イギリスのエコロジーパーク
1. エコロジーパークのはじまり
イギリスにおけるエコロジーパークは1976年に建設されたウィリアム・カーチス・エコロジーパークに始まる(高橋1981)。この公園はロンドン市内、テムズ川右岸、ロンドン塔の対岸にある。わずか0.8ヘクタールであるが、さまざまな植生を組み合わせて、ポケット・カントリーサイドと呼んでいる。建設費はわずか500ポンド、当時の為替レートで250万円の予算であった。それほど安くできたのは、主旨に賛同した業者が資材を寄付したり、造成工事費をまけてくれたこと、造園は市民ボランティアによっておこなったことによる。
2.トラフォード エコロジーパーク
マンチェスターのトラフォード エコロジーパーク(図1、2)はトラフォード公園開発公社が所有し、サルフォード・トラフォードグランドワークというトラストによって管理されている。現在は工場地帯の真ん中にある4.4ヘクタールの保護区は、1896年に産業開発のために売られるまで1000年間にわたってトラフォード家に所有されていた園地の一部であった。公園の池はもとは3.2ヘクタールあり、真ん中に丸い島があったらしい。住宅開発が進んでボート遊びに使われだしたが、地元の企業が廃棄物を捨て始め、次第に埋まり、もとの大きさの半分ほどになった。
1974年にエッソの所有地となったが、1979年にトラフォード区会議がトラフォード公園でのレクリエーション空間の必要性に注目し、1983年、エッソは生態とレクリエーションのために使用するという契約で区会議にこの場所を売った。そこでトラフォード区会議はこの場所をイギリスで最初の完全な産業施設におけるエコロジーパークとして計画した。
1988年、景観設計やプランニング、観察路設定、探鳥小屋と管理事務所の建設などの後、公園の所有はトラフォード公園開発公社に移された。引き続き作業がなされ、1990年に半官半民のトラストであるグランドワークの管理のもとでトラフォードエコロジーパークが開園した。この公園が普通の公園と異なる点は、イングランドに本来分布していた樹木を植え、落ち葉は掃かず、草むらも残すなど、できるだけ多くの種類の生物が生息できるように配慮していることである。ミツバチの巣を観察するためのあずまやも造ってあった。池にはカナダガンが訪れ、今年は一番最初に飛来した個体の孫が誕生したとのことである(図3)。
開園以来、エコロジーパークはユニークな自然保護区として成功し、毎年7000人を越える来園者を魅了している。環境教育のための家族向けや学校向けのイベントが開かれている。たとえば、管理事務所の前にある池(図4)は子どもたちが掘ったものである。
トラストは現在21人の職員と10人以上のフルタイムのボランティアによって運営され、公園の管理、環境教育、サルフォード市およびトラフォード区の自然の保護や復元にあたっている。活動の特徴の一つとして市民ボランティア、地方自治体、企業が協力して地域の景観復元に取り組んでいることである。現在、過去の工業地帯の跡地300ヘクタールに森林をよみがえらせる事業、教会にビクトリア時代の庭園を復元する活動などが行われている。これらの活動が地域の雇用促進にも役立っているとリーフレットに書かれていた。
3.バターシー公園
ロンドンのバターシー公園(図5)はもとはテムズ川の氾濫原で沼沢地であった。徐々に干拓され、農地となったが、1846年に公園建設が開始され、1858年にオープンした。亜熱帯園が1863年に建設され、当初はヤシや亜熱帯植物のある公園を売り物にしていた。また、花壇など庭園の展示に力を注いでいた。現在でも、ハーブ園、伝統的なイギリス庭園、園芸相談園(The Horticultural Therapy Garden)などが充実している。面積は81ヘクタールで、大阪城公園よりやや狭い広さだが、1,011ヘクタールもあるリッチモンド公園をはじめ、広々とした公園が豊富なロンドンでは”月並み”な公園である。かつてはグレイターロンドン会議が管理していたが、現在ではウォンズワース区会議が管理している。
公園の大部分は芝生とロンドンプラタナスなどの疎林(図6)で、イギリスの公園に共通のひろびろとして美しい景観をつくっている(注)。その中に様々なスポーツ施設や文化施設が点在し、小さな動物園、ギャラリーなどもある。開園は午前8時から夕暮れまでであるが、スポーツ施設は午後10:30まで利用できる。
公園内には1860年代に設計された池があり、面積は6.4ヘクタール。池畔は樹木や水生植物でおおわれていて、トンボや水鳥のすみかとしても十分である。訪れたときにはカナダガンやオオバン、アヒルがいた。歩道に面した部分には柵があったが、一部柵が池の中にあり、水に足を入れることができる場所もあった(図7)。貸しボートがあり、釣りもできる。
池畔に1861年に建設され、かつてはテムズ川から池へ水を揚げていたポンプハウスがある。これは現在はインフォメーションセンターとギャラリーになっている(図8)。インフォメーションセンターでは公園の紹介リーフレットや地図を無料配布し、絵はがきや公園友の会の機関誌を販売していた。女性の職員にこの公園では何人働いているのかと聞いたが「たくさん」だとしか答えてくれなかった。もう一部屋には椅子が数脚並べてあり、オートスライドが上映されていた。スライドの内容は公園の林と池の生物の食物連鎖に関するものであった。ポンプハウスの2階は集会室、3、4階がギャラリーとなって、ちょうど若い人が自分の絵を値札を付けて展示していた。
スポーツ施設としては、サッカー3、ソフトボール4、ラグビー1、クリケット3と夜間照明のある全天候型球技場、陸上競技場、テニスコートがある。どれも観客席がなく、平面であり、しかも陸上競技場やテニスコートなどを除いてすべて芝生なので景観を妨げることがない。
子供の遊び場はブランコなど普通の児童遊技場と冒険遊び場があり、フィールドアスレチックや空気圧のトランポリン?が利用できる(図9)。ピンクのベストを着た指導員が常駐していた。また、遊び場にはOne O'Clock Centerという施設があり、親たちがゲームをしている間、5才未満の子供を遊ばせておくことができる。親たちが子供たちと一緒に遊び交流することも進めている。開館は月曜から金曜の午後1時から4時半まで。
4.野生地区と草地
公園全体の話が少し長くなってしまったが,バターシー公園の一角に野生地区と草地と呼ばれる場所が設けてある.野生地区は1860年代にはツツジ科と常緑樹の庭園であったところを1984年に多様な生き物を生息させるような植生に変えられた.タイプの異なるいくつかの植生からなる.大都市の中心における野生保護区として、また、市民が自然とふれあえる場とするために、ロンドン ワイルドライフ トラストがウォンズワース区の協力を得て管理している。
草地はかつては瓦礫やごみ、落葉などの捨て場の跡地の土盛りで,1970年代には使われていなかった。草地の周囲には元々植えられた木に加えて、さまざまな植物が侵入し、現在のように外部から樹林や潅木で隔離された草地が誕生した。
野生地区
入り口を入ると,鳥や動物の餌や隠れ場所を提供するカバノキなどの樹林と、ハシバミなどの潅木林がある。しばらく進むと,やがて樹種が常緑樹、イチイに変わる.これらの木はツタにおおわれている.ツタは9月から11月に開花し、昆虫の蜜源になる。
里山林を模した林もつくられている。ここは1984年に樹木や潅木が密植され、1994年から1999年にかけて間引かれる予定である。林床植物に光を与えるため、北摂の薪炭林でみられるような,Coppiceという萌芽更新も実施されている。伐採した木は枯れ木や倒木を住処とする生物のために残しておかれる。丸太はカエルの越冬場所にもなり、秋にはキノコがはえる。
木の植えられていない草原も生き物にとって重要である。樹林と草原の間の林縁にはキイチゴがみられる。草原の中にある池は水草や池畔植物が豊かで、カエル、トンボ、貝が生息している。
草原にもいろいろあり、別の場所には盛り土された乾性草原がつくられている.花が多く咲き、チョウやガの餌を提供する。逆に、ロンドンプラタナスの大木の樹林は湿性草本の生育場所となっている。出口付近は成熟した潅木林で,ブラックベリーが多く、初秋に鳥の餌となる。
草地 Meadow
草地と名付けられた保護区は,柵で囲まれた樹林とその中心にある開けた草地からなる場所である.
樹林では早春に多くの林床植物が花を咲かせる。イギリスで最大のトチノキのある林。ウタツグミ、カラ類、コマドリなどが訪れる。枯れ木も昆虫にとって大切な生息場所だというので残してある。
草地。草花を維持するために、毎年9月に刈られる。チョウやハナバチ、テントウムシのすみか。林縁部のキイチゴやブッドレアの薮はミソサザイのような鳥に営巣場所を提供する。キイチゴの花は昆虫を呼び、実は鳥や小動物の貴重な餌となる。ブッドレアはチョウの薮として知られ、なかでも、クジャクチョウやヒメヒオドシチョウの蜜源である。この木はフジウツギ属で,日本にもフジウツギとウラジロフジウツギが自生している.また,中国原産のニシキフジウツギがブッドレアという名で栽培されている.ここで19種のチョウが記録されている。実際,8月下旬のロンドンでは昆虫を見ることが希であったが,この草地だけはチョウやトンボ,ハナバチが盛んに飛び回っていた.また,周囲の薮にはクレマチス(センニンソウ)の花が多く,可憐な白い花が印象的だった.
草地の池は1993年につくられた。いろんな深さの部分がつくられ、水草が生えるように配慮されている。
5.終わりに
今回の公園めぐりは私的な旅行であり、下調べや現地との約束もとりつけていなかった。したがって少ない情報量からの狭い見方に陥ってしまっているかも知れないが、あえて感想を述べる。まずハード面では日英間にそれほど大きな隔たりはないように感じた。もちろん,緑地面積は比べものにならないが,これは過去(江戸時代以来?)の政策の負の遺産であり,地価の高い大阪で一朝一夕に解決できる問題ではない.その土地の乏しい大阪市内でも、野生保護を看板に掲げた場所は南港野鳥園と淀川(国の公園だが)などにみられる。また,大阪市の公園にはないものの東京の公園にはバードサンクチュアリが普通に見られる。大阪市の場合も現在のそれぞれの公園の10%の面積に囲いをして(人は自由に入れる)除草剤を撒かない野生保護区にすれば,イギリスを追い抜くことができる.ただ、わが大阪の既存の「エコロジーパーク」も質的にイギリスに追いつけないでいる。たとえば、大淀野草地区は河畔草地の保護区としてすぐれた設計がなされているが、解説がなく,専門家か、管理事務所に問い合わせない限り、どのような目的でヨシやガマが刈られずに残されているのかわからない。スポーツ愛好家からすれば焼き払ってグランドにしたいところだろう。イギリスのエコロジーパークには入り口に園内の地図があり、植生の意味が説明してあった。いつか車好きの知人が「日本車の性能は良くなったがシートの座り心地だけはヨーロッパの車に追いつけない。椅子文化と畳文化の差だろう。」と言っていたのを思い出した.そういった微妙なところで伝統の差が克服されないでいる.
しかし,もっと大きな違いはソフト面に見られた。市民参加という点で、トラフォード エコロジーパークはトラストによる運営だし、市民ボランティアが加わっている。区営のバターシー公園でも野生地区だけはトラストが設計、管理している。さらに,これらのエコロジーパークは環境教育の場であるという位置づけがなされ,定期的に学校向け,家族向けの催しがされ,また,一人で歩いても生態系についての理解を深めることができるような配慮がなされている.
余暇社会,高齢化社会と言われる時代である.熱意と能力のある人々が、社会や環境へ貢献する機会を求めている。市民の協力によるエコロジーパークの建設,運営という夢がかなうのもそう遠くないような気がする.
1994年執筆