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真夜中の5秒前

およそ年という単位でみずからが変わってゆくわけでもないのに、年末となればむやみに総括をしてみたくなる、全体性のつみぶかさに、わかりつつ収束のある安心を、しかし求めたくなるのは、収束は終息であり、ひとたび息する暇ができる、と、いまこのスマートフォンで入力している誤変換を見て考える、なので結局、本気で考えているわけではないのだが、あたかも本気で、つねから考えているかのようにふるまう、ことがもしかして万力で、だれかを締めつけてしまうのかもしれず、しかしそれは果たしてきっとつけあがりでしかなくて、どうにかときにつねからいろいろと考えていけたら、のこころもち

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