038いにしえの「おもてなし」
卒業アルバムと学校写真のエキスパート 田賀谷浩です。
今回もお目通しいただきありがとうございます。
氣遣い、氣配りは「おもてなし」に通ずると申しました。今では忘れかけられている、明治時代におけるおもてなしの実例を、ある外国人の視点から見つめ直してみたいと思います。
女性冒険家 イザベラ・バードが見た明治の日本
当時としては世界中を冒険と呼ぶに相応しい旅行をした英国人イザベラ・バードは1878(明治11)年に日本に訪れ女性一人で東日本などを旅しました。初めて見た日本人を「みじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足で醜い、黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした歩きぶり」と容姿を酷評したたり、庶民の生活習慣に辟易したりしたものの、各地で日本人のもてなしに感嘆します。
「ヨーロッパの多くの国では女性が一人で異国の装束を身にまとって旅をすると、無礼に扱われたり侮辱されたり値段をふっかけられたりするものだが、日本ではただの一度も無作法な扱いをされた事も法外な値段をふっかけられる事もない」
言葉や習慣が分からないからと、相手を差別したり蔑んだりすることがなかったことが分かります。
「馬子はいつも壊れたり無くしたりしたものがないか几帳面に確かめ、時にはなくした物を探しに何キロも道を戻り、旅の終わりには無事な状態で次に引き渡すのが役目だと謝礼すら受け取らない」
身分も学識も決して高くない人足でも、職務にはとことん実直であろうとしたいた事が分かります。
「出されたお茶を飲まず水しか飲まなかった事を理由に謝金を受け取らず、無理矢理渡した金を(付き添いの車夫に)返してきた」
もともと無料で供されるものと知らずに対価を出されても、極めて誠実な倫理観を持ち合わせていた事が分かります。
「まる1時間も団扇で扇いでくれた女性に代金を尋ねると、自分たちを貶めるわけにはいかないからと受取を拒んだどころか、一袋の砂糖菓子を包んで団扇までよこそうとした」
見返りを期待しないどころか、珍しい外国人を接遇出来た幸運に感謝し、むしろ施しまでしようとしています。
今でも世界の何処よりも安全でもてなしのある国だとは思いますが、これが明治の日本の姿です。どうですか?あまりにも無私無欲で感動すら覚えませんか?
現代の日本人がとうに忘れてしまっている「おもてなし」が添付の動画にはエピソードが満載です。よろしければどうぞご覧になってください↓
日本奥地紀行に記された彼女の言葉です。
「1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている」
最後までお読みいただきありがとうございました。