エンジニアから理科の先生に ③大量の教科書に心折れる
こんにちは。「エンジニアから理科の先生になるまで」第3回です。
のろのろスタート
免許取得に向けての日々がスタート。やる気に満ち溢れて始まったわけではなかった。3月に教科書がどっさり届いた。あまりの多さに圧倒されて、勢いで入学したことに少々後悔。やっぱりこれ無理かも…と心折れてつぶやいたら夫に、もったいないからやりなさいよ~♪と笑われ、のろのろスタート。
結局はじめは2年間で取るつもりが、2013~2016まで、3年間年かかってしまった。子育てしながら、仕事しながら(〆切間際は、たまに職場でレポート書いていた…もう時効なので!)、若かったからできたなと思う。
無事に免許を取得した後も、教科書と、書いたレポートは捨てられず保存していたので、久ぶりに開けてみた。
懐かしい~
いや~、カバーにシミができているのが10年あまりの月日を感じさせます。懐かしすぎる。1箱に収めると少なく見えるのですが、レポートは1冊2000字程度だから、けっこうなページ数書きました。教育行財政とかカタイ内容で辛かったな…
いただいたお言葉たち
さて、レポートを見返すまですっかり忘れていました。添削して下さった先生方の評価コメント…教師になった今なら痛いほど分かります。コメント書くのって大変な労力なのです。通信大学は、先生と通信大学生のやりとりはレポートを通してがメインになるので、先生方も慣れておられるのでしょうけども。科目ごとに担当教員は違うのですけれども。評価コメント下さった先生方、その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。
さて、入学当時、すでに35歳。大学院まで卒業していたので、明星大学通信学部「正科・課程履修生 教科専門コース(理科)」に入学したことは②で書きました。
免許取得には、今回書いたレポートRの他、テストT、スクーリングSをすべてこなすことが必要です(下記参照)。というか、必要だったのですね。やったんですね、私も。あまりに記憶になくて、びっくりするほどですが、今回このnoteに書くことでよい振り返り作業になりました。これを3年間コツコツやって、中学校教諭1種・2種、高等学校教諭1種の免許が取得できました。日本で、通学制ではなくて、理科の中高教員免許を取れるのはここだけ、ありがとう、明星大学(感謝)
次回は、教育実習、介護実習について書く予定です。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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