5G時代の教育
「これからは予測不能な社会が到来し、5G時代には教育の在り方も大きく変化していく必要がある」
ここ数年でこんな感じの言葉を何度聞いたかなあと思いながら、将来の教育に思いを馳せています。勤務校のICT委員長もよくおっしゃっているのですが、委員長曰く
「学校は時代遅れなんだから、ICTを導入して、アクティブラーニングをやっていかないといけない。5Gの時代が来たら、教育は今よりもっと変化して、今では想像もつかないような教育が必要とされるんだぞ。」と。
学校が時代遅れなのは非常によく分かります。
・データで配ればいいものをわざわざ紙で配布
・出欠連絡から何まで全部手書きホワイトボード
・生徒は黙って授業を聞き、先生は同じ授業を全クラスで繰り返すだけ
などなど、挙げ始めたらキリがありません。(もちろん、全ての学校がそうだと言ってるわけではないです)
従来のように生徒は黙って教員の話を聞く授業、言い換えると「教員→生徒の一方通行講義型の授業」ではもはや教員が講義ビデオの代わりをしていると言っても過言ではないなと思っていますし、それなら自分の授業を動画にして、動画を上映しながら自分は机間巡視で生徒個別に対応していく方がいいでしょう。またインプットだけでなくアウトプットも重要で、そのためにICTを活用して意見交換やプレゼンをするというのも分かります。
ただ、「5Gの時代になったら」という部分が実はかなり私の中で引っかかっています。彼らの言う「5Gの時代」とは、どのような時代を指しているのか、具体的にその時代が見えているのかな?と。
5G通信技術は確かに世の中を変えていくと思います。今の100倍とも言われる通信速度はきっと我々にとって驚くべき進歩でしょう。VRのような技術も、5Gの通信速度により大容量動画データを高速送信できるようになるからこそ脚光を浴びていることでしょう。
では、高速通信が当たり前になった事によって学校の在り方はどう影響を受けるのでしょうか?その答えは、全く暗闇の中だと思うのです。
学校の目的は「生徒の人格を完成させ、社会を形成していく資質を持った国民を育てること」です(教育基本法)。つまり5G時代の社会がどのようになっているかによって、学校の在り方や教育の在り方は変化します。5G時代の社会が「個人個人が特色や特技を活かして活躍する」ことを要求するならば、学校において個別化教育のために通信技術を活かす必要があるでしょう。逆に「集団で足並みを揃える」ことを要求する社会になったならば、一昔前のような集団一括授業を高速で進めるために通信技術を活かす必要があるでしょう。このどちらかの社会になるのか、二つを混ぜた感じの社会になるのか、それともここに書かれてないようなことを要求する社会になるのか。5G時代の社会は予想がつかず、それゆえ将来の社会が教育に何を要求するかを予想するのは困難です。なにせ今現在の世界を席巻しているスマートフォンも、10年前は「これからはスマホだ」という人と「スマホなんて技術者の自己満足なだけで、流行らない」という人が半々くらいでした。将来は誰にも分りません。
冒頭にあったようなICT委員長の言葉を聞く限りだと、どうも「5Gはすごい技術で、このすごい技術が教育をエエ感じに変える」という認識に聞こえてしまうのです。しかし5G社会が明確に予測できない以上はその5G社会が学校に求めるものも予測できないため「将来はこうなるだろうからもう授業大好きなんて古いよ」「部活なんて将来は必要ないよ」「この資質は将来必要なくなるよ」のような議論に行き着く先があるのか?という疑問を、私は抱いています。(「5Gの時代」が引っかかっていると言ったのはこういう事です。そもそも、すごい技術とは5Gによって可能となるVRや自動運転の同時制御などの事であって、5G単体で凄い技術にはなり得ない)
そういえば先日、とあるツイートが教育者界隈でプチ炎上を起こしていました。曰く、
「5G時代になれば授業は個別化が進み、授業がうまい人の授業を動画で見れば基礎基本は習得できるようになる」と。したがって、未だに授業大好きな教員はオワコンであると。
正直、理屈の通った話だと思います。実際に現場に立つとわかりますが、私も含め授業能力が未熟な教員はたくさんいます。そういう教員の授業は動画に置き換えて、空いた労働力で他の教育活動をやろうというのは非常に合理的だと思います(無論、授業能力の研鑽は怠るべきでないですが)。どうやってもこの人には勝てない…!と思わされるような上手い授業をする先生は一定数いて、自分の生徒にあの上手な授業を受けさせてあげたい…!と何度思ったことでしょうか。動画であのうまい授業を皆で共有し、余った時間で個別化した授業を受けさせてあげたいという気持ちは強いです。
では5G時代の社会は、我々教育者や学校・生徒に「個別化された教育」を要求するのでしょうか。正直、この問いに対する答えは5G時代になってみないと分からないのではないでしょうか。5G社会が予測困難な中で今の私たちに分かっている事は、
「4Gで社会が動く今の時代では、個別化された教育が求められている」
だと思います。「個別化」というのは今の時代で求められていることであって、これは5G社会ではなく4G社会の今我々が直面している問題です。であれば、授業大好きがオワコンとか部活大好きがオワコンとかいうのではなく「部活・授業・今のICT技術を駆使してどうやって個別化教育を行うか」
と考えていくべきではないでしょうか。
私は5Gの時代の社会がどうなるか分からないし、それならば将来がどうこう思案するよりも、今の時代に求められてるものを今の時代の技術で解決する事が重要だと考えます。こうしてnoteで意見や教材を発信しているのも、この考えに基づいています。「教育は遅れていて、さらに教員の負荷も大きい」。だったら、一人一人の工夫や意見を共有して、教員みんなの力で「今の社会に求められている教育を、よりラクに作れるように動いてみよう」と思い、今あるプラットフォームで行動しています。
こうして、その時代にある問題を、その時代にあるテクノロジーで解決していく。我々自身がこうして変化に適応する姿勢を養っておくことが将来の教育にとって大切だと私は考えていて、将来の教育がどう変化するかを予測しすぎることにあまり意味がないと考えます。(もちろん、可能な限り予測する努力をした上で)
ただ、私がよく聞く声はそうではありません。5Gの時代が来るのだから、それに合わせて「アクティブラーニングを」「個別化授業を」「双方向型の授業を」「プレゼンテーションを」など、どうやら彼らには5G社会の向かう方向性が何か見えていて、その社会で求められる能力が分かるようです。無念ながら、今の私にできることは「今の社会が学校に要求するものを模索する事」「社会の要求を教育で実現するという問題解決を行い、自己研鑽する事」だけです。
5G時代がどんな社会になるのか、そしてその社会は学校教育に何を求めるのか、私にはわかりません。5G時代には教育が変わるんだからこういうスキルが必要だぞ!こういう人間はオワコンだぞ!とおっしゃる方、こんな無知な私に未来を教えてください。私は子供たちの力になりたいです。
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