経済原論概説 第7回 日本近代経済史 後編
IMF・GATT体制並びにケインズ政策は、1950~60年代に於いては有効に機能していた。しかしながら、1971年のニクソンショック発生を契機に金とドルの交換が停止されると、73年には変動為替相場制度が採用され、さらに同年にはオイルショックも発生した。国内では、ケインズ政策の効力が弱まり、スタグフレーションが発生した。スタグフレーション化では、インフレを容認した雇用政策は効力がなく、不況が続いた。
ケインズ型の有効需要政策が効力を失ってしまったのは、経済のグローバル化によって投資乗数の効果が薄れてしまったためである。それまでは投資が行われれば、国内で内部循環が起こり、雇用の創出などを通して様々な波及効果を及ぼしてきたが、海外との取引が増加すると、その効果が海外へと取り込まれてしまうのである。
ケインズ政策が効力を持たなくなると、新自由主義(マネタリズム)や新古典派(サプライサイド)などの反ケインズ路線の考え方が浮上した。マネタリズムは、フィリップス曲線の存在を否定し、各国の国民性によってその国独自の自然失業率があり、これを無視した失業の減少は不可能であるとした。時勢赤字の拡大はインフレの拡大を招くとも考えた。サプライサイドは、モラルハザードの問題からして、福祉予算を拡大しても貧困問題は解決できないと主張した。
アメリカでは1980年代から政策転換が行われた。レーガノミクスと呼ばれる政策で、政府支出は削減され、累進課税制度をはじめとして大幅な減税が行われた。民営化を進め政府規制を緩和し、高金利政策でインフレの鎮静化を図った。結果としてインフレは収まったが、深刻な景気後退や貿易赤字の拡大なども発生した。
日本では自動車や家電などによる輸出主導の景気回復により、スタグフレーションは軽減された。しかしながら1985年のプラザ合意により市場開放を余儀なくされ、輸出主導から低金利政策により内需の拡大へと方針を変更した。公定歩合は5%から2.5%に引き下げられた。さらにNTTをはじめ、JT、JRの民営化、大型の公共事業が行われ、結果として土価と株価が上昇、土地神話の下で銀行は土地を担保に企業に積極的に貸し出し、企業は緒方設備投資を行うことで拡大再生産が行われ、バブルが発生した。1989年5月に公定歩合が6%に引き上げられ、90年3月から不動産融資総量規制、92年1月から地価税が導入されると土地神話は崩壊しバブルは崩壊、放漫経営を行っていた企業が大量に倒産し、乱脈融資を行っていた銀行は大量の不良債権を抱えて倒産することになった。銀行に公的資金が注入されると、信用不安から取り付け騒ぎになり、銀行がさらに合併や倒産するほか、新規の不良債権まで発生し、税収が低下して財政赤字という結果となった。
バブル後の企業戦略は、人員削減や賃金の引き下げを行うリストラ戦略や、大量の失業や低所得化によって低下した購買力に対する低価格戦略であった。所得税はともに低下し、デフレスパイラルに陥った。これに対して消費税の増税が行われたものの、消費を落ち込ませる結果となった。企業の投資も、超低金利政策、続いてマイナス金利政策まで執られたものの、活発に行う兆しはない。
景気回復による税収増加が見込まれない以上ケインズ政策を行ったとしても財政赤字が拡大する一方で、効果を為さない。新古典派や新自由主義が掲げているのは、結局のところ弱者を切り捨てた政策であり、またその結果得られたのは過剰生産と恐慌、さらにそれに尾を引く経済の低迷であり、それが起因してワーキングプアなどの労働問題や少子化という形で現在の日本にも問題を残している。このような帰結が資本主義の宿命的顛末であるとするならば、資本主義の本質的問題の解決を目指した社会主義国は、どのような変遷をたどったのであろうか。
次回以降はロシアから始まる社会主義国の経済史をたどり、次いで現在の世界経済について考察する。