できる。

人間のプロソーシャル行動は、互恵性に依存せず、見知らぬ人にも見返りを求めずに助ける傾向がある。反社会的行動に苛立つのは、それが通常のルールを破るからであり、協力が社会の基本戦略であることを示している。
では、なぜ人間はこれほど助け合い、何が反社会的行動を抑制するのか? BMH、狩猟採集民社会では親族以外の協力が不可欠だったと主張する。サラ・ブラファー・ハーディの研究によると、チンパンジーは子を母親だけで育てるが、人間の狩猟採集民社会では新生児が他者に頻繁に抱かれ、食料や授乳も共有される。これは、協同繁殖が人間の親社会性の基盤となった可能性を示唆する。

さらに大型哺乳類の狩りには多数の人々が協力した。このような大規模な協力は、狩猟採集民が世界中で実践していたものであり、BMHが想定する小規模な親族集団の協力とは異なる。代わりに、「相互依存仮説」が提唱される。これは、個々の生存が他者の支援に大きく依存することを示すもので、特に大物狩猟において顕著である。単独では得られない大量の肉を共有することで、関係を築き、協力を維持する仕組みが生まれた。

しかし、協力には競争が常に潜んでいる。1968年、ギャレット・ハーディンは「共有地の悲劇」を提唱し、共有資源は個々の利益追求によって枯渇すると主張した。この理論は環境保護の議論に大きな影響を与えたが、その前提には誤りがあった。

エリノア・オストロムは、共有資源を持つ共同体ではルールや制度を通じて協力が生まれることを示した。日本でも、山の共有地は村の委員会によって管理され、違反者には罰則が科される。オストロムの研究は、協力が「強制的な規制」や「個人の利益追求」だけでなく、信頼や評判の構築によっても維持されることを示している。

成功する協力には二つの基本原則がある。第一に、協力が個々の利益につながる場合にのみ成り立つこと。第二に、協力の恩恵を受けながら負担を回避しようとする「ズル」を抑制する仕組みが必要なことだ。

いいなと思ったら応援しよう!