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Avalon

「アヴァロン」は、1920年にアル・ジョルソン(Al Jolson)とヴィンセント・ローズ(Vincent Rose)が書いたポピュラー・ソングで、現在ではトラッドジャズ、マヌーシュ・ジャズのスタンダードになっている。またあとになってバディ・デシルヴァ(Buddy DeSylva)が作者に加えられる。永遠の名曲。トラッド・ジャズの大スタンダード。

今回の記事は結構長くなったので目次をつけておこうと思う。


伝説の島アヴァロン

歌詞の内容は「いまこうして船の上にいるけど、寝ても醒めてもあの時のことが忘れられないんだ…。彼女との思い出は昨日のことのようにそのことを思い出せるよ…。」というヴァースからはじまり、「アヴァロンで素敵な恋をしたけど、僕は船で旅立ってしまった。だから僕はアヴァロンを目指して旅を続けようと思うんだ」と歌われる。ずいぶんロマンチックな歌詞である。

このアヴァロンだが、①カリフォルニア州のリゾート地アヴァロンという解釈と②イギリスの伝説に登場する神秘の島の2つの解釈で割れている。どちらでもよいと思うのだが、さしあたり②の方がロマンチックだし、ちょっと俗っぽいが、理想の相手がいる神秘の島を目指す。つまり、探しても永遠に見つからないという儚さがこの曲に適っているように思う。

アヴァロン島は前述の通り伝説上の島で、しばしばアーサー王伝説に関連したかたちで言及される。説明はいらないかもしれないが、アーサー王はブリトンをサクソン人の侵略から守った6世紀のブリトンの伝説上の英雄を指す。このアヴァロンは、そんなアーサー王の剣エクスカリバーが作られ、戦で重傷を負ったアーサーが船で連れて行かれた魔法の場所である。また、アヴァロンは林檎の生い茂った島であるとされている。

いつ頃、アヴァロンが楽園や理想郷という比喩で使用されるのかはわからない(最初からアヴァロンが楽園であったのか、それともミルトンの『失楽園』が楽園の禁断の果実を林檎と捉えた17世紀以降か[?])。が、この曲の「(自分が恋に落ちた理想の相手に出会うために)アヴァロンを目指して旅を続ける」は、まさにアーサー王のアヴァロンへの船出に関連していると見てよいだろう。ちなみにアヴァロン島はイングランドの南西にあるグラストンベリーであると言われている。

オペラからの引用と訴訟

よく言われることではあるが、この曲は一度訴えられている。

[ジャズの歴史のなかで]おそらく最も悪名高い訴訟としてつぎのことを挙げることができる。それは、ヴィンセント・ローズ、バディ・デシルヴァ、アル・ジョルソンの「アヴァロン」にかんするもので、この曲はジョルソンが1920年のブロードウェイ・ショー『ボンボ』で歌いヒットした。このヒットにより、ジャコモ・プッチーニが訴訟を起こし、プッチーニはこの曲が自身の『トスカ』の楽譜から盗用されたものだと主張した。プッチーニには25,000ドルの損害賠償を認められたが、この曲のフレーズを借りれば、「アヴァロン」の成功は 「旅 travel on」し続けた。

(Furia & Lasser, 2006, p. 24)

実際に聴いてみるとたしかに「アヴァロン」のBメロと『トスカ』の「星は光りぬ」の冒頭のメロディは似ている。短調か長調かの違いくらい。ちなみにプッチーニは賠償金でヨットを買ったなんて笑い話もある (Erden 2013)。

録音

録音冒頭にて述べたようにたくさん録音がある。正直好きな録音が多すぎて挙げきれない。
Wild Bill Davison and His All Star Stompers (NYC, September 27, 1947)
Wild Bill Davison (Cornet); George Foster (Bass); Baby Dodds (Drums); Danny Barker (Guitar); Ralph Sutton (Piano); Jimmy Archey (Trombone)
レジェンドたちの演奏。本当にすごいな。なにしても全部の音がかっこいい。一時期ずーっとこのアルバムを聴いてスイングに酔ってた。かっこいいなあ。

Doc Cheatham (New Orleans 1994)
Bill Huntington (Bass); Brian O'Connell (Clarinet); Les Muscutt (Banjo); Butch Thompson (Piano); Doc Cheatham (Trumpet)
やさしい声と枯れた音色の美しいドク・チータムの録音。この録音ではインスト。とても88歳の演奏には聴こえない。余裕たっぷりでリズムを自分のものにするような演奏がとても気持ちいい。

Lino Patron & His Blue Four (Rome,Auditorium, November 24 2004)
Michael Supnick (Clarinet); Mauro Carpi (Violin); Giancarlo Colangelo (Bass Sax); Lino Patruno(Guitar); Clive Riche (Vocal)
イタリアのトラッド・ジャズのプロモーターとしても名高いリノ・パトルーノのエディ・ラング+ジョー・ヴェヌーティのトリビュート。このセッションはとっても楽しくて、アルバムとしてもとっても好き。いろいろ語るところのある録音。ちなみにマウロ・カルピのリーダー・アルバムもとてもよい。

Allan Vaché (Orlando March 28, 2006)
Allan Vache (clarinet); Christian Tamburr (vibes); Vincent Corrao (guitar); John Sheridan (piano); Phil Flanigan (bass); Ed Metz Jr. (drums)
グッドマン・スタイルのクラリネット奏者のアラン・ヴァシェの録音。シカゴ・スタイルですな。ただのノスタルジックな演奏ではなくて、流暢かつ熱いクラリネットがめちゃくちゃかっこいい。あとエド・メッツのドラムもバキバキで好き。現代のスイングを代表するベテランたちが集まった演奏。

Gaucho (San Francisco January 23, 2010)
Dave Ricketts (Lead Guitar); Rob Reich (Accordion); Ari Munkres (Bass); Michael Groh (Rhythm Guitar); Pete Devine (Drums); Ralph Carney (Alto Saxophone); The Honorable Leon Oakley (Cornet [Guest]); Tamar Korn (Vocals [Guest])
モダン・ニューオーリンズ・ジャズ/モダン・ヴィンテージ・ジャズを展開する西海岸を代表するバンドのGauchoの録音。最高にかっこいいですね。テンションあがります。ヴィンテージっぽいタマー・コーンの歌声もかっこいい。ガウチョ、いつか絶対に来日してほしいです。ちなみにライブ盤も出ていて、そっちの演奏も最高にかっこいい。

Jeremy Mohney Trio (Boulder, Colorado, Released in 2012)
Matt Cantor (Guitar); Conner Hollingsworth (Bass); Jeremy Mohney (Alto Sax)
コロラドで活動している若手ジェレミー・モーニーのトリオ。シンプルなトリオで、間がめっちゃ気持ちりいですね。個々の音がとても好み。ギターソロになってもスイング感が失われずとっても好き。

Casey Driscoll (NOT GIVEN, Released in 2012)
Casey Driscoll (fiddle); Taylor Baker (mandolin); Brennen Ernst (guitar); Ralph Gordon (bass); Anders Eliasson (drums)
ケイシー・ドリスコルによるアヴァロンもいい!テキサス・フィドルっぽい演奏を繰り広げているんだけど、随所でグラッペリを感じさせる熱い演奏。ドーグ・サウンドにも通じるような編成。詳しいレコーディングの時期と場所がわからない。

Hot Club of Cowtown (Dipping Springs, Texas July 6 2012)
Elana James (Fiddle); Whit Smith (Guitar, Vocal); Jake Erwin (Bass)
HCCTはこのラインナップが一番好きかもしれない。エラナ・ジェイムスのフィドルもキレまくりだし、ウィット・スミスのポンプも最高に上がる。なによりジェウク・アーウィンのスラップがドキドキしますな。ジャンゴ・スタイル + ウェスタン・スイング。この編成のライブでの録音もあるんだけどそれもまた素晴らしい!

Combo Royale (North Carolina October 2013)
Tyler Norton (trumpet); Ralph Pastore (piano); Lindsay "Kid" Kotowich (trombone); Frank Evans (violin); Gabe DeSantis (banjo); Paul Swoger-Ruston (guitar); Steve Wellman (washboard); Sam Petite (bass); Caitlin Wellman (vocals)
トロントで活動しているニューオーリンズ・ジャズのバンドのコンボ・ロイヤル。この録音もとっても好き。インスト。

RP Quartet (Paris, 2014)
Bastien Ribot (Violin); Damien Varaillon (Bass); Edouard Pennes (Guitar); Remi Oswald (Guitar)
フランスが誇るモダン・マヌーシュ・ジャズ・バンドの一つ。とんでもない凄腕の若手(当時)たちの素敵なアンサンブル。アレンジがむっちゃかっこいい!音もすごく好き!CDを見てもいつどこで録音したのかがわからなかった。

Menil (NOT GIVEN, Released in 2016)
Javier Sánchez (Guitar); Raúl Márquez (violin); Art Záldivar (Guitar); Unkown (Guitar); Gerardo Ramos (Bass)
スペインのマヌーシュ・ジャズ・バンドのMenilの録音。リーダーのラウル・マルケスの歌とバイオリンのユニゾンのソロすごい!バンドはすでに活動していないのであまり情報がないんだけど、ラウル・マルケスとジャビアー・サンチェスは少なくともそれぞれ精力的に活動している。叶わなそうだけどライブ行きたいなあ!

Tcha Limberger Trio with Mozes Rosenberg (Cardigan, April 21, 2018)
Tcha Limberger (violin and vocals); Mozes Rosenberg (guitar); Dave Kelbie (rhythm guitar); Sebastien Girardot (bass)
ハンガリーのロマ系バイオリニスト、チャー・リンバーガーのリーダーバンドのライブから。最初のバイオリンからブチあがりますね。HCCTにくらべこちらの方が純粋にジャンゴ・スタイルを継承するような演奏をしている。めちゃくちゃ熱い演奏!

【補論 ブラックフェイス】

以前「アバウト・ア・クォーター・トゥ・ナイン」で要約的に触れたが、この曲を書いたアル・ジョルソンはブラックフェイスで人気を博した歌手・俳優であった(About a Quarter to Nine)。こうしたブラックフェイスはミンストレル・ショーにて利用され、「人種差別」と「女性嫌悪 ミソジニー」を強化していった。こういった事情があるため、アメリカではかれの業績はあまり表立って賞賛されにくい。ここでもう一度、大和田(2011)をもとに、ブラックフェイスについて、人種差別の観点から論点を確認しておきたい。

ブラックフェイスは18世紀以降に英米社会において、ミンストレル・ショーなどの芸能の一形態として定着した。ショーにおいて白人の俳優/コメディアンは、顔を黒く塗り「奇妙な黒人」を演じた。こうして演技においては、アメリカ南部にて見られた黒人の動きを誇張するような歌や踊りが行われ、よりグロテスクで白人にとって奇妙なふるまいが誇張してなされた。

そうした白人には期待されないふるまいをブラックフェイスの俳優がすることによって、[白人]–[黒人]という(概念的)対立構造がステージの上に立ち現れる。その結果として演じる俳優と観客自身が抱く自分自身の〈白人性〉と〈想像上の黒人〉のステレオタイプが強化されるのだ。たとえば、差別の意図があってもなくても、笑うため/笑わせるためであれば、白人は黒人を奇妙に演じてもしてもかまわない、という演者や観客どうしの言説を挙げることができる。言い換えれば、黒人性を笑いの対象あるいは装置として利用することは白人が特権的に利用することができるのである *1。

こうしたブラックフェイスの俳優は最初はアイルランド人で、次第にユダヤ人になっていった。さまざまに言われるが、ユダヤ人は、アイルランド系と同じように、アメリカにおいては差別の対象であった。それはアイルランド人には粗悪であるというステレオタイプとカトリック信者であったことと同じように、ユダヤ人がユダヤ教の信者であったこと、そして彼らには秘密主義というステレオタイプが担われていたからだ。こうしたステレオタイプのもと、ユダヤ人は、普段の生活において、(その実態がなんであれ)「白人社会」に同化することができない、あるいはそれに同化しようとすると反発されるような存在であった。

ユダヤ系であるアル・ジョンソンがブラックフェイスによって黒人を演じることは、自身のユダヤ人性を隠し、白人として自分自身を投影すること、このことを達成する。つまり、ブラックフェイスをすることは次の意味を持つ。第一に、ブラックフェイスをすることは[白人]–[黒人]という二項対立に身を投じることにほかならない。第二に、この[白人]はまさに差別をする側であり、ブラックフェイスは、それまで差別される側だったユダヤ人を差別をする側に同化させることを可能にする。第三に、その結果、[白人]–[黒人]という二項対立は、あらゆる差別を可能にする装置として人々に利用され続ける。

こういった問題はアメリカだけにとどまることではない。上に述べた第三の点に関連して少し述べてみたい。日本においても、黒人は「おもしろい」対象として利用されてきた。それには、特定のスポーツ選手やコメンテーターなどのテレビでの起用のされ方や大晦日のお笑い番組で行われたような日本人によるブラックフェイスを挙げることができる。少なくとも後者について、差別する意図がないとされている。だけど、そもそも差別は意図がある/なしに帰属される概念ではない。そしてこうしたブラックフェイスは[白人]–[黒人]という対立を踏まえており、同時にこうした構造を強化し助長するものにほかならない。であるならば、こうした演出は、意図があるなしにかかわらず、人種差別である。

ただしこうした差別性が「アヴァロン」に直接的に担われているわけではない。もちろん、この曲に限らずではあるが、曲をどう利用するかで差別性が帯びることは言うまでもない。

*1 ただし後に黒人が登場するミンストレル・ショーの劇団もできあがる。そうした黒人がステレオタイプ的な黒人を演じることは、まさに白人社会に同化することができない黒人性が前提となっているように思う。当時の観客がそうした演じられた黒人性をどう見ていたかはわからない。が、たとえ誇張され誤りであったとしても、そうした演技をひとつの事実として見た観客はいるだろう。であるならば、そうした黒人によって演じられた黒人性も差別を助長する装置として機能する。

参考文献

  • Erdem, Suna (2023, May 7). Claim that tune: When Puccini sued Al Jolson. The New European. https://www.theneweuropean.co.uk/claim-that-tune-when-puccini-sued-al-jolson/

  • Furia, Phillip & Lasser, Michael. (2006). America’s songs: The stories behind the songs of Broadway, Hollywood, and Tin Pan Alley. London: Taylor and Francis.

  • 大和田俊之. (2011). 『アメリカ音楽史」ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』東京: 講談社.


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