紀元前1650年頃に天体が空中分解した可能性!死海北部の大都市トール・エル・ハマムを滅ぼした災害の跡を発見
初めに
今回は丁寧に論文解説をするために、これでも削る所は削ったつもりだけど、それでも30000文字を超える大ボリュームの研究解説となっちゃったよ📝🧚♀️💦なので今回はいつものTwitterの投稿じゃなくて、今回のようなnoteでのまとめとなったんだよ📚と言うわけで、大変恐縮なんだけど、この記事にサポートをしてくださると大変ありがたいんだよ😭有料記事にするというのは何となくしづらかったから、ぜひ皆さんの任意でサポートしてくれるとたいっへん嬉しいんだよ💞
いつもの…ニュースのポイント!
○タイムマシンでリアルタイムに観察できないから、過去の出来事を知るには、過去のものを色々分析して、いろんな角度から複数のシナリオを考える必要があるよ。
○今回の研究では、ヨルダン渓谷にかつてあった都市「トール・エル・ハマム」で紀元前1650年頃に何が起こったのかを調べたよ。
○その結果、大気圏に突入した天体が上空で分解して、膨大なエネルギー放出を受けて一瞬で壊滅したらしい事が明らかになったよ!
論文の概要
今回紹介する論文は、ノーザン・アリゾナ大学のTed E. Bunchなどの研究チームがまとめ、Scientific Reportsに投稿した以下の論文だよ!
(a) トール・エル・ハマムとその周辺を撮影したスペースシャトルからの画像。
(b) トール・エル・ハマムを西南西に観た時の景色。寺院跡と宮殿跡があり、後方には死海もある。
この論文で主に調査対象となったのは、古代都市「トール・エル・ハマム (Tall el-Hammam)」だよ。トール・エル・ハマムは、現在のヨルダンにある遺跡で、死海の北側、ヨルダン川の河口にほど近い、ヨルダン渓谷の東側に位置した都市だよ。トール・エル・ハマムの位置には、銅器時代から東ローマ帝国時代にいたるまで、様々な時代の都市の痕跡が地層として積み重なっていて、当時を知る貴重な手がかりが発掘されているよ。そしてトール・エル・ハマムが凄いのは、紀元前4700年頃から紀元前1650年頃までの約3000年間も存在した事だよ。数千年も前の頃にこれほどの都市を作れるとは、当時のトール・エル・ハマムがいかに巨大だったかを伺わせるね!今回の研究では、発掘調査で現れた地層のうちの1.5メートルの厚さとなっている、紀元前1800年頃から紀元前1550年頃に当たる「MBII (青銅器時代中期II)」という地層を調査したよ。
当時のトール・エル・ハマムの近くは降水量が現在よりも多く、死海も現在より水位が高いくらいだったよ。このため帯水層を発掘すれば湧き水が湧くくらい、乾燥した地域にしては水が豊富な場所で、だからこそ長年都市を維持できた、とも言えるね。トール・エル・ハマム周辺のミドル・ゴールと呼ばれる地域 (Middle Ghor) には、他にトール・ニムリン (Tall Nimrin) とテル・エッ・スルタン (Tell es-Sultan / 現在のパレスチナ、エリコの一部) という都市と、この3つの都市に隣接する小さな衛星都市や集落が無数にあり、少なくとも5万人、恐らくは4万5000人から6万人の人口がいたとされているよ。トール・エル・ハマムの発掘現場からは、厚さが4mもある基礎が発掘されていて、上には高さ11mから15m、壁の厚さが1.0mから2.2mもある巨大な建物が存在したとも言われているよ!この建物は、泥を乾燥させた日干しレンガで構築されていたと推定されているよ。また防御壁は、底部では厚さ30m、上部でも厚さ7mから8mで、人を巡回パトロールさせるには十分な幅だね。この要塞自体が36万m² (0.36km² / 36ha) もあり、更にスプロール現象で建設された郊外も少なくとも30万m² (0.30km² / 30ha) もあるんだよ。これはトール・ニムリンの約4倍、テル・エッ・スルタンの約5倍も大きいよ!トール・エル・ハマムがいかに巨大な都市かが分かるね!
(a) 発掘された基礎より想定される宮殿の再現画像。
(b) 実際の基礎の画像。建造物を構成していた日干しレンガの大部分が失われている事を示す。
(a) 宮殿の食堂跡とみられる場所。2と番号が付けられた黒い層は木炭が多く含まれており、宮殿の火災の可能性を示している。
(b) 写真aと同じ地層のクローズアップ写真。
(c) 宮殿跡で見つかった、破損した壺。黒い点は穀物や種子と思われる炭化した物質。
(d) 炭化した屋根材。
ところが、そんな繁栄と栄華を極めたかもしれないトール・エル・ハマムは、発掘調査で得られる遺物が紀元前1650年頃 (正確には紀元前1661年±20年 / 68%信頼区間紀元前1686年から紀元前1632年) で突然途絶え、その後約600年間、鉄器時代の後期に至るまで、この地域が支配される事はなかったんだよ。しかも、トール・エル・ハマムを含め16のそれなりに大きな都市と、100以上の小さな集落があった地域は、600年後の再支配の後は数百人の遊牧民が暮らす程度にまで荒廃したんだよ。これはかなり変だね。そしてMBII層という地層自体、その前後の地層から見ると相当変だよ。厚さ1.5mの地層の全体に渡って、何千もの異なる陶器、日干しレンガ、炭化した木製の梁、焦げた穀物、人骨、チョークのような焼けた石灰岩の丸石など、様々な破片が層全体にごちゃまぜに分布していて、これ自体が前後の時代だけでなく、古代オリエント全体から見ても異質だよ。加えてMBII層の一番下まで掘ってみると、溶けて泡立ったように見える日干しレンガの破片、枝を編んだ細工が施されている、部分的に融けたような粘土の屋根、融けた石膏など、非常に珍しい跡を持つ遺物が発見されたよ。これらの融けたような外観は、建物がかなりの高温に晒されるようなイベントを経験した事を意味するよ。更に特徴的な事は、陶器、日干しレンガ、穀物や種子などの破片の分布や、防御壁をが南西方向にある部分は基礎の上の日干しレンガが残っているのに対し、防御壁が北東方向にある部分ではほぼ残っていない事、この層ではめったに見つからないほぼ壊れていない陶器は、そのほとんどが南西方向に壁があり、北東方向に傾いている事、その他の破片も南西方向から北東方向に流れている事、日干しレンガの層に現代の発掘調査まで採掘や風雨による浸食が見られないなど、何か南西方向から強い衝撃を受けて、一気に埋没したかのような状況が当時起こったと推定されるんだよ!
詳しい理由はこの後ずらずら~って書くけど、結論から先に言っちゃうと、この論文では紀元前1650年頃にトール・エル・ハマムの上空で天体、恐らくは炭素質コンドライトの小惑星か彗星の空中分解が発生し、それに伴う高エネルギーの高熱と衝撃波で街が破壊された!という説を主張しているんだよ! (コンドライトは隕石の分類の1つで、簡単に言えば金属成分が少なく、石の成分が多い隕石の事を指しているよ。そして炭素質コンドライトは、コンドライトの中でも炭素が多い隕石を差しているよ。) そして、あくまでも年代や場所、そもそも実在したのかどうかの議論や推測はこの論文の範疇を越えていて、証拠がないという注意点は書きつつも、このトール・エル・ハマムで起きた災厄が、旧約聖書に登場する神話「ソドムとゴモラ」の元ネタになった可能性がある (あくまで可能性!そうだと言い切っているわけじゃないよ!) という点もかなりユニークな点だと思うんだよ。別に神話を証明しようって動機で始めた研究じゃないのに、神話の描写ととても一致するというのは中々運命的なものを感じるね。
今回の研究で調べられた4ヶ所の地点。
トール・エル・ハマムに何が起きたのか、というのは、実際に見てもいないし、ズバリ述べた文献もないお話だから、当然ながらいくつもの仮説が考えられるよ。今回の論文では、MBII層について主に4ヶ所の地点から試料を採集し、想定される様々な仮説について検証して、天体の空中分解による衝撃波が本当に起きたのか、という点を調べていくよ。
ところで、ちょっと注意してほしいのは、これを "隕石の空中爆発" とするのは語弊があるという点だよ。実際に起きている事は、宇宙から地球の大気圏に突入した天体が、大気から受ける強い抵抗に耐えきれず砕け散り、その過程で膨大な熱と衝撃を発する現象で、見た目上は爆発的なエネルギー放出でも、実際には爆発していないんだよ。また、厳密なことを言うと、隕石は地球表面に落ちた地球外の物体を指す用語で、空中を落下中の場合には隕石と呼ばれず、小惑星などの宇宙空間での天体の分類に従う名称になるから、今回は隕石の空中爆発とは書いてないよ。
科学研究と神話の絡み
神話は世界中の様々な地域や民族で伝えられているもので、その内容も様々だよ。そして神話の中には、現実には起きえない、それこそ "神の所業" としか思えない出来事が書かれている場合もあるね。一方で、神話が述べている事の全てがフィクションではなく、何かしら現実に起きた出来事を元ネタにしているんじゃないか、という解釈や研究はたくさんあるよ。例えば日本神話の太陽神である天照大御神が天岩戸に隠れてしまい、世界が闇に包まれたという岩戸隠れ伝説は、日食と日没が重なったのを見たからではないか、と言う解釈があるような話だよ。研究がもし、神話が実際の話だと証明しようという動機で始められたものだと、予言書に後付けで解釈を加えるような恣意的な事もできちゃうわけだけど、全くそれとは別の立ち位置から研究した結果、意外と神話と結びつく出来事に繋がっちゃう、というのが、特に考古学や人類学の研究ではあることで、神話と繋がるからってそれが科学研究ではない、って事は全然ないんだよ!
『ソドムとゴモラの破壊』ジョン・マーティン1852年作、レイング・アート・ギャラリー所蔵
画像引用元: WikiMedia Commons (Public Domain)
キリスト教でいう旧約聖書のうち、モーセ五書の1つ『創世記』も、時に科学的な研究で登場する神話の1つだよ。細かい宗教的区分の議論は割愛するけど、これはユダヤ教ではタナハのうちの『トーラー』、イスラム教では『タウラート』に含まれるよ。今回の論文で述べられているのは、『創世記』第18章と第19章で述べられているソドムとゴモラについてだよ!まずは該当部分について、論文と関わる部分を引用するね。
もうちょっと前後を追加して軽く説明すると、「当時あったソドムとゴモラという大都市は犯している罪 (具体的な内容は『創世記』には記されておらず、後世の著者や翻訳者が様々な解釈をしている状態) が大きくて、主が硫黄と火を天から降らせ、町と周辺の低地にある人から植物からあらゆるものを滅ぼした。ソドムに住んでいた敬虔なロトは主に助けられて家族と共に逃げられたんだけど、妻は言いつけを守らず後ろを振り返ってしまい塩の柱になった。アブラハム (簡単に言えば主人公) がソドムとゴモラの方を見ると、そこには煙が立ち上っていた。」というお話だよ。
ソドムとゴモラが実在したかどうか、実在したとしてどこにあったのか、と言うのは現在でもはっきりしていないんだけど、火のない所に煙は立たぬ、と言うのか、この神話には元ネタとなる現実に起きた出来事があったんじゃないか、というのは昔から言われてきた事だよ。特に「主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて」という書き方を現代の視点で解釈するなら、一番近いと思われるのが火山だね!火山は文字通り硫黄や火を天から降らせる事、メカニズムが未解明な当時からしたら神の所業としか思えないのも無理はないからね。一方で、旧約聖書の書かれた時代に人類の文明があっただろう死海周辺の中東地域は、火山以外にも地震などの自然災害もあるし、戦争などで何回も都市が滅ぼされ再建された歴史もあるから、仮にソドムとゴモラが受けた災厄が実際に起きた出来事だったとして、それが実際にはなんだったのか、と言うには考古学的な史料が必要となってくるよ。でなければ、ソドムとゴモラを滅ぼした主は宇宙人で、天からの火はUFOによる襲撃とも主張できちゃうからね。
大規模な火災が起きたかについての検証
都市の大規模な崩壊や火災が起きる自然災害の代表例としては、まず地震が挙げられるね。実際この辺りは、アフリカ大陸から延びる大地溝帯に属するヨルダン地溝帯に位置していて、海水面よりはるかに低い土地であるヨルダン渓谷や死海などは、この地溝帯があるからこそ築かれた地形と言えるんだよ。そして地溝帯と言うのはプレート活動によって生じるものだから、大規模な地震は発生しやすくて、過去にはマグニチュード6クラスの地震が起きた証拠もあるんだよ。発掘調査でも、MBII層より前の時代の、紀元前3300年頃に発生した推定マグニチュード6.0以上の地震と、紀元前2100年頃に発生した推定マグニチュード6.8以上の地震の痕跡が見つかっていて、破壊の跡もあったんだよ。ところがこれらからは、今回見つかったような融けた遺物は見つからなかったんだよ。また、紀元前1800年頃から紀元前1560年頃までの間、この地域で巨大な地震が起きた痕跡は今のところ見つかってないよ。
戦争も都市の崩壊や火災に結びつく災厄の1つだね。特に大規模な軍事的な侵攻が起きた場合は、大量の陶器や建物の破片、武器の存在や遺体の埋葬が証拠となり得るよ。でも、MBII層では矢じりや投石器と言った武器を示す証拠は、矢じりを1個だけ見つけた以外は全く発見されず、むしろそれより新しい紀元前1650年頃から紀元前1350年頃までの300年間の間の方が見つかっているんだよ。また、近くの都市であるトール・ニムリンやテル・エッ・スルタンでは、過去の戦争での激しい破壊の証拠が見つかっているけど、紀元前1650年頃の際には征服されるほどの大規模な侵攻に至らなかったか、そもそも戦争の痕跡が見つからなかったよ。この時代の戦争は、征服を成功させた側は、征服させた側を服従させるために、そこに根差した文化や宗教を否定し、自分たちの文化や宗教に置き換えるような行動がしばしばみられるよ。そのために、文化や宗教の根源である様々な物品を破壊する例は数多くあるよ。だから裏を返すと、破壊の度合いからどの程度侵攻や征服に至ったのかというのを推定する事が可能なんだよ。そして何より、破壊された物品の破片からは、溶けたような跡は見つからなかったよ。
また、堆積物に含まれる炭素の量を調べると、前後の層より炭素の量が多い事が分かって、また植物片や木片と言った有機物が焦げた状態で見つかったよ。そして宮殿裏にあるシルト質の石灰の多い砂の分析では、植物・木・織物は一切見つからなかった一方で、1wt% (wt%=重量パーセント) ほど含まれている全有機炭素の平均75.8% (55.7%〜95.8%) が煤でできている事が分かったんだよ。この煤の量は、植物などのバイオマスを激しく燃焼させた際に発生するような状況と一致するよ。
(a) ダイヤモンド様炭素の塊の透過型電子顕微鏡。
(b) ダイヤモンド様炭素の高分解能透過型電子顕微鏡。
(c) 制限視野電子回折によれば、ダイヤモンド様炭素の結晶構造は非常に短周期的である事が分かる。
(d) 画像中の白く表示されている部分がダイヤモンド様炭素。それ以外は普通の炭素。
(e) 画像dと同じ領域の紫外線画像。立方晶ダイヤモンドで典型的な、440nmの紫外線波長で蛍光している。
陶器に埋め込まれたダイヤモンド様炭素を含む炭素の粒。元素分析ではほぼ炭素のみが存在し、酸素、ケイ素、カルシウム、アルミニウムはほぼ含まれていない。
更に、MBII層の堆積物を複数の試薬で処理し、耐火性・耐酸性の炭素化合物を除去した後も残る炭素を調べたところ、ダイヤモンド構造がナノレベルで存在する「ダイヤモンド様炭素 (Diamond-like carbon / またはダイヤモノイド (Diamonoid)」が発見されたよ。電子顕微鏡や電子回折による結晶構造の解析、光学顕微鏡による色や紫外線による蛍光の観察は、どれもダイヤモンド様炭素に一致する結果を示したよ。ただ、ダイヤモンド様炭素は隕石衝突のような高温高圧環境で生物などの有機物や炭酸塩のような無機炭素から生成される事があるのは確かだけど、石油や石炭のような、より穏やかな環境にいた炭素にも含まれているよ。また、MBII層にダイヤモンド様炭素が多く含まれている事は確かでも、他の地層からも量は少ないながらも検出されていて、恐らく過去の堆積作用や風化によって濃集されたものが含まれているよ。だからダイヤモンド様炭素があったというそれだけでは、何の説を唱えるにせよ、それ単独では証拠としては弱いんだよ。
以上の事から、トール・エル・ハマムは、紀元前1650年頃に、地震でも戦争でもない激しい火災に見舞われ、しかもその熱はかなりの高温だった事が推定されるよ。
南西方向からの激しい熱と衝撃を受けたかの検証
融けた外観を持つ陶器の破片。ガラス化している部分は黒変し、一部は泡立ったかのように穴が開いている。
MBII層から見つかったいくつかの陶器は、表面が融けたような外観をしているよ。これは熱を受けて黒く変色しているか、透明から緑色のガラス質に変化していて、割れた後に熱を受けて泡立ち、その後急冷されたかのような外観をしているよ。陶器の材質の主成分はモンモリロン石 (Montmorillonite) と言う粘土鉱物で、石灰岩が風化して生じる白い粘土だから、元々の陶器の色も白かったと考えられるよ。
融けたような跡のない陶器の破片で実験を行うと、脱ガス成分を調べる熱重量分析で試せた最高温度の1400℃でも融解は観測されなかったよ。陶器の分析から計算上予測される融点 (融ける温度) は1300℃から1500℃で実験と一致するね。熱電対と酸素-プロピレントーチによる加熱では、1500±25℃で一部が融けたけど、発掘調査で見つかったような広範な融解にはならなかったし、陶器に含まれる石英 (Quartz) は融けなかったよ。この事から、陶器はかなり広範囲に渡って1500℃以上の熱に晒された事が推定されるよ!このような高温を実現する自然現象には落雷が考えられるけど、陶器に残る残留磁場は、落雷の可能性をかなり低くするよ。
融けた外観を持つ日干しレンガの画像。
同じく、融けたように見える日干しレンガも検証したよ。ただ、融けた日干しレンガと、単にバラバラになって固まった日干しレンガの区別がつかないから、これは予備的な調査となるよ。それでも、日干しレンガの計算上の融点は1300℃から1500℃で、実験的には1250℃で融解したから、より低い融点の説明は、炭酸塩や燐酸塩などの融点降下剤 (混ざる事で融点が下がる物質) が含まれることで、融点を下げている可能性はあるよ。また、電子顕微鏡的には部分的に融けた鉱物結晶や、金属の粒子なども観察されるよ。これも、単に砕けて溜まっただけの日干しレンガではあまり考えにくいものだよ。
融けた屋根材の画像。植物の繊維と見られる部分が存在している。
装飾の施された屋根材も、表面の1mmから5mmが融けていたよ。この屋根材には、植物の茎や葉、藁と言った植物質の材料が複合されていて、それが焼き付いた痕跡が残っているよ。植物が背を伸ばしても身体を支えるあの硬い感じや、野菜を食べるとシャキシャキするあの歯ごたえは、植物の細胞に含まれるプラント・オパールという非結晶含水珪酸体、簡単に言うとすごく小さな砂粒のようなものが含まれているせいなんだけど、これが450℃から550℃くらいに晒されると、植物に含まれていた水分や炭素が蒸発してプラント・オパールだけが残るよ。屋根材にはかつて植物だっただろうプラント・オパールが、粘土鉱物と融合する形で残っていて、これが植物の名残だと考えられるよ。もしプラント・オパールを完全に融かそうとするなら、1250℃以上の高温が必要だよ。
破壊された壺の破片の分布をみると、南西方向から北東方向への物質の流れが観れる。このような方向性は他の場所でも。
更に、陶器や日干しレンガ、建築材料、穀物や種子と言った遺物について、約100ヶ所の調査で、ほとんどすべてが元あった場所から見て北東方向へと散らばる分布をしている事が分かったよ。そのほとんどはMBII層の底から20cm以内にあり、壺の中に保管されていただろう穀物や種子も、炭化しながら同じ方向に流れていたよ。また、約400kgもある石臼も北東方向へと倒れ、穀物も同様に流れていたよ。穀物の放射性炭素年代測定では、MBII層と同じ紀元前1650年頃を示していたよ。また、かつては壁だったと考えられる、基礎と日干しレンガが残る層を観察してみると、壁は単に倒れただけじゃなくて、倒れて露出した破断面が激しい摩擦を受けて削られて、すべすべしている局面を生み出しているように見える場所があったよ。
そして、日干しレンガなら粉砕して固めれば再利用ができる材料だし、石造りの基礎もまた再利用できるものだから、仮に破壊されたとしてもそれを利用できるはずなのに、実際には紀元前1650年頃の300年後に小規模な都市が再建されるだけで、その都市の規模もトール・エル・ハマムと比べればかなり小規模だったよ。結果、MBII層の日干しレンガと基礎の大部分は、現代の発掘調査まで手付かずのまま放置されたよ。
これらの結果、トール・エル・ハマムは紀元前1650年頃に、南西方向から北東方向へと流れる強い衝撃と、衝撃によって破壊され流れた建造物や陶器その他の混合物の流れで大規模な力が加わり、様々な破壊や摩耗を受けたと推定されるよ。また場所によっては1500℃以上の激しい高温にも晒されており、これは当時の技術では部分的にでも達成しえないかなりの高温だったはずだよ。
衝撃石英の検証
トール・エル・ハマムから見つかった、様々な衝撃石英の画像。
石英は、一般的には水晶とも呼ばれる、二酸化ケイ素 (SiO₂) の結晶だよ。ケイ素原子と酸素原子の結合のレベルから見て、石英は極めて硬い結晶だから、普通の現象では結晶構造に歪みを生じさせることは難しいよ。だけど、石英が変形する限界である弾性限界、およそ7km/s以上の圧力を受けると、結晶構造に微細なずれであるラメラ状組織が生じる事があるよ。この状態になった石英を「衝撃石英 (Shocked Quartz)」と呼ぶよ。衝撃石英を生じるような現象は限られていて、落雷、隕石衝突、天体の落下中の空中分解、核実験、人工的な石英片の試験結果だよ。
核兵器はもちろん紀元前1650年頃にはないし、トール・エル・ハマム周辺で行われた記録もないよ。地層に深く埋没していたMBII層は近現代の人工物による汚染を回避しているよ。残るは落雷と隕石だけど、MBII層に含まれていた衝撃石英のラメラ状組織はかなり大きくて、また結晶構造に対するラメラ状組織の方向からも、落雷では到達できない圧力を受けていた事を意味するよ。隕石が地面に直接衝突してクレーターを生じた場合には、多くの衝撃石英が生じるよ。クレーターが数十m程度の大きさだった場合には、長い年月のうちにヨルダン川の氾濫や浸食で消えてしまう可能性もあるから、クレーターが無い事は隕石衝突を否定しないよ。ただ、約2000個のサンプルの中で、衝撃石英はMBII層では7個発見されたけど、前後の時代では見つからなかった事から、仮に隕石衝突だったとしても、紀元前1650年頃とは違う時代に起きた可能性はかなり低いよ。
論文では、最も可能性が高いイベントの可能性として、炭素質コンドライトか彗星の空中分解と、それに伴う高熱と衝撃波を挙げているよ。歴史上よく知られていて、同時に極めて大規模だった隕石の空中爆発のイベントは、1908年6月30日にロシア帝国領、中央シベリア、ポドカメンナヤ・ツングースカ川上流 (現在のロシア連邦、クラスノヤルスク地方) で発生した「ツングースカ大爆発」だよ。上空5kmから15kmで直径50mから80mほどの天体が砕け散り、衝撃波によって幅70km・長さ55kmに渡ってバタイフライ状に森の木々約8000万本がなぎ倒されたよ。現場はあまりにも僻地だったため、公式には死者が0人、非公式でも3人とされているよ。ツングースカ大爆発で生じたエネルギーは10Mtから30Mtと推定されていて、これは1945年に日本の広島市に投下された原子爆弾リトルボーイ (15kt) の700倍から2000倍にもなるよ!
(a / b) ツングースカ大爆発の試料中の衝撃石英の画像。
(c / d) トリニティ実験の試料中の衝撃石英の画像。
(e / f) RDS-1とRDS-6の試料中から、今回の研究で初めて見つかった衝撃石英の画像。
今回はツングースカ大爆発の現場の試料に加えて、1945年7月16日にアメリカ合衆国で行なわれた、人類初の核実験でもある「トリニティ実験」 (高度40m / 核出力22kt) と、とソビエト連邦によってカザフスタンで行われた1949年8月29日の核実験「RDS-1」 (高度30m / 核出力20kt) と1953年8月12日の核実験「RDS-6」 (400m / 400kt) の試料 (2つの核実験は同じ場所で行われたので混合している) も比較したよ。共通するのは、威力や高度の差はあれど、どれも空中で高熱と衝撃波が発生したという点だよ。この内トリニティ実験では衝撃石英が発見されていて、これは核爆発で生じた火球の温度が8700℃程度となり、地面が14秒から20秒間の間1600℃の高温に晒された上、少なくとも8GPa (1GPaは大気圧の1000倍) の圧力に晒された事を意味しているよ。一方で、RDS-1とRDS-6の実験場からは、これまでは衝撃石英は報告されていなかったけど、今回の研究で初めて衝撃石英が発見されたよ。この事から、直接地面に天体が衝突しなくても、衝撃石英は生じうる事が確かめられたよ。
以上の事から、紀元前1650年頃にトール・エル・ハマム上空で天体の空中分解が起きて、生じた高熱と衝撃波によって衝撃石英が生成されたと考えられるよ。また砕けた天体の一部が、中心から5kmから10kmの範囲内に落下した可能性があるよ。この場合にはクレーターが生じうるけど、浸食によって消えてしまった可能性があるよ。ラメラ状組織の構造から、晒された圧力は5GPaから10GPaの範囲内と考えられるよ。
高温に晒された鉱物の検証
陶器や日干しレンガは天然にある粘土などを原料にするから、その中には様々な種類の鉱物がたくさん含まれているよ。それらは成分や構造によって、過去にどんな環境にいたかを推定する手掛かりになるよ。
融けた石英粒の画像。
まず最初に検討されたのは、衝撃石英の時にも出てきた石英だよ。石英の溶ける温度は、マイクロメートルサイズのとても小さな粒になった場合には、その大きさによって値が変化するよ。過去の実験では、50μm (1μm=100万分の1m / 1000分の1mm) より小さな石英粒は1300℃で部分的に融けるけど、50μmより大きな石英粒は1700℃まで変化しない事、そして1850℃でどの石英粒も完全に融けたよ。トール・エル・ハマムの遺物からは融けた石英粒が見つかるけど、それは外観的にも融けているような、高温に晒された事が明らかなものの表面だけで、そうではない面からは見つからなかったよ。これらの事から、石英を含む遺物は1700℃から1850℃の温度に晒された事があり、これは普通の火災では決して到達しない温度だよ!
鉄やケイ素に富む小球の画像。
ランタンやセリウムなどの希土類に富む小球の画像。
マイクロメートルサイズの鉄やケイ素に富む小球は、隕石に関連する場所で見つかる事はあるけど、一方で石炭の燃焼、フランボイド (堆積物中に自然に生じる小球) 、火山、破砕された小球状の磁鉄鉱 (Magnetite) の周りにも生じるから、小球があったから隕石もあったとはただちに言えないよ。とはいえ、まずMBII層では見つかる小球が、前後の時代ではほぼ、あるいは全く発見されないし、成分分析ではチタン、ランタンやセリウムなどの希土類元素、酸化鉄小球、一硫化チタン (TiS / ワッソン鉱 / Wassonite) などの興味深い成分・鉱物が発見されたよ。一部は他の説明がつくものもあるけど、総合的にみれば、鉄やケイ素に富む小球が受けた熱は最低でも1300℃、恐らくは鉄と希土類に富む小球は1590℃以上、ケイ素に富む小球は1250℃以上の高温に晒せて一度融けたと推定されるよ。他の似たような条件、例えば干し草の山や藁葺き屋根の燃焼、炭鉱での石炭の燃焼、ガラス化するまで陶器を熱するなどでは晒されない温度だし、少なくとも現時点でこのような現場から似たような小球は未発見だよ。
炭酸カルシウムに富む小球の画像。
マイクロメートルサイズの炭酸カルシウム (CaCO₃) の小球も発見されているよ。これもやっぱり前後の時代ではほとんど見られず、MBII層では大量に見つかっているよ。成分分析ではほぼ硫酸塩が含まれておらず、ほぼ純粋な炭酸塩である事、建物に使われた漆喰の成分分析もほぼ同じ事、化石のような構造が見つかっていない事、トール・エル・ハマムの近くではるか昔の紀元前6750年頃には石灰岩から漆喰を作っていた事が発見されているから、この小球は建物の建材として使われていた漆喰から生じたとものと考えられるよ。この場合、ナトリウムや水などの不純物がある条件下では、1500℃ほどで炭酸カルシウムが酸化カルシウム (CaO) と二酸化炭素 (CO₂) に分解される事から、炭酸カルシウムの小球は、漆喰が1500℃以上の高温に晒されて生じた酸化カルシウムの小球が元で、その後周りの二酸化炭素を吸収して炭酸カルシウムへと変化したものだと推定されるよ。
融けたジルコン粒の画像。Bdと書かれた部分はジルコンから変質してできたはバッデレイ石。
他に温度の指標となるものとして「ジルコン (Zircon / ZrSiO₄)」があるよ。ジルコンは結構どこにでもある鉱物で、かつ化学的にも物理学的にもかなり頑丈な鉱物として知られているよ。ジルコンの粒を見てみると、やはり融けていない面では正常でも、融けている面では異常なジルコンの粒が観察されたよ。典型的には表面の融解に加えて、内部にはバッデレイ石 (Baddeleyite / ZrO₂) や空洞が観察されたよ。バッデレイ石や空洞は、ジルコンの理論上の融点である1687℃近くまで晒されるとジルコンの分解で生じる事が知られているよ。融けているだけなら珍しくもないけど、こんな内部構造は、同じく高温に晒された事が分かっている隕石衝突によるクレーターでしか発見されていないから、この事も高温の指標になるね!
かなり珍しい外観を持っているクロム鉄鉱の画像。
かなり珍しい粒として、クロム鉄鉱 (Chromite / FeCr₂O₄) も発見されたよ。小さなクロム鉄鉱の粒は1600℃から1700℃で表面が融けると推定されるよ。また、クロム鉄鉱の結晶には平面的な破断面があって、クロム鉄鉱が劈開を示さない (結晶の特定の方向に沿って力を加えると簡単に割れる性質を劈開と言うよ) という事を考えると、これはかなり珍しいよ。1つの仮説として、非常に高温に晒されて融けた後、急激に冷えて固まったために生じたひび割れという考え方があるよ。これは天然では一部の黒曜石を除いて稀な現象だけど、核爆発、落雷、隕石衝突の可能性を示すよ。ただ、マグマの急速冷却のようなもっと普通な理由も外せないから、クロム鉄鉱単独では予備的な指標となるよ。
白金、鉄、銀、ニッケル、クロムなどに富む金属粒の画像。
様々な金属元素の濃度のグラフ。他の地層の濃度と比べて、BMII層のみ突出して高濃度である。
白金・鉄・イリジウムの3元素で分布を取ったもの。それぞれの濃度の関係性から見ると、鉄が白金族元素より多い粒では、地球にある物質には似ておらず、地球外の物質に似ている事が分かる。
融けた遺物からは、融けた金属の微細な塊が見つかっているよ。その一部の組成は興味深くて、白金族元素 (ルテニウム・ロジウム・パラジウム・オスミウム・イリジウム・白金) 、銀、金、クロム、銅、ニッケルと言った成分が見つかっているよ。これらはどこから来たのかな?1つ面白い点として、これらは融けた遺物の表面からのみ見つかっていて、内部に行くと見つからなくなる点だよ。これらの金属はどれもかなりの高温でないと融けないけど、自然界での起源も考えられるから検討する必要があるよ。まず白金族元素を含む金属の塊は、自然界ではしばしばそうであるように、鉄との混合物で、白金族元素が多い粒と、鉄が多い粒に分ける事ができるよ。こういう白金族元素を含む粒は、川の底のような水の流れがある所では普通に見つかるものではあるから、ただちに地球外から来たとは言えないよ。ただ一方で、恐竜が絶滅した事で有名な6600万年前の隕石衝突では、K-Pg境界という地層があって、この成分を分析すると、白金族元素、特にイリジウムが異常に多く含まれている事が知られているように、隕石と白金族元素はしばしば関連しているよ。これは、白金族元素が比重がとても大きく、地球が誕生した時に大部分が中心核へと沈み込んで不足したのに対し、小惑星はいわば惑星に成り切れなかった破片だから、その一部は地球の中心核に近い組成をしていて、相対的に白金族元素が多い事も関係しているよ。さて、トール・エル・ハマムで見つかった白金族元素の粒を、鉄が多いか少ないかでグループ分けした上で分析してみると、鉄-白金-イリジウムの濃度で分布図を取る事ができたよ。これを今まで分析されている地球上の、あるいは地球外の白金族元素の粒と比較してみると、白金族元素が鉄より多い粒では地球にある物質に似ていて、地球外の物質には似ていないのに対し、鉄が白金族元素より多い粒では地球にある物質には似ておらず、地球外の物質に似ている事が分かったよ。これに加えて、鉄が白金族元素より多い粒ではモリブデンという元素が見つかっているけど、これも地球にある白金族元素の粒ではほぼ報告がなく、炭素質コンドライト、彗星、海底に堆積する宇宙塵には報告されているよ。また、白金族元素が少ない、銀、金、クロム、鉄、ニッケルの粒についても検証してみたよ。これらの金属は、融点の低い銀でも961℃、最も高いクロムでは1907℃の高温が必要だけど、外観的に融けて見えるよ。更に、これらの粒の組成の一部は地球のものに似ていたけど、一部は鉄隕石、コンドライト、エイコンドライト、彗星と言った地球外の物質に似ていたよ。これらを総合的に観ると、トール・エル・ハマムの上空で炭素質コンドライトか彗星が空中分解し、その一部が地表まで降りてきて、融けた瓦礫に埋め込まれたと考える事ができるよ。地球由来と考えられる金属粒は、衝撃波で巻き上げられた川底の堆積物由来と考える事ができるよ。
堆積物中の白金、イリジウム、パラジウムの濃度の検証
様々な地点での白金と白金/パラジウム比。MBII層は他の層と濃度が異なっている。
さっきも言った通り、イリジウムのような白金族元素は地球表面には珍しいので、6600万年前のK-Pg境界のように、周りの地層と比べて濃度が高い場合、それは隕石の落下の可能性を伺わせるよ。ただ、例えばたまたまそこが川や湖の底だったり、地中から物質が噴きあがる火山の噴火でも同様の現象は起きる可能性があるから、あくまでもこれは検討する証拠の1つという事になるよ。
MBII層の分析では、他の地層と比べて異常な値が出たよ。例えば白金の場合、地殻の平均濃度0.5ppb (1ppb=10億分の1 / 0.0000001%) の2倍から8倍多かったよ。イリジウムはどういうわけか4ヶ所中3ヶ所は検出限界の0.1ppbを下回ったけど、1ヶ所だけは1.0ppbに達していて、地殻の平均濃度0.02ppbの50倍になったよ。更に白金とパラジウムの比率は、他の地層と比べて4倍から14倍も外れた値を示しているよ。これらの事は、何らかの理由でMBII層に白金族元素が異常に多く堆積する何かが起きた事を示しているよ。
泡立ってガラス化した部分の内部や気泡内壁の検証
気泡の内壁にある様々な物質の画像。
融けた遺物の一部には、融けただけでなく泡立ってガラス化したような物質もあるよ。この気泡の跡の内側には、様々な物質が結晶として存在するよ。見つかったのは赤鉄鉱 (Hematite / Fe₂O₃ / 融点1565℃) 、磁鉄鉱 (Magnetite / Fe₃O₄ / 融点1590℃) 、金属鉄 (Fe / 融点1538℃) 、一燐化二鉄 (Fe₂P / 融点1100℃) 、一酸化マンガン (MnO / 融点1945℃) 、燐酸カルシウム (Ca₃(PO₄)₂ / 融点1670℃) 、珪酸カルシウム (CaSiO₂ / 融点2130℃) が見つかったよ。これらは恐らく、高温で融けて気泡ができた後、冷えて固まっていく際に、ガラス化した物質内から結晶化して生じた、と考えられるよ。
気泡の内部から見つかる一硫化鉄や燐化鉄の画像。
気泡の内部から見つかる燐化カルシウムの画像。
また、これとは別に気泡の内側や内部には、チタンに富む磁鉄鉱、トロイリ鉱 (Troilite / FeS / 融点1194℃) 、一燐化二鉄、一燐化三鉄 (Fe₃P / 融点1100℃) 、燐化カルシウム (Ca₃P₂) が見つかったよ。チタンに富む磁鉄鉱は、泡立ちの原因となる揮発性物質 (気体になりやすい物質) が多い事と関連しているよ。トロイリ鉱と燐化鉄は隕石には良く見つかる一方で、地球ではとても珍しいよ。ただ一燐化二鉄だけに関しては、イスラエルでバリンジャー鉱 (Barringerite) として火成岩の中に見つかっているという珍しい条件を満たしてはいるけど、イスラエルのバリンジャー鉱とは違って、ニッケル、クロム、コバルトと言った微量成分がMBII層の一燐化二鉄には見つかっていないよ。状況的にトロイリ鉱と燐化鉄は、高温で気泡の内壁に蒸着 (蒸気が固体表面に付着し冷えて固体になる事) した、と考えられるよ。燐化カルシウムは、融けてガラス化した物質の内部でケイ酸カルシウムから直接生じた可能性が高いよ。
人骨から診られるダメージの検証
MBII層からは人骨が何人分か見つかっているよ。大きな人骨はあんまりなくて、大抵はセンチメートルサイズの細かく砕けた破片が、土砂をふるい分けると見つかるよ。これらの骨は、本当に人骨なのか、それとも他の動物の骨なのか実際には分からないけど、仮に大きな人骨の周辺で見つかったものを全て人骨由来と仮定しても、見つかったのは全人骨の10%くらいで、残りの大部分は行方不明と言う状態だよ。
(a) 離断した頭蓋骨。色が赤色なのは200℃以上の温度に晒された事を示す。法医学的には、生前に右側の眼窩が骨折している事が分かっている。
(b) 別の頭蓋骨とその周辺にある骨の断片。
(c) 脚の骨。特に足先の骨が極度に曲がっているのが分かる。
ガラス状物質が食い込んだ骨の画像。
銀や酸化錫、塩分が付着している骨の画像。
比較的保存状態の良い人骨を法医学的に調べてみると、かなり異常な事が起きていた事が伺えるよ。ある人骨は、首が斬られるか千切られるかされていて、脚が関節離断 (関節部分で千切れた) していた事が伺えるよ。別の人骨では、中足骨の骨が過剰に引き延ばされ、基節骨が中足骨に対して90度も曲げられていたよ (中足骨と基節骨のどちらも足の指を構成する骨の一部) 。変色度合いから200℃以上の高温に晒された事が分かる骨、先端10cmが炭化した大腿骨 (股間から膝にかけての脚の骨) 、高濃度の塩化カルシウムに覆われた骨、ガラスや銀、酸化錫が混ざり合った骨なども見つかったよ。1つの人骨は、頭を手で覆って姿勢を低くする、ちょうどポンペイで見つかったような、そして一般的に観られる保護の姿勢をしていたよ。人骨が埋まっていた状況、バラバラに散らばった度合い、骨の残り具合から、意図的な埋葬や遺棄、滑落などの事故死、暴力や戦争、火山噴火、地震、腐肉食動物による解体の可能性は低いよ。竜巻に巻き込まれた場合、人骨にみられるような強大な力を人体に与えうるけど、この地域では竜巻はめったに発生しないし、その威力も弱いし、何より高温に晒された事を説明できないよ。人工的な大爆発はあるいはこの状態を説明するけど、通常火薬にせよ核兵器にせよ、そんな巨大な爆発を空中で起こしうるものは紀元前1650年頃には存在しないよ。
これらの人骨の状況を見ると、宇宙から落ちてきた天体の空中分解により、非常に激しい衝撃波と高熱がトール・エル・ハマムを襲い、地面や建造物、日用品などが高速で飛来する凶器となって人々を襲ったと考えられるよ。この災厄によって、人々は筋肉や内臓が骨から引きはがされ、首や四肢と言った関節から骨がちぎられ、その骨も多くはセンチメートルサイズに分解され、少なくとも数メートルの範囲に散らばり、大部分は瓦礫の中に埋もれ、埋まり切らなかった一部の骨は高温で炭化した、という非常に悲惨な状況が再現されるよ。トール・エル・ハマムには8000人前後の人々がいたとされているけど、状況からして死の瞬間まで日常的な活動を行っていて、そして1人残らず即死したと考えられるよ。
高濃度の塩分の存在の検証
仮にトール・エル・ハマムが災厄で全滅しちゃったとしても、その後すぐに別の人々が入植して新たに都市を構築してもいいはずだよね。この辺は周辺の厳しい乾燥気候にしては水も豊富な肥沃な土地だから、トール・エル・ハマムが構築されたように、この土地を使わない手はないと普通なら考えられるんだよ。ところが実際には、紀元前1650年頃の災厄の後、実に600年もの間、トール・エル・ハマムの跡地の人工的な活動の痕跡は消えるんだよ。また、近くの大都市であるトール・ニムリンでは500年、テル・エッ・スルタンでは300年の同じようなギャップが存在するよ。その理由は、MBII層の異常な高塩分が理由として考えられるよ。
4ヶ所中3ヶ所で、前後の層と比べて高濃度の塩分が検出されている事が分かるグラフ。cの環状道路については、前後に塩分がしみだしているせいか、他の場所と比べて濃度の傾向が異なる。
塩害という言葉は知っている人も多いよね?多くの作物植物は、高濃度の塩分の下では育たないから、そういう土地は利用されにくくなってしまうよ。アメリカ合衆国農務省によれば、土壌の塩分濃度が1.3wt%を超えると小麦が、1.8wt%を超えると大麦が発芽しないとされているよ。これに対し、MBII層では平均で4wt%、最大で54wt%もの塩化ナトリウムや塩化カリウムが検出されているんだよ!あまりに塩分濃度が高すぎる事を示唆するものとして、発掘のために表土が剥がされ露出したMBII層は、翌日には湿気によって塩を噴いて白くなっているくらいだよ。前後の層では1wt%未満、現在の地表面では0.2wt%な事を考えると、いかにMBII層が高濃度かわかるね。
そして塩化ナトリウムや塩化カリウムの結晶の観察では、結晶ではなく非晶質になっていたり、ガラス化した遺物の中に溶け込んでいたよ。水や比較的低温でも融けうる塩化ナトリウムや塩化カリウムだけでは高温の証拠にはならないけど、非晶質やガラス化物質の中に溶け込んでいる事は、1200℃以上の高温に晒された可能性を示しているよ。
なんでこんなにMBII層が高塩分なのかについては、今回の研究では分からなかったから、追加の研究が必要だよ。ただ、死海の近くにある都市という事を考えると、死海やその周辺から塩分がもたらされた可能性はあり得ると思うんだよ。そして高塩分のせいで作物の育たない不毛の地となれば、堆積や風雨による洗い流しで十分に塩分濃度が下がるまでの数百年間誰も入植しなかったという理由付けにはなるんだよ。いずれにしても、今のところは大量の塩分がMBII層にはある、という事実だけがここにあるから、理由はこれから解明する必要があるよ。
テル・エッ・スルタンの破壊の検証
トール・エル・ハマムの近くの都市で、トール・エル・ハマムとトール・ニムリンに次いで3番目に大きな都市だった、面積7万m² (0.7km² / 7ha) の都市テル・エッ・スルタンも、紀元前1650年頃 (正確には紀元前1653年±18年 / 68%信頼区間紀元前1670年から紀元前1626年) に大規模な崩壊があった事、その後300年間人工的な活動が観られなかった事が分かっているよ。トール・エル・ハマムで報告されたのと同じように、多数の陶器や崩れた日干しレンガの破片が見つかり、壁や人骨には高温に晒された跡が観られるよ。また、東向きにあった分厚い防御壁が倒壊していて、恐らくは火災などの高温に晒される前に倒れたものも見つかったよ。人骨にはトール・エル・ハマムと同じく、極めて強大な力を受けた跡が残されていたよ。一方で、トール・エル・ハマムとは違い、テル・エッ・スルタンでは融けたような遺物は今のところ見つかっていないから、1200℃以上の高温に晒された可能性は低いと考えられるよ。
テル・エッ・スルタンの破壊は、戦争や地震が繰り返し起きている事から、それ自体は珍しい事じゃないよ。ただ、トール・エル・ハマムで触れたように、紀元前1800年頃から紀元前1560年頃にこの地域での大地震の痕跡はなく、また他の時代では戦争や地震による破壊の後すぐに人々が活動を再開したという痕跡があるのに、紀元前1650年頃の災厄では数百年のギャップがあるんだよ。テル・エッ・スルタンに起きた災厄は、統計的にトール・エル・ハマムの災厄と同時期に起きたとみなす事ができるから、これはトール・エル・ハマムと同じく、天体の空中分解による衝撃波と高熱に襲われた、という可能性があるね。
災厄は天体の空中分解以外の可能性は本当にないのか?
今までの説明では、他の可能性には触れつつも、基本的に地球外から降ってきた天体が大気圏内で空中分解し、大災害をもたらした、という主張で解説してきたね。でも、本当にそれだけがトール・エル・ハマムの災厄の選択肢なのかな?本当にこれ以外の選択肢はないのかな?という事で、それぞれの物事の可能性について、見つかった試料の状態を説明可能かどうかを17ポイントに分けて検討し、今一度振り返ってみるよ。まずは想定される物事を書いて、その後カッコ書きで17ポイント中何ポイントが説明可能か、あるいは説明できる可能性があるかについて書くよ。
試料で得られたデータが、各仮説において説明可能か、説明できる可能性があるか、説明不可能かを表した表。表の元データは論文中のTable 3 Comparison of potential causes for the full range of TeH evidenceより、データは変えずに、視認性のために表行列の組み方や表現を一部変更している。備考欄のみ私による追記。
人工物の製造 (12/17) : ここではガラス製造や、金・銀・銅を精錬したり、装飾品として仕上げるために融かすような、高温を必要とする物品の製造だよ。これには最大でも1100℃までしか達しないから、1500℃で融けるクロム鉄鉱、石英、ジルコンの粒を融かす事はできず、また圧力も低すぎるから衝撃石英はできないよ。また発掘されたのはMBII層の下の方で、2m以上も表土を被っている事から、現代技術で製造された人工物による汚染の可能性は排除できるよ。
陶器の製造 (1/17) : これは最も一致度が悪いよ。MBII層の時代の陶器製造で達成可能な温度は1050℃で、1400℃で融ける陶器や日干しレンガ、1500℃で融けるジルコン、石英、クロム鉄鉱を融かす事はできないよ。衝撃石英も生成されず、白金、イリジウム、ニッケル、クロムが高濃度になる事の説明もできないよ。
街の火災や山火事 (8/17) : MBII層以外にも、木炭の多い地層はこの場所にあって、歴史上何度か大規模な火災があった事を示しているよ。だけど、これら火災があった層では、MBII層で見られるような融けた陶器、日干しレンガ、その他高温を示すものは見つかっていないよ。例えば1666年に発生したロンドン大火では、部分的に融けた陶器、窓ガラス、粘土製レンガが見つかっているけど、MBII層に観られるほど激しい融け方をしたものはなかったよ。あるいは第二次世界大戦中のドイツのドレスデンに対する焼夷弾空爆では、最高で風速76.3mの上昇気流が発生したけど、最高温度は1000℃だったよ。これはガラスを柔らかくすることはできても、ガラスを融かすまではできないよ。当然ながらそれより高温で融けるクロム鉄鉱、石英、ジルコンの粒を融かす事はできず、圧力も低すぎるから衝撃石英はできないよ。白金、イリジウム、ニッケル、クロムが高濃度になる事の説明もできないよ。
貝塚などのバイオマス火災 (9/17) : 貝塚のような生物の残骸が残る場所で起きた火災は、バイオマスガラスやバイオマススラグを生成するよ。アフリカ大陸にある先史時代の貝塚でそのような火災の跡が見つかっていて、推定温度は1155℃から1290℃だよ。これによって、ケイ素に富む小球や、泡立ったガラス化物質が見つかる可能性はあるよ。ただこれでは、更に高温で融けるクロム鉄鉱、石英、ジルコンの粒を融かす事はできず、圧力も低すぎるから衝撃石英はできないよ。白金、イリジウム、ニッケル、クロムが高濃度になる事の説明もできないよ。
戦争 (7/17) : 古代の戦争が都市火災や破壊をもたらす可能性はあるけど、MBII層から発見された武器は矢じりが1個だけで、剣や槍と言った他の武器は一切見つからなかったよ。戦争と征服の結果、相手の文化や宗教を否定する意味で物品を破壊する行為はしばしばみられるけど、MBII層での破壊は戦争とは関連していない可能性が高いよ。また高温で融ける鉱物の存在、白金族元素の濃度異常、衝撃石英の生成は、この当時では不可能な技術じゃないと無理だよ。潜在的に可能なのは現代の軍事火薬を使った現代戦だけど、MBII層は厚い表土がある事から、現代の物質から隔離されていると考えられるよ。
地震 (5/17) : 大きな地震は代表的な大規模災害だけど、高温で融ける鉱物の存在、白金族元素の濃度異常、衝撃石英の生成のほとんどは説明できないよ。瓦礫が南西方向から北東方向に流れた事は地震の揺れの方向から説明できる可能性はあるけど、過去に起きた地震で発生したこうした瓦礫の流れは、全て南北方向だったよ。これはヨルダン地溝帯での地震の性質に関係しているよ。また、MBII層の時代である紀元前1800年頃から紀元前1560年頃に大地震が発生した証拠もないよ。近い時代のものとしては紀元前2100年頃の推定マグニチュード6.8以上の地震と紀元前3300年頃の推定マグニチュード6.0以上の地震だけど、ここからは融けたような物質は見つかってなくて、しかもすぐに住民が都市を再建したようなんだよ。
火山活動 (12/17) : ほとんどのマグマの温度は700℃から1300℃だけど、コマチアイトという非常に珍しい高温のマグマなら1600℃に達する事があるんだよ。だからジルコンのような高温で融ける鉱物がマグマに含まれていた可能性はなくはないんだよ。ただ、石英を融かしたり、衝撃石英を生成するというのは無理なんだよ。また、鉄に富む小球を生成するプロセスが不明だよ。過去1万年間で知られている最大の噴火の1つは、現在ではギリシャのサントリーニ島として知られている、地中海のサントリーニ・カルデラ (サントリーニ島は周辺の島々と共に1つの火山体であった) で起きた、紀元前1663年から紀元前1599年の間に発生したミノア噴火だよ。約60km³という膨大な量の火山灰や軽石が放出され、大規模な津波も発生したよ。これによって110km南に離れた場所にあるクレタ島で当時栄えていたミノア文明に大打撃を与え、衰退の原因となったという説もあるよ。この噴火に関連する噴出物は、トルコとイスラエルでも見つかっていて、恐らくはトール・エル・ハマムにも達したとみられているよ。ただ、サントリーニ・カルデラはトール・エル・ハマムから1000km以上も離れているから、爆発などの破壊的なエネルギーは届かないし、火山灰もせいぜい降り積もる量が約1mmの厚さになるくらいで、とてもこれでは壊滅的なダメージを与えられないよ。それにサントリーニ・カルデラの噴火と、トール・エル・ハマムの災厄の年代は、40年から100年ぐらいずれているよ。トール・エル・ハマムでは他のテフラ、火山灰、軽石、溶岩と言った噴火の証拠も見つかっていらず、トール・エル・ハマムは噴火の影響を受けなかったという事を意味するよ。
落雷 (13/17) : 落雷は時に4000℃の高温を発生させるから、石英質の砂を融かして閃電岩という天然ガラスを作るのに十分なエネルギーを持っているよ。またこの温度は、ジルコンを蒸発させるのに十分な高温だよ。そして、落雷は衝撃石英を作る事もあるという点で他の候補よりも強いよ。ただ、落雷による衝撃石英の生成は、石英の粒の表面から0.33μmくらいまでしか届かず、内部までラメラ状組織を作ることはできないよ。また、雷が通った後の岩石には特徴的な残留磁場が残るけど、今回その痕跡は見つからなかったよ。それに雷では、強い衝撃波を発生させる事、瓦礫が特定の方向を向く事、防御壁や建造物を大規模に破壊する事はできないよ。
天体の地表への落下 (17/17) : 発掘現場で見つかった遺物の状態を全体的にムリなく説明できるのは、宇宙から天体が降ってくることだよ。その中で、まず地表に天体が直接落下した場合を考えると、何よりも証拠となるクレーターが見つかっていないという点が、やや弱点となるよ。ヨルダン渓谷はトール・エル・ハマムの災厄の後の3000年間で何回も大洪水を起こしていて、河川堆積物がクレーターを覆い隠してしまう時間は十分にあるから、直径数百m未満のクレーターが、ヨルダン川の氾濫原や死海の北側の湖底に隠されている可能性はあるけど、まだ見つかっていないよ。
天体の空中分解 (17/17) : クレーターが見つかっていない以上、天体は大気中で空中分解して小さな破片となった可能性はあるよ。そうすると何十もの小さなクレーターができるけど、この場合はもっと小さなクレーターだから、痕跡そのものを消し去ってしまい、いくら探しても見つからない可能性があるよ。そしてこの場合も、発掘現場で見つかった遺物の状態を良く説明するし、今後の研究では他の場所でボーリング調査などの地層の分析を行えば、指数関数的に増減する破壊のエネルギーの性質や、堆積物に含まれる白金族元素の濃度などで、天体が空中分解した本当のポイントを探る事ができるはずだよ。
トール・エル・ハマムを襲った "天からの火" のシミュレーション
トール・エル・ハマム周辺にツングースカ大爆発の被害範囲を重ねたマップ (トール・エル・ハマムで起きた実際の災害の被害範囲ではない事に注意) 。後に書くように、トール・エル・ハマムで起きた天体の空中分解はこれよりエネルギーが多く、被害範囲も拡大した可能性が高い。
ツングースカ大爆発で生じた高温の衝撃波の広がり。高度18kmで天体の空中分解が起きた6.5秒後に地表に高温高圧のガスが到達している。
トール・エル・ハマムを襲ったのが天体の空中分解と、それに伴う高熱と衝撃波だったとしたら、その "天からの火" はどんな天体で、どのような災厄が起きたのかな。研究ではトリニティ実験やツングースカ大爆発で起きた現象を参照しつつ、トール・エル・ハマム一帯を襲った災厄に合致する天体の空中分解をシミュレーションしたよ。計算にはRobert Marcus、H. Jay Melosh、Gareth Collinsが作った計算プログラム "Earth Impact Effects Program" を使用したよ。
大気圏に突入する角度を45度として、炭素質コンドライトか彗星のような脆い天体である石質隕石を仮定し、天体はトール・エル・ハマムから南西に約5kmの地点に衝突すると仮定したよ。ただ、実際には発掘現場付近でクレーターは発見されていないから、実際に地表面に衝突して直径1km以上のクレーターを生成する可能性が高い、直径80m以上の天体は除外されたよ。逆に小さければ災厄自体が起こらないから、総合的に観ると天体の大きさは直径60mから75mの範囲であると推定されるよ。
下限のサイズである直径60mの天体でさえ、その被害は甚大だよ。上空4.7kmで分解した天体から放出されるエネルギーは約12Mtで、これはリトルボーイ (広島市に投下された原子爆弾) の800倍にもなるよ。これによって5km離れたトール・エル・ハマムは風速250m (日本では風速=秒速=毎秒メートルだよ) という聞いたこともないような衝撃波が到達するよ。上限のサイズである直径75mだともっと深刻で、上空1.3kmで分解した天体から放出されるエネルギーは約23Mt、リトルボーイの1500倍にもなるよ。トール・エル・ハマムが受けた風は風速330m、ほとんど音速くらいの値になっちゃうよ。これまでに地球で記録された最高風速は、きちんと測定されたものとして国際的に認められたものでは、オーストラリアのバロー島で1996年4月10日にサイクロン・オリビアによって記録された風速113.2m、ドップラーレーダーという正式ではない形式で測定されたものでは、アメリカ合衆国のオクラホマ州で1999年5月3日にブリッジクリーク・ムーア竜巻で記録された風速134m±9mだから、これをはるかに超えているね!ツングースカ大爆発でさえ、風速は40mから70mと言われているよ。比較できるエネルギー現象が巨大地震や巨大噴火になってしまうくらいの、まさに想像できない現象がここで起きたんだよ。こんな極端な風を受ければもちろんタダでは済まず、受ける圧力は最大で250kPaに達するとみられるよ。日干しレンガの引っ張り強度は120kPa、曲げ強度は170kPaだから、それを大幅に超える圧力は日干しレンガを粉砕するのに十分だよ。それに日干しレンガどころか、現代の鉄筋コンクリート造りの建物でさえ破壊しうるよ。もちろんそれより人体はなおのことで、はるかに低い140kPaの圧力で致死率が99%以上だから、まず全滅と考えて間違いないね。ツングースカ大爆発の場合、地震計でリヒタースケールでマグニチュード5程度の地震が記録されたけど、それよりエネルギーの大きいトール・エル・ハマムの場合は同程度以上の地震が予測されるから、例え爆風を受けずとも、耐震性の低い日干しレンガの建築に対しては地震だけでも深刻なダメージを与えうるよ。天体は空中で砕けるので、大部分は蒸発し、一部は地表に落ちてくるかもしれないけど、数個か数十個かのクレーターは小さく、長年の風雨による浸食でその証拠を洗い流してしまうよ。
天体の空中分解現場にほど近いトール・エル・ハマムはこうして壊滅的なダメージを受けるけど、それより遠く、15kmほど離れたテル・エッ・スルタンの被害は少しだけ軽減されるよ。と言っても本当に少しだけで、普通では考えられない災厄となるよ。テル・エッ・スルタンの地理的な位置と、天体の空中分解高度がそれなりに高い事から、直径75mの上限サイズの方がイメージとは逆に被害が少なくなるよ。と言っても風速は60mと、気象庁が定める台風の最大カテゴリーである猛烈な台風の風速54mを越えているよ。下限サイズである直径60mの天体の場合、風速は66mを越えているよ。こういう突風は、気象庁によれば鉄筋コンクリートの電柱、広葉樹の幹、ブロック塀、墓石、ワンボックスカーなどが折れたり倒れたりする風速だよ。十分すぎるほどのとんでもない突風だね。
もちろん、風だけじゃなく熱も猛烈なものが放出されるよ。どちらの天体でも中心部の温度は30万℃に達する、直径1kmの火球が形成されたと考えられるよ。これによって190J/cm²以上の熱が放出され、石英の融点である1713℃を超える温度が25秒以上も続いたと考えられるよ。これは大半の珪酸塩鉱物を融かすのに十分な温度で、これが表面をガラス化させた遺物として現代の発掘現場に埋もれていたと考えられるよ。また、空気自体も猛烈に加熱されるから、天体の破片とイオン化した空気を構成する物質が地表に猛烈に叩きつけられ、地面の砂などを巻き上げたまま周りへと広がり、火山の噴火で起きる火砕サージに似たような現象が発生すると考えられるよ。これは固形物が混ざった高温で高速の気体として襲い掛かり、日干しレンガ、屋根材、陶器、漆喰の表面を融かすのに十分な熱を与えるよ。ツングースカ大爆発の場合、火砕サージの速度は音速に近いか、それを突破すると推定されるよ。また、火球からの熱だけで地表面が1700℃になる状態が20秒間続き、表面堆積物を約5mm融かすとシミュレーションされているよ。これはトール・エル・ハマムの融解物が5mm程度の厚さを持っている事と合致するね。これらの事から、トール・エル・ハマムは猛烈な衝撃波だけでなく、地表面温度が一時的に1850℃を超えるような猛烈な熱に晒されたと考えられるよ。150℃で致死的である人体には当然耐えられない高温で、熱だけでもほぼ100%の致死率に繋がると考えられるよ。
有史の大規模な隕石落下や災害の例
トール・エル・ハマムで起きたような、天体衝突がたまたま人口密集地帯で起きる可能性は、数千年に一度の確率で起きる可能性があるよ。具体的に人的被害が報告されている例は、かなり小さな隕石が1人に当たってケガをした例が数えるほどしかなく、きちんと第三者の検証がされ実証されているのは、1954年11月30日にアメリカ合衆国のシラコーガに落下したシラコーガ隕石 (人に直接当たった破片は、被害者の名を取ってホッジス隕石と言われているよ) が唯一の例だよ。
車載カメラに記録された、2013年2月15日にチェリャビンスク州に落下した天体の映像よりキャプション。地上に影ができるほど明るくなった。
画像引用元: Aleksandr Ivanov. "Взрыв метеорита над Челябинском 15.02.2013.avi" You Tube (CC BY 3.0)
衝撃波を受けた事により多数の窓ガラスが破損した小学校。
画像引用元: Miass. "File:Damaged schools (Повреждённая школа и учащиеся).JPG" WikiMedia Commons (CC BY 3.0)
一番有名、かつ現在でも証明されている唯一の例は、2013年2月15日にロシア連邦のチェリャビンスク州で発生した隕石災害だよね。天体が空中分解し、チェリャビンスクなどの町で7200棟以上もの建物に取り付けられた無数の窓ガラスやドアの損傷が発生、一部の建物は壁や屋根も壊れたよ。衝撃波によって直接吹き飛ばされたり、割れたガラスを浴びるなどして1492人のけが人が発生し、一部は指の切断などの重傷を負ったよ。太陽を上回って影を落とすぐらいの強烈な光だけでも、180人が何らかの目の異常を訴え、70人が一時的に視力を失い、20人は紫外線による深刻な日焼けを報告したよ。また発生時期が真冬で気温が-15℃な事もあり、割れた窓ガラスに板や段ボールなどあらゆるもので冷たい空気を防ぐ努力をしたよ。このチェリャビンスクの災害は、直径17mから20mの天体が起こしたもので、分解高度は30km、放出されたエネルギーも400ktから500ktと、ツングースカやトール・エル・ハマムの物と比べたらすべてが小ぶりで、これでも被害が抑えられていると考える事もできるよ。チェリャビンスクの災害の場合、これと同程度の隕石落下が人口密集地で起きる確率は100年に1度程度とNASAは推定したよ。
そして実は、トール・エル・ハマムよりもはるかに昔、紀元前10850年頃 (12800 cal BP) 、シリアのテル・アブ・フレイラ (紀元前13000年頃に農業をしていた世界最古の地) において同じような隕石災害が発生していた可能性が別の研究で示されているんだよ。もしテル・アブ・フレイラとトール・エル・ハマムが同じ隕石災害だった場合、世界最古と2番目の隕石災害の記録となり得るんだよ。2013年のチェリャビンスクの災害が、隕石による大規模な人的災害が発生した事が認識された初のケースかつ、現在でも証拠のある唯一のケースだから、これらにリストアップされる可能性はあるんだよ
ちなみに、1490年に明の陝西省慶陽県、現在の中華人民共和国甘粛省慶陽市で、1万人以上の死者を出した隕石災害があるという主張もあるけど、これは古文書の解読による推定で、実際に何が起きたのかは明らかになってないんだよ。
NASAの地球観測衛星Terraが撮影した、2018年12月18日にベーリング海上空に落下した天体の、黄色からオレンジ色の隕石雲 (隕石の砕けた粒子が雲状に大気に残ったもの) 。上側に延びる黒い傍線は隕石雲の影。
画像引用元: NASA/JPL Photo Journal PIA 22825 (Public Domain)
また、1908年のツングースカ大爆発と同じように、近くに人がいなかったから被害は確認されてはいないけど、そもそも落下自体がしばらく誰にも気づかれていなかったものもあるよ。2018年12月18日、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸の間にあるベーリング海上空26kmで天体が空中分解したよ。もし真下にいれば轟音が聞こえたかもしれないけど、そこは海のど真ん中だから目撃者はゼロだったよ。最初にこれが気づかれたのは2019年3月になってからで、包括的核実験禁止条約機関のシステムのデータを検証していたらたまたま気づいたものだったんだよ。このシステムは、ヒトの耳には聞こえないけど、地球の裏側でも届く超低周波音をキャッチするもので、大きな音、例えば核実験禁止条約に反して秘密裏に行われた核実験がないかどうかを監視するものだよ。核爆発にも匹敵、あるいは上回る天体が空中分解をキャッチしてて、それが目撃例のない隕石落下の発見につながったわけ。この時に放出されたエネルギーは173ktと、リトルボーイの10倍以上と推定されるよ。そして衛星画像を確認してみると、NASAの地球観測衛星Terraと、日本の気象庁の気象観測衛星ひまわりがそれぞれ天体が細かく砕けて大気中に残した隕石雲を撮影していた事が分かったよ。こんな感じで、実は気づかれていない天体の空中分解もまだまだあるのかもしれないね。
"天からの火" は今も潜在的な脅威
今回の研究は、初めは表面が融けたように見える陶器の発見から始まり、様々な観点からの証拠があったことで色々な仮説が立てられ、最終的に天体の空中分解が起きたんじゃないか、という結論に達したよ。そしてこれによる被害は甚大で、少なくともトール・エル・ハマムを完全に壊滅させ、周辺都市にも被害をもたらしたよ。そしてそれに続く塩害が、300年から600年もの間、人々をこの地から遠ざけ、その後同規模の文明が再興される事もなかったよ。塩害がなぜ発生したのかは、死海が近くにある事以上に明確な理由を出せずにいるのが正直な所だけど、周辺の時代と比べて異常に多くの塩分を含む事自体が変なこととして研究対象になり得るよ。
改めて『創世記』の描写を見てみると、天からの火が街と低地、そこにいる人も植物も全てを滅ぼし、塩が降り注ぎ、跡にはかまどのように立ち上る煙が残るだけの不毛の土地が残された………ソドムとゴモラが滅びた描写は、様々な点でトール・エル・ハマムとその周辺に起きた災厄と一致しているね。もちろん『創世記』は神話、フィクションであって、トール・エル・ハマムが、あるいは別のどこかがソドムやゴモラだったと明示する文献は何一つないよ。これは、『創世記』と同時代に書かれた書物が不足しているという難点もあるからなんだよ。ただ、トール・エル・ハマムの災厄が人々によって伝えられ、何年後か何世紀後かは分からないけど、『創世記』を執筆した時に、ソドムとゴモラに起きた事を描写するヒントや元ネタになった、という可能性までは、絶対正しいと主張するほど強固な事は論文でも言ってないし、あくまで可能性レベルだったとしたらありえなくもないと思うんだよ。
トール・エル・ハマムの災厄のような、直径100mを下回るサイズの小惑星は、現在でもその大半は未発見と推定されているよ。見つかっているものの多くは、地球と月の距離の10倍である380万kmより内側に入り込んでから見つかるもので、これは一般的な感覚だとかなり遠く感じるかもだけど、天文学のスケールで言えば衝突と大差ないニアミスになるんだよ。地球に近づいても小惑星は暗い事、あまりに見かけ上高速で動き回る事から望遠鏡で捉えるのも難しく、ちゃんとした観測値なのか、単なるエラーなのかを見分けるのも難しく、見つけた時には地球に最接近した後だったというケースも珍しくないよ。今のところ、隕石として地球に落下する前に、宇宙空間で小惑星として捉えた事例は、2008 TC₃、2014 AA、2018 LAのたった3例で、天体のサイズが小さすぎて暗すぎたという要因もあるけど、落下の数時間前にようやく見つけたという感じなんだよ。だからこのサイズの小惑星は、昼間はもちろん、夜間でも大半は観測されていないと考えた方がいいよ。更に、2018年末のベーリング海の隕石落下のように、偶然気づかれなければ見過ごされていただろう大規模な隕石落下の事例がある事を考えると、実際には他にも隕石落下があった可能性は考えられるね。今までの小惑星衝突に関する対策は、基本的には複数の国以上、あるいは全世界の文明が危機に瀕するような大災害を前提に、観測体制の強化や、将来的な対策方法の技術開発が進められてきたよ。これは1994年7月16日から22日かけて木星にシューメーカー・レヴィ第9彗星が衝突した事を観測した事、及びメキシコのユカタン半島にチクシュルーブ・クレーターが見つかり、恐竜の絶滅が小惑星衝突によって起きたという説が現実味を帯びてきた事に対する対応だよ。ところがトール・エル・ハマムの災厄は、現在の観測体制では見逃される可能性のある、宇宙的にはありふれた石ころが、当たり所が悪ければ現代の大都市にも "天からの火" となって "ソドムとゴモラ" と同じようになり得る可能性がある………確率は数千年に一度と低いとはいえ、一度起きれば被害は甚大だから、長い目で見れば何らかの対策が必要になるかもしれない、と論文は結んでいるんだよ。
終わりに
ここまで長々と読んでくれてありがと~✨最後にまた恐縮なんだけど、とても詳しくまとめたと自負しているから、よろしければサポートをよろしくお願いします💦