見出し画像

2021年ノーベル物理学賞解説「複雑な物理システムの理解への画期的な貢献に対して」

初めに

5 October 2021

The Royal Swedish Academy of Sciences has decided to award the Nobel Prize in Physics 2021
“for groundbreaking contributions to our understanding of complex physical systems”

with one half jointly to

Syukuro Manabe
Princeton University, USA

Klaus Hasselmann
Max Planck Institute for Meteorology, Hamburg, Germany

“for the physical modelling of Earth’s climate, quantifying variability and reliably predicting global warming”

and the other half to

Giorgio Parisi
Sapienza University of Rome, Italy

“for the discovery of the interplay of disorder and fluctuations in physical systems from atomic to planetary scales”

引用元: "Press release: The Nobel Prize in Physics 2021". (Oct 5, 2021) The offical website of the Nobel Prize.
5 oktober 2021

Kungl. Vetenskapsakademien har beslutat utdela Nobelpriset i fysik 2021
”för banbrytande bidrag till vår förståelse av komplexa fysikaliska system”

med ena hälften gemensamt till

Syukuro Manabe
Princeton University, USA

Klaus Hasselmann
Max-Planck-Institut für Meteorologie, Hamburg, Tyskland

”för fysikalisk modellering av jordens klimat, kvantitativ analys av variationer och tillförlitlig förutsägelse av global uppvärmning”

och med andra hälften till

Giorgio Parisi
Sapienza Universitá di Roma, Italien

”för upptäckten av hur oordning och fluktuationer samverkar i fysikaliska system från atomära till planetära skalor”

引用元: "Pressmeddelande: Nobelpriset i fysik 2021". (Okt 5, 2021) The offical website of the Nobel Prize.
【上記訳】
2021年10月5日、スウェーデン王立科学アカデミーは、2021年のノーベル物理学賞を授与する事に決定しました。

「複雑な物理システムの理解への画期的な貢献に対して」

半分を共同で

眞鍋淑郎
プリンストン大学、アメリカ合衆国

クラウス・ハッセルマン
マックスプランク気象研究所、ハンブルク、ドイツ連邦共和国

「地球の気候の物理モデルの構築、気候変動の定量化、地球温暖化の確実な予測に対して」

残り半分を

ジョルジョ・パリージ
ローマ・ラ・サピエンツァ大学、イタリア共和国

「原子から惑星までのスケールの物理システムの無秩序と変動の相互作用の発見に対して」

画像1

Syukuro Manabe
Ill. Niklas Elmehed © Nobel Prize Outreach

眞鍋淑郎 (まなべ しゅくろう): 日本国出身、1931年9月21日生まれの90歳、アメリカ合衆国、プリンストン大学所属、賞への貢献度1/4

画像2

Klaus Ferdinand Hasselmann
Ill. Niklas Elmehed © Nobel Prize Outreach

Klaus Ferdinand Hasselmann (クラウス・フェルディナンド・ハッセルマン): ドイツ連邦共和国出身、1931年10月25日生まれの89歳、ドイツ連邦共和国、マックスプランク気象研究所所属、賞への貢献度1/4

画像3

Giorgio Parisi
Ill. Niklas Elmehed © Nobel Prize Outreach

Giorgio Parisi (ジョルジョ・パリージ): イタリア共和国出身、1948年8月4日生まれの73歳、イタリア共和国、ローマ・ラ・サピエンツァ大学所属、賞への貢献度1/2

※以下の文章は、全て以下の参考文献に基づいています。また、画像は注記がある場合を除き、全て©Johan Jarnestad/The Royal Swedish Academy of Sciencesによる作品であり、以下の参考文献より引用したものです。
○"Popular science background: They found hidden patterns in the climate and in other complex phenomena (PDF)". (Oct 5, 2021) The offical website of the Nobel Prize.
○"Scientific Background: “For groundbreaking contributions to out understanding of complex physical systems” (pdf)". (Oct 5, 2021) The offical website of the Nobel Prize.

地球温暖化をおさらい

地球は生命がいる事が判明している (少なくとも現時点では) 唯一の星だよね。地球に生命がいる理由はいろいろあるけど、その理由の1つは、水が液体で存在するのにちょうどいい温度をしている事だよ。地球は北極南極から赤道まで、そして季節ごとに様々な気候が存在するけど、地球全体の平均気温は15℃という事が分かっているよ。ただ、これは実は単純計算では出てこない数字だよ。太陽から地球に降り注ぐエネルギーから単純計算すると、地球の平均気温は-18℃と、全然違う低い気温が出てくるよ。この30℃以上の差は、地球に大気がある事、特に二酸化炭素、メタン、水蒸気などの温室効果ガスが存在する事による保温効果が働いているからだよ。温室効果ガスの分子は赤外線の波長を持つ電磁波を吸収する性質があるよ。吸収したエネルギーはすぐに分子から放出されるけど、この放出によって周辺の空気や地面が加熱されて、宇宙空間へと逃げる熱が減る結果、段々と地表の平均気温が上昇する、というのが、世界的に問題視されている、温室効果ガスによる地球温暖化だよ。温室効果ガスそれ自体は、存在しなければ地球を凍り付いた天体にして生命を宿す事が無かったはずだから、生命には必須だよ。ところがそのバランスが崩れると、逆に生命に対して牙をむくわけ。

大気が太陽から来る放射エネルギーを熱として保持する事は、約200年前にジョゼフ・フーリエによって最初に指摘されたよ。そしてその考えを元に、1896年にスヴァンテ・アレニウスは、大気中の二酸化炭素の濃度が地表の気温に影響するという温室効果を初めて提唱したよ。アレニウスは、その頃存在が理解され始めた氷河期について研究し、過去の地球の大気は二酸化炭素濃度が低く、そして寒かった事に気づき、観測データから二酸化炭素が赤外線を吸収するという事も発見したよ。アレニウスはそれだけなく、太陽の表面温度が約6000℃であるという値から、地球の平均気温がシュテファン=ボルツマンの法則 (簡単に言うと、放射エネルギーは温度の4乗に比例するという法則だよ) で単純計算されるよりも30℃以上も高い事を導いたよ。もし大気中の二酸化炭素濃度が1900年当時の半分なら、地球の平均気温は4℃から5℃下がり、氷河期に突入するのに十分になるよ。逆に濃度が倍になれば、気温は5℃から6℃上昇すると予測したよ。これは偶然にも現在の気候モデルの結果と一致するよ。更にアレニウスは、赤道と北極南極では太陽から受け取るエネルギー量が違う事による不均衡や、地表面にある雪氷による太陽光の反射によるエネルギー吸収の現象など、現在の大気科学に通じるとても重要な指摘をいくつもしていたよ!これが100年以上前に主張されているなんてすごいね!

ただ、アレニウスの成果は当時相当奇抜な考えとして、正しく評価されなかったよ (アレニウス自身も、平均気温が上がれば作物の収量が増え、人口増加に備えられるから、地球温暖化は好ましいものだと考えていたよ) 。温室効果の指摘はとても重要だけど、アレニウスが提唱した温室効果は、モデルがかなり単純な事や、二酸化炭素が吸収する赤外線の量を過大に見積もりすぎていた事が影響していたよ。地球の大気は、体積の99%が窒素と酸素で構成されていて、温室効果ガスで量も影響度も大きい二酸化炭素は、わずか0.04%しかないよ。温室効果ガスとして最も体積を占める水蒸気は、量の変動が激しくて正しく見積もる事を阻んでいたけど、同時に存在は重要だよ。二酸化炭素の濃度が上昇し気温が上昇すると、海からの蒸発量が増え、大気中の水蒸気の量も増えるよ。すると、温室効果により気温が上昇し、蒸発量を更に多くする……という正のフィードバックが働くからだよ。温室効果を正しく見積もるには、非常に複雑である地球大気自体をモデリングしないといけないけど、それは膨大な計算量を必要とするよ。

半世紀以上も前に地球大気をモデル化する

画像4

【図1】
1967年に眞鍋淑郎とリチャード・ウェザラルドによって構築された気候モデル。

アレニウスの指摘が顧みられるのはその約70年後、今回のノーベル物理学賞の受賞者の1人である眞鍋淑郎による研究によってだよ!1958年、日本国からアメリカ合衆国へと渡った眞鍋は、後に重要な成果となる気候モデルの構築に、同僚であるリチャード・ウェザラルドと共に取り組んだよ。当時登場したばかりともいえるコンピュータは、現在の何十万倍も遅く、それでいて貴重な存在。だから当時のコンピュータで解析可能な気候モデルは限りがあったけど、それでも眞鍋とウェザラルドはこの難しい課題に取り組んだよ。この気候モデルでは、地球をどこを見ても等しい単純な球、大気を上昇と下降のみする1次元の空間次元を持つものと仮定して、地表から40kmまでの大気の気温を計算したよ。この気候モデルがアレニウスの物と違う点は、アレニウスが放射エネルギーを主としたのに対し、眞鍋とウェザラルドは大気循環と水蒸気の潜熱を主とした点だよ。空気は地表で温められると膨張し、密度が低くなるから上昇するよ。逆に上空で冷やされると収縮し、密度が高くなって下降するよ。そして空気中の水分は、地表の温かい空気は水蒸気のままで維持されるけど、上空で気温が下がると結露して雲ができるよ。この水蒸気から液体の水へと言う変化では大量のエネルギーが放出されるよ。この大気とエネルギーの循環がとても重要と言うわけ。

画像5

【図2】
眞鍋とウェザラルドの気候モデルを解析すると、大気中の二酸化炭素の濃度が上昇すると、大気下層部の地表付近では、気温が上がるのに対し、大気上層部では気温が下がる事が分かったよ。

1967年、眞鍋とウェザラルドの気候モデルは、二酸化炭素の濃度と地表気温の関係性について重要な指摘をしたよ。地球の大気の大半を占める窒素と酸素は、濃度を変えてもほとんど気温に影響を与えなかったのに対し、二酸化炭素の濃度は大気全体の気温を大きく変化させることを明らかにしたよ。気候モデルでは、二酸化炭素の濃度が0.03%の場合を基準とし、その半分である0.15%の場合は地表気温が2.28℃下がる一方で、倍である0.06%の場合には2.36℃上がる事を突き止めたよ!それとは逆に、高度約10kmより上では、二酸化炭素が上がれば上がるほど、逆に気温が下がる事を突き止めたよ。もし、地球の平均気温上昇を、太陽の放射エネルギーの変化であると仮定するなら、上空でも気温が上がっていないといけないから、この気候モデルが指摘するのは、二酸化炭素の濃度上昇と地表気温の上昇には関係がある、つまりアレニウスが指摘した温室効果が本当にあるという点だよ!

1975年には、眞鍋とウェザラルドの気候モデルは更に進化したよ。大気の空間次元を1次元から3次元に増やして、熱だけでなく、質量、運動量、輻射といった他のパラメータも考慮して、大気の循環と気温の関係を更に詳細に解析する事ができたんだよ。それによれば、大気中の二酸化炭素の濃度を0.03%から0.06%に増やすと、地球の平均気温は2.93℃上昇するという、より現代に近い解析結果だよ。ただ、1975年には全球気候モデル専用のコンピュータが使われたとは言え、RAMはたったの0.5MBしかないから、どうしても地球全体の大気循環をモデル化するのには限界があったよ。

この世界はカオス的

ところで話は少し変わるけど、通勤通学や洗濯物とかの関係で、天気予報を観るという機会があるよね。この天気予報というサービスが受けられるのは、地球の気候を捕らえる気象台や気象衛星の活躍の他に、正確な気候モデルがあってこそのものだよ。ただ残念ながら、現在の天気予報は、明日の天気でも外す事があるよ。これは気象と言うのが、あまりに複雑な物理現象である事に由来するよ。1812年、ピエール=シモン・ラプラスは、もしある瞬間の全ての物質の位置と運動量を知り、解析できる知性的な存在がいた場合、その存在にとっては不確実な事は何もなくなり、過去も未来も全て知る事が可能だというラプラスの悪魔を提唱したよ。もしそんな存在がいれば、天気予報は100%確実に的中させる事ができるよ。原理的には。

ただし、実際にはそんなことは不可能だよ。大気と言うのはその場所場所によって気温、気圧、湿度、風向きがてんでんばらばらで、とても全てを知るなんて事は不可能だよ。それに、解析する数学的な手法は、本当にわずかな数値の差が未来にとても大きな違いをもたらすから、わずかな測定誤差ですら未来を予測する事を無理にしちゃうんだよ。それこそ、ブラジルで1羽のチョウチョウが羽ばたくというとてもわずかな影響が、巡り巡ってテキサスで竜巻を起こすか起こさないかという大きな違いとなって現れるかもしれないよ。このバタフライ効果という有名な話は、1960年代にエドワード・ノートン・ローレンツによって指摘された事で、このお話は後にカオス理論として大発展を遂げるよ。

こんな混沌とした大気の中で、どうやったら何十年先・何百年先もの気候を正確にモデル化できるのかな?文字通り正面突破、力づくで行こうとすると、現代ですらそれは不可能だから、モデル化においては工夫が必要だよ。これは、犬の散歩である程度例えられるよ。犬に首輪とリードをつけて散歩させると、犬はリードが許す範囲で前後左右気ままに動いて飼い主の歩調を乱し、時には飼い主の足元に行って飼い主が前に進むのを邪魔するかもしれないね。その散歩の足跡をたどると、あっちこっちに行く犬の足跡と、それに合わせて歩調が変わる人間の足跡があると思うんだよ。さて、ここで犬の足跡は日々データとして得られる気候で、人間の足跡は気候モデルで計算された気候と考える事ができるよ。犬の足跡は極めて複雑だから、ここからデータを取って、人間の足跡から分かるような散歩のスピードを導くのは、とても難しい事だというのが、何となくは分かるかな?

このただでさえ複雑な気候に、更に加わる難しさがあるよ。気候に大きな影響を及ぼす大気や海は、変化が非常に遅いものから非常に早いものまで様々なものがあるよ。例えば、平均的に温度を1℃上昇させるのにかかる時間は、大気なら数週間程度だけど、海は1000年以上はかかるよ。この時間スケールの大幅な差は、気候モデルを構築するのにより複雑な状況を与える事になるよ。

カオスに確率で挑む

取り組めば取り組むほど難しい気候モデルという難題に、今回の2人目の受賞者であるクラウス・フェルディナンド・ハッセルマンは果敢に挑戦したよ。ハッセルマンの気候モデルは、2つの点でこれまでの気候モデルとは違う部分があるよ。1つは、ランダムウォークという確率論的な手法を編みこんだ事だよ。これは1827年にロバート・ブラウンが発見し、1905年にアルベルト・アインシュタインがその理由を説明したブラウン運動に着想を得ているよ。ブラウン運動は、水中にある微粒子が、周りにある水分子の不規則な衝突で、ランダムに動いて見えるという現象だよ (よく誤解されがちだけど、ブラウンが観たブラウン運動は、花粉が破裂して中から出てきた微粒子の運動であって、花粉そのものの運動ではないよ) 。一方でランダムウォークは、点の進む方向を確率で決める事で、点がどのように動くかを解析したものだよ。ブラウン運動の軌跡を描くと、二次元の平面で描いたランダムウォークとそっくりな事が知られているよ。

話をハッセルマンに戻すと、ハッセルマンが気候モデルにランダムウォークを取り入れたのは、気候と言うのが一見するとランダムウォークのように不規則に動いているように見えるからだよ。ただ、ランダムウォークは本当の意味で不規則なのではなく、単純な確率によってその動きが決められているだけだよ。逆に言えば、一見複雑怪奇でランダムにしか見えない気候モデルも、確率論的な目線で長期的な動きを予測する事ができるかもしれない、とハッセルマンは考えたわけだよ。またランダムウォークを入れると、変化が非常に早い大気と、変化が非常に遅い海の両方をモデルに組み込んで、長期的な変化を解析する事が可能になるという利点もあるんだよ!

画像6

【図3】
クラウス・フェルディナンド・ハッセルマンの気候モデルによる地球の平均気温の変化は、火山の噴火など自然現象だけでは説明できず、温室効果ガスの人為的な排出が、実際の計測値と良く一致する事を示していたよ。

ハッセルマンは気候モデルを完成させると、次は人間の活動が気候に影響を与えているのかどうかを調べる事に取り組んだよ。この頃、地球の二酸化炭素の濃度は長期的に増加している事が知られ始めたよ。チャールズ・デービッド・キーリングは、1958年からハワイのマウナロア観測所にて大気中の二酸化炭素濃度を精密に観測し、現在キーリング曲線として知られる二酸化炭素濃度の上昇を示すグラフを描いたよ。ただし、気候の変化に影響をもたらすのは人為的な温室効果ガスの放出だけでなく、例えば太陽の放射エネルギーの変化や、火山の噴火による火山灰や火山ガスの放出など、自然の要因もあるよ。ただし、自然環境の変化がもたらす影響と、人為的な行為がもたらす影響では、気候の変化の仕方にはっきりとした違いがあるから、実際の観測値も照らし合わせる事で、どの影響が大きいかを導く事が可能なんだよ!ハッセルマンは火山噴火などの自然要因で起こる平均気温の変化と、それに加えて人為的な温室効果ガスの排出で起こる平均気温の変化にははっきりとした違いがあり、観測されている平均気温の変化に合致するのは温室効果ガスの排出の影響である事を突き止めたんだよ!

無題

【図4】
眞鍋とハッセルマンによって、今現在起きている平均気温の上昇の理由について、人為的な温室効果ガスの排出と言う "フィンガープリント" を見つける事ができたよ。

現在では、150年前の19世紀半ばと比べて、大気中の二酸化炭素の濃度は40%も増加し、平均気温は1℃上昇しているよ。過去数十万年、ここまで二酸化炭素が濃かった時期はなかったんだよ。眞鍋とハッセルマンは、現在まさに進行中の地球温暖化と気候変動について、はっきりとした答えを私たちに教えてくれたよ。地球温暖化は現実に起きており、大気中の温室効果ガスの濃度は増えていて、自然要因だけではそれらを説明できず、人為的な排出がそれら説明できるという、とても重要な事だよ。

 "イライラする" 物理学

気候モデルに観られるように、あまりにも複雑なシステムでも、確率論で取り組めば対処できる問題があるよ。というより、物理学は本質的にそんな予測不可能としか思えない複雑なシステムがあちこちにあるよ。例えば気体や液体を構成する粒子の動きは、1つ1つの方向も速度もバラバラで、全てを知るのはまず無理だよ。19世紀後半、ジェームズ・クラーク・マクスウェル、ルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマン、ジョサイア・ウィラード・ギブズなどは、こういう複雑怪奇なシステムを物理学的に計算するために、粒子の動きを平均化する事にしたよ。1つ1つはバラバラの数値でも、全体としては大体の傾向があるから、これによって温度や圧力を計算する事が可能となるよ。これらの手法は、現代で言う統計力学や熱力学の最も基本的な概念として重要な柱となっているよ。

画像7

【図5】
液体を急冷すると、ガラスのようなランダムな粒子配列の固体になるけど、その配列は毎回違うよ。この当たり前に思える現象も、物理学的背景は複雑怪奇だよ。

ところで、気体を冷やすと液体に、液体を冷やすと固体になるよね?液体から固体への変化は、ゆっくり冷やすと原子や分子が規則正しく配列された結晶を形作るけど、急激に冷やすとランダムに配置された不規則な構造となるよ。ガラスはその1つだね。この不規則な構造は、一度できた固体を再度溶かしてまた冷やすと、最初とは違う構造ができるよ。これは一見当たり前、と思えるかもしれないけど、物理学的にこれを説明するのは、実はとっても難しいんだよ。

今回の最後の受賞者で、眞鍋やハッセルマンとは異なる理由で受賞したジョルジョ・パリージは、この難しい問題を解決した功績が受賞理由となったよ。ただし、パリージが取り組んだ問題はさっきの例のようなものではなく、スピングラスというもうちょっと難しいお話だよ。例えば、鉄は磁石に引き寄せられるだけでなく、自分自身も磁石となる性質があるのは、鉄釘を磁石でこすったりする事で分かるよね?これは、1個の鉄原子でも磁石としての性質を持っている、というところまで突き詰められるよ。この鉄原子の磁石の性質は、原子の外側にある電子のスピンと言う性質に由来するよ。スピンを1本の矢印で考えると、ある矢印の頭は、別の矢印のお尻に向くのが一番安定だよ。そう考えると、近くにある鉄原子のスピンは、矢印の向く方向が同じになるように揃う性質があるよ。これはちょうど、磁石を同じ極同士で近づけようとすると反発しあって、別の極同士で近づけると反発せずに揃うのと似ているね。

画像8

【図6】
三角形の頂点に並んだ3個のスピンのうち、2個のスピンが反平行的な並びで安定すると、3個目のスピンはどっちに合わせても安定しないフラストレーションな状態になるよ。

純粋な鉄のような、磁性を持つ原子が多いなら問題はないけど、例えば銅のような磁性を持たない原子でできた物質に少量の鉄を混ぜるような状況だと、話は複雑になるよ。この場合、銅原子のところどころに鉄原子が混ざっていて、その配列はランダムになるよ。そして磁性を持つ原子のスピンの方向は、固体になると固定されるけど、この時問題が発生するよ。固まる直前まで鉄原子の位置とスピンの方向はランダムだから、例えば三角形の頂点に3個の鉄原子が並ぶ時があるよ。この時、2個のスピンの方向は、お互いに反対側を向く反平行的な配列が一番安定するよ。ところが3個目は、どっちのスピンを観ても反平行的な配列を取る事ができないから、どっちつかずの不安定な状態、用語的にはフラストレーションな状態となるよ。

画像9

【図7】
磁性を持たない物質に磁性を持つ物質をわずかに混ぜる、例えば銅に少量の鉄を含ませると、スピングラスの状態が生まれるよ。

このフラストレーションが存在するスピングラスは、物理学的にかなり面白い性質を持つ事が知られているけど、その一方で物理学的にどういう状態になっているのか、と言うのは謎が残ったよ。スピングラスを物理学的に解析する試みで大きな成果となったのは、1975年のデイビッド・シェリントンとスコット・カークパトリックによるモデルだよ。これは元を辿れば、1920年のヴィルヘルム・レンツが提案し、1949年にその重要性に気づいたエルンスト・イジングによるイジングモデルが基盤となっているよ (イジングは1924年の博士論文でこのモデルを開発したけど、自身の誤った解釈により、すぐにはその重要性に気づけなかったよ) 。シェリントンとカールパトリックのモデルは、2つのスピンの相互作用が無限に遠くまで届く事を基盤としている点がこれまでのスピングラスのモデルと違う他、レプリカ法という数学的な手法を使った点が重要だよ。これは簡単に言えば、1つ1つはてんでんばらばらなスピンを、多数のコピーで観る事で平均化して計算する、というテクニックだよ。1つ1つを追うのが大変すぎるからこそ平均化するというのは、気体や液体で観た統計力学の手法と同じだね。ただ、シェリントンとカールパトリックのモデルは、数学的には計算できても、物理学的に解析するには計算量が多すぎて実行不可能と言う問題があったよ。これはシェリントンとカールパトリックでも解決ができなかったよ。

コツのいる解析手法

パリージは、この問題を1979年に解決したよ。レプリカ法で出てくる多数のコピーには、当初は気づかれなかったけど、実は隠れた構造がある事にパリージは気づいたんだよ。この構造を手掛かりに解析すれば、物理学的にもシェリントンとカールパトリックのモデルをスピングラスに適用する事ができる事をパリージは証明したよ。この数学的な証明は難解で、他の数学者たちがそれを正しいと証明するのには何年もかかったけど、結果的には正しい事が裏付けられているよ。

スピングラスの物理学的な解析と言う、一見するとあまりにも高度すぎるお話だから、なんでこれがノーベル物理学賞になったのかは、少なくとも地球温暖化よりは分かりにくいよね。でも、物理学的な現象は、気候モデルや天気予報で観る大気循環の複雑さ、過去繰り返されてきた氷河期と間氷期のパターン、ガラスの固化、神経を伝達する電気信号、果ては何千ものムクドリの群れの成り立ち方と言った、1つ1つはとても追いきれないランダムで複雑怪奇なものでも、平均化すれば傾向が見いだせるシステムの方がよっぽど多いよ。これらの一見ランダムにしか見えないシステムは、数学的・物理学的背景に落とし込むと、パリージが示したスピングラスの解析と同じ手法を適用すると解析できるものがたくさんあるよ。統計力学という基盤的な物理学だからあんまり意識できないだけで、パリージが示した手法はあらゆる自然科学に適用される、とても影響の大きいもの、だからこそのノーベル物理学賞なんだよ!

まとめ

眞鍋淑郎とクラウス・ハッセルマンは気候モデルの構築と地球温暖化、ジョルジョ・パリージはスピングラスの統計力学的手法による解析という事で、一見するとこれらは繋がらないよね。でも、どちらにも共通するのは複雑系という点で、正面突破は不可能なほど複雑怪奇な物理学的システムを解決したという点で重要なんだよ。眞鍋・ハッセルマン・パリージのおかげで、私たちは未来を予測し、未知の現象を解明する事ができるようになったんだよ。次は私たちが、予測された現象の解決に当たる番だと思うんだよ。

主要な論文

Syukuro Manabe & Fritz Möller. "On the radiative equilibrium and heat balance of the atmosphere". Monthly Weather Review, 1961; 89, 503-532. DOI: 10.1175/1520-0493(1961)089<0503:OTREAH>2.0.CO;2

Syukuro Manabe & Robert F. Strickler. "Thermal Equilibrium of the Atmosphere with a Convective Adjustment". Journal of the Atmospheric Sciences, 1964; 21, 361-385. DOI: 10.1175/1520-0469(1964)021<0361:TEOTAW>2.0.CO;2

K. Hasselmann. "Feynman diagrams and interaction rules of wave-wave scattering processes". Review of Geophysics and Space Physics, 1966; 4 (1) 1-32. DOI: 10.1029/RG004i001p00001

Syukuro Manabe & Richard T. Wetherald. "Thermal Equilibrium of the Atmosphere with a Given Distribution of Relative Humidity". Journal of the Atmospheric Sciences; 1967; 24, 241-259. DOI: 10.1175/1520-0469(1967)024<0241:TEOTAW>2.0.CO;2

K. Hasselmann. "Nonlinear interactions treated by the methods of theoretical physics (with application to the generation of waves by wind)". Proceedings of the Royal Society A. 1967; 299 (1456) 77-100. DOI: 10.1098/rspa.1967.0124

Syukuro Manabe & Richard T. Wetherald. "The Effects of Doubling the CO₂ Concentration on the climate of a General Circulation Model". Journal of the Atmospheric Sciences, 1975; 32, 3-15. DOI: 10.1175/1520-0469(1975)032<0003:TEODTC>2.0.CO;2

K. Hasselmann. "Stochastic climate models Part I. Theory". Tellus, 1976; 28 (6) 473-485. DOI: 10.1111/j.2153-3490.1976.tb00696.x

Claude Frankignoul & Klaus Hasselmann. "Stochastic climate models, Part II Application to sea-surface temperature anomalies and thermocline variability". Tellus, 1977; 4, 289-305. DOI 10.3402/tellusa.v29i4.11362

G. Parisi. "Infinite Number of Order Parameters for Spin-Glasses". Physics Review Letters, 1979; 43 (23) 1754. DOI: 10.1103/PhysRevLett.43.1754

K. Hasselmann. "On the signal-to-noise problem in atmospheric response studies" In D. B., Shaw (Ed.), Meteorology over the tropical oceans., Bracknell: Royal Meteorological Society., 1979; 251-259.

G. Parisi. "Toward a Mean Field Theory for Spin Glasses". Physics Letters A, 1979; A73, 203.

G. Parisi. "Magnetic properties of spin glasses in a new mean field theory". Journal of Physics A: Mathematical and General, 1980; 13 (5) 1887. DOI: 10.1088/0305-4470/13/5/047

Giorgio Parisi. "Order Parameter for Spin-Glasses". Physics Review Letters, 1983; 50 (24) 1946. DOI: 10.1103/PhysRevLett.50.1946.

M. Mézard, G. Parisi, N. Sourlas, G. Toulouse & M. Virasoro. "Nature of the Spin-Glass Phase". Physical Review Letters, 1984; 52 (13) 1156. DOI: 10.1103/PhysRevLett.52.1156

R. Benzi, G. Paladin, G. Parisi & A Vulpiani. "On the multifractal nature of fully developed turbulence and chaotic systems" Journal of Physics A: Mathematical and General, 1984; 17 (18) 3521. DOI: 10.1088/0305-4470/17/18/021

U Frish & G Parisi. "On the Singularity Structure of Fully Developed Turbulence". in Turbulence and Predictability in Geophysical Fluid Dynamics and Climate Dynamics, 1984; 84-85., (Editor: M. Ghil, R. Benzi & G. Parisi.)

M. Mezard, G. Parisi & M. Virasoro. "Spin Glass Theory and Beyond: An Introduction to the Replica Method and Its Applications". World Scientific Lecture Notes in Physics, 1986; 9, 476.

Giorgio Parisi. "Statistical Field Theory". Addison-Wesley Publishing Company, 1988; 352.

K. Hasselmann. "Optimal Fingerprints for the Detection of Time-dependent Climate Change". Journal of Climate, 1993; 6 (10) 1957-1971. DOI: 10.1175/1520-0442(1993)006<1957:OFFTDO>2.0.CO;2

K. Hasselmann. "Multi-pattern fingerprint method for detection and attribution of climate change". Climate Dynamics, 1997; 13, 601-611. DOI: 10.1007/s003820050185

G. C. Hegerl, K. Hasselmann, U. Cubasch, J. F. B. Mitchell, E. Roeckner, R. Voss & J. Waszkewitz. "Multi-fingerprint detection and attribution analysis of greenhouse gas, greenhouse gas-plus-aerosol and solar forced climate change". Climate Dynamics, 1997; 13, 613-634. DOI: 10.1007/s003820050186

M. Mézard, G. Parisi & R. Zecchina. "Analytic and Algorithmic Solution of Random Satisfiability Problems". Science, 2002; 297 (5582) 812-815. DOI: 10.1126/science.1073287

Giorgio Parisi. "Brownian motion". Nature, 2005; 433, 221. DOI: 10.1038/433221a

Giorgio Parisi & Francesco Zamponi. "Mean-field theory of hard sphere glasses and jamming" Reviews of Modern Physics, 2010; 82 (1) 789. DOI: 10.1103/RevModPhys.82.789

Patrick Charbonneau, Eric I. Corwin, Giorgio Parisi & Francesco Zamponi. "Universal Microstructure and Mechanical Stability of Jammed Packings". Physical Review Letters, 2012; 109 (20) 205501. DOI: 10.1103/PhysRevLett.109.205501

Patrick Charbonneau, Jorge Kurchan, Giorgio Parisi, Pierfrancesco Urbani & Francesco Zamponi. "Glass and Jamming Transitions: From Exact Results to Finite-Dimensional Descriptions". Annual Review of Condensed Matter Physics; 2017, 8, 265-288.

Paolo Rissone, Eric I. Corwin & Giorgio Parisi. "Long-Range Anomalous Decay of the Correlation in Jammed Packings". Physical Review Letters, 2021; 127 (3) 038001. DOI: 10.1103/PhysRevLett.127.038001

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集