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なぜゾウはもっと速く走れないのか――巨大動物を支配する“熱放散”の壁
第1章 はじめに
動物は生きるためにさまざまな移動を行います。エサを求めて狩りをする、敵から逃げる、あるいは季節ごとに広範囲を渡るなど、その目的は多岐にわたります。一般的に、体が大きい動物ほど「強い筋力を持っていて速く移動できるはず」というイメージがあるかもしれません。しかし実際には、ゾウやクジラのように巨大な生物は、小〜中型の動物のような猛烈なスピードは出せません。なぜそのような現象が起きるのか――これを解き明かす重要な手がかりのひとつが、本研究で注目された「熱放散能力」です。本章では、まず動物の移動速度に関わる要因や、その背景にある問題意識を紹介します。
第2章 動物の移動速度を決める主な要因
動物の移動速度は、大きく分けて「運動に使えるエネルギー量」と「移動に必要なエネルギーコスト」によって左右されます。前者は食物や呼吸から得る酸素などをもとに筋肉が産生できる力の総量で、後者は移動モード(走る・飛ぶ・泳ぐなど)や体型によって異なります。たとえば、飛ぶ動物は離陸に大きなエネルギーを必要としますが、一度飛び始めれば長距離を移動できるなど、効率が独特です。また、泳ぐ動物は水の抵抗が大きい一方で浮力を得られるため、陸上動物とは異なるパターンでエネルギーを消費します。こうした生理的・力学的な条件に加えて、体の大きさや構造も重要です。大きいほど筋力は強くなる傾向にありますが、移動時に生じる熱をどのように逃がすかという新たな課題が生まれます。
第3章 なぜ大型動物の移動速度に「熱放散」が関係するのか
筋肉が動くときには、必ずある程度の熱が発生します。小型動物は体表面積が比較的広く、外気や水との熱交換がスムーズで、体温上昇に対するリスクが小さいと言えます。しかし体重が重い大型動物の場合、体積に比べて表面積の割合が低くなるため、放熱効率が下がりやすいという問題があります。結果として、移動速度を上げすぎると体温が過剰に上昇し、危険な状態(高体温症)に陥るかもしれません。そのため、運動による熱産生を抑えるように、速度を落としたり休憩を挟んだりする必要が出てきます。このメカニズムが、ゾウやクジラのような超大型動物の「最大速度が意外に速くない」という現象の背景にあると考えられています。
第4章 本研究の概要
本研究は、動物が移動するときのエネルギー消費と熱放散のメカニズムを、一つの理論モデルで説明できないかという問いを出発点としています。従来のパワーロー(速度∝体重α\text{速度} \propto \text{体重}^{\alpha}速度∝体重α のような単純なスケーリング則)は、一見すると大枠で正しそうに見えるものの、大型動物の移動速度をうまく説明しきれないことが課題でした。そこで著者らは、動物の代謝・エネルギー供給・熱放散能力という3つの視点を組み合わせ、「移動中の筋肉が出す熱をどのように逃がしているか」に着目した新しいモデルを構築しました。そのうえで、飛ぶ・走る・泳ぐという3種類の移動モードに属する多種多様な動物の実測データを使い、どのモデルが最も的確に観測値を再現するかを検証したのです。
第5章 モデルのしくみと仮説
研究チームは、まず単純な「代謝モデル(メタボリックモデル)」をはじめ、「一定熱放散モデル」「体重に依存する熱放散モデル」など複数の仮説を立てました。代謝モデルは、エネルギーが多ければそのまま移動速度を高められるという考え方ですが、これは大型動物ほどどんどん速くなるという予想を導きがちです。次に、一定熱放散モデルでは、大きさにかかわらず一定の“クールダウン”時間が必要だと想定するため、ある程度速度が飽和する現象を説明できます。最後の「体重に依存する熱放散モデル」では、大型動物ほど熱を逃がしにくいので、速度を抑える必要が生じると予測します。このモデルでは、実際に小型から中型までの動物は速度が上昇し、大型になると速度が山なりに減少する、というパターンを示すことができました。
第6章 研究手法とデータ
研究チームは、既存の文献から飛行・走行・遊泳に関する膨大な移動速度データを収集しました。データは、フィールド観察やGPSトラッキング、ビデオ解析など、多彩な方法で得られています。対象となる動物も哺乳類、鳥類、魚類、昆虫など幅広く、体重は微小な昆虫から数十トン規模のクジラ類まで何桁にもわたります。解析の際には、これらの移動速度を対数変換し、体重との関係を比較。さらに、前述の複数モデルを当てはめることで、どのモデルが最も観測値に近い傾向を再現できるかを評価しました。これにより、単純なパワーローで説明できない「大型動物の速度低下パターン」が熱放散の考慮によってどの程度正確に捉えられるかが明らかになりました。
第7章 結果と考察
比較の結果、「体重に依存する熱放散モデル」が最も実データと一致することが示されました。つまり、移動速度と体重の関係は一様に右肩上がりになるのではなく、小〜中型でピークを迎え、そこから再び下がる山なりの曲線を描くのです。考察としては、飛ぶ動物は走ったり泳いだりする動物よりも速く移動できる反面、大型になった時点で熱放散の壁に早めにぶつかる可能性があることも指摘されています。一方で、寒冷地のオオカミのように外気温が低い環境では、モデルが予想する以上の速度を維持できることも確認され、外部環境の温度や動物の形態的特徴によってはバラつきがあることが示唆されました。総じて、大型動物が移動速度を上げるうえで“体温をいかに効率よく逃がすか”が大きな鍵を握っていると言えます。この発見は、動物の行動生態や生息地保全の計画づくりに大きく役立つだけでなく、地球温暖化や土地利用の変化が野生生物に及ぼす影響を考える際にも、重要な視点を提供すると期待されます。
引用元
タイトル: The travel speeds of large animals are limited by their heat-dissipation capacities
出版元、掲載誌、年月日: PLOS Biology, 2023年4月18日
著者: Alexander Dyer, Ulrich Brose, Emilio Berti, Benjamin Rosenbaum, Myriam R. Hirt
ライセンス: Creative Commons Attribution License (CC BY 4.0)