
093成人の日を前に
卒業アルバムと学校写真のエキスパート 一級写真技能士の田賀谷浩です。今回もお目通しいただきありがとうございます。
世間では3連休の中日で今日がはたちの集いの自治体も多いと聞き及んでいます。地元の自治体ではカレンダー通り明日なのでちょっとのんびり構えていますが(笑)。
先日成人写真を前撮りされたお嬢さんが写真選びをされた際に、大きなプリントをなさらずにデータと小さな写真だけお求めになられました。経緯を伺うと写真の代金は当人持ちという事だったので本人の手持ちの都合もあってのことでした。(直後に「アルバムも買わないとダメでしょ」とおばあちゃんに当たる方がお見えになって追加でご注文されて行きましたが)
撮りに来てくださり喜んでいただけた事自体はありがたい事で何よりなのですが、正直申し上げて売り上げはさほど上がりませんでした。つい先日まででしたら「なんで親が出してやらないんだ。親子の情もない」と憤りすらしかねないところでしたが、とある話を直近で聴いていた事から思う所があったのでご披露します。
その話とは日本と他の国との家族の在り方の違いについて。
日本社会ではかつてほどではないにしろ子供が成人しても親子で同居がごく自然に行われ、その場合は家計もひとつが当たり前になっています。大学や専門学校の学費も粗方親が出し、学生は働くといってもせいぜいお小遣い稼ぎのアルバイト程度が普通です。
方や欧米諸国では成人(概ね高校卒業)を境に家計を分け家を出されるのが普通なんだそうです。進学する学校の学費も当然当人持ち。なので成績優秀者は無利息・返済義務なしのスカラーシップ(奨学金)を得たり、さほどでもない人は有利子返済義務ありの学資ローンを借りて学費を払います。余談ながら日本で言う奨学金は、名ばかりで実質はほとんどが学資ローンなんですが。
言葉を換えると欧米における成人後の親子関係は、よく言えばお互いに独立した個人どうし、悪く言えば赤の他人の関係になるわけです。なるほど、だから息子が何か事をし損じても親からみれば関係ないという話にもなるでしょうし、当然財産も別々なので子供が使う車を買ったり親の住まいの家賃を払ったりするのは相続や贈与になるというわけです。ここまで徹底してこそ個人主義と呼べるわけですね。
日本では現在でも成人した子が親と同居し家計を一にする事にさほど違和感はありませんし、子が何かしでかした時に親としての責任や見識を問われたりと、赤の他人と言う論理はなかなか通じにくいものです。
そう考えると日本の社会は家族が基本の単位であってその一員としての個があるとの認識がごく自然であって、欧米型の個人主義は理屈では理解されていても肌には馴染まず実践されてもおらずと言えます。
先だってのお嬢さんは、一人立ちした欧米的個人主義に基けばこそ自腹での解決を求められたものと推察しますが、従来の成人のお祝いが家族の一員としてのもので、より経済力のある親世代の出資があればこそ、現在の規模と形での産業としての成り立ちが為されたのであろうと思わされたのでした。
日本は個としての独立が為されていない未成熟な社会とも言われがちですが、成人を迎えたお嬢さんや息子さんに晴れ着を着せて、写真を撮るという文化や産業を成り立たせている一面はその社会構造であればこそで、あながち劣った面ばかりではないとも思えたのですが如何でしょうか。
長くなったので家族の在り方についての掘り下げは新ためて。
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