浅瀬の友人
年の瀬、の瀬、が、川、であることはなんとなく知っていたけれども、時間を流れになぞらえる謂いは一般なのではと思い、調べてみれば瀬とはとくに浅く流れの速いところを指すと知り、しかし年の末のころの時間といえば、深く夜も底をついたころの、真空の時間が空間ととけあったように漠として、いつまでもつめたくある、そのイメージが私をとりまいていて、だから昼間の師走というのにはうなずけるけれども、その対比に極としてある深夜のことを思えば、年の瀬、にはややうなずきがたく、けっして私の首のひと振りが重大な意味を持っているとも本気で思わないのだが、その点にある違和ぬぐいがたく、よなよな友達と千葉へ浅瀬を眺めにいったこと、その謐とかすかなよろこびとが、冬の時間のすべてであった。
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