初投稿, 大澤真幸『生成AI時代の言語論』左右社(2024)について

 本やSNSに書かれていること、日々の出来事への感想、コメント、批判を投稿していこうと思います。

 大澤真幸『生成AI時代の言語論』左右社(2024)のp. 99-101で、大澤はオリヴァー·サックスの『妻を帽子と間違えた男』の症例を紹介して、その男は自然な会話ができるし視覚に障害もないが、「記号接地だけはでき」ず、「「靴」を現実の靴に、「帽子」を現実の帽子に結びつけることができない」と記している。
 私はこの記述に違和感を覚えたので、オリヴァー·サックス『妻を帽子と間違えた男』早川書房 (2009) を読み返してみたら、その男は、記号ではなく、目に映るものを認識できないと書かれていた。手袋を見ても、手袋として認識できないし、自分の写真を見てもそれが誰だかわからないうえ、「視覚的な表現」の「感覚的・情緒的」なリアリティを認識できない、一種の失認症であると。視覚情報の認識、意味づけができないと捉えれば、記号接地ができないことと似ているが、「靴」や「帽子」という言葉を現実に接地できないということではない。それゆえ、大澤の「記号接地だけはでき」ないという記述は、その男の症状の説明としては間違っていると思われる。


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