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105働き方改革なんか糞喰らえっテェんだ
卒業アルバムと学校写真のエキスパート 一級写真技能士の田賀谷浩です。今回もお目通しいただきありがとうございます。昨日友人のSNSに上げた発言を持ってきてみました。それにしても過激なタイトルですねぇ(笑)。
諸外国との労働時間と比較したり、過労死で亡くなった方が○人いるとかいいながら働き方改革なる概念がすっかり定着してしまいました。働く事が悪しきことであるかのような風潮が蔓延して久しいです。
その結果と言って良いでしょう。かつては様々な分野で世界トップクラスであったものづくりが、気がついたら大きく遅れを取る状態となって所得水準でも大きく水をあけられてしまっている現在の日本。
いい加減パラダイムシフトをしなければなりません。
そも働き方改革という概念が西欧諸国に生まれたのは、旧約聖書の創世記において人類の始祖とされるアダムとエバが神の教えに背く原罪を犯したために与えられた罰のひとつに、人間は額に汗を流して働かなければならなくなったという労働懲罰説に由来しているのです。
キリスト教徒やユダヤ教徒にとっては経典の根幹を為す概念ですから、働くことは罰という感覚受け入れ易くなっています。が、困ったことに大半の日本人はその事を認識していません。異教徒にとって原罪という概念自体無縁なはずですから従う理由なんかないのに・・・。
余談ながら7日毎に労働という懲罰から解放してあげようと神から与えられた安息日が日曜なので、その日には教会に行って神の教えを請うのが敬虔な信徒の為せる習慣なわけです。
片や日本人の概念はまったく異なります。勤労はそれ自体が自己表現の手段であり人生の目的そのもの。だから良い物を作る事が正しい行いであり、納得出来るものを作り上げる為に寝食すら惜しんで勤労に励む事はせず寧ろ天命そのものとすら思っていたのです。
西洋暦が一般的になるまで日本には安息日という慣習はありません。毎日無休で働き、まとまった休みと言えば盆暮れ正月くらいなものでした。とはいえ余暇が全くないわけではなく、お百姓さんたちは農閑期には仕事せず休みましたし、商人や職人も休みたいときには休んで芝居を観たり花見をしたり参詣の旅に出たり。一見働き過ぎにみえても自分のペースが守られるので大きなストレスにはなっていなかったのです。
多様性を口にするなら働き方にこそ多様性を認めましょうよ。1日8時間5日連続で働いて2日休むを繰り返すなんて縛りでなくても、その人が望むなら明日4時間で上がりたいから今日は12時間働いたって、20日連続で働いて8日まとめて休みを取ったっていいじゃないですか。何時間何日間連続で働こうと働き手がストレスと思わず結果が伴っているならどう働こうと勝手でしょう。もっと働き方そのものにこそ個人の自由を社会全体で認めましょうよ。
キリスト教徒でもないくせに、イタズラに西洋に気触れる事を是とする連中による洗脳から解き放たれて、働く事は善であり人生そのものであるという日本古来の概念を取り戻さないといけません。
と、年甲斐もなく中老の主張をしてみましたが(笑)、最後に今日の暦を。
六曜は大安で 十二直は平(たいら)
物事が平らになる日で 吉事は結婚、道路修理、旅行。凶事は穴掘り、種蒔き。道理で今日の外回りはドタバタで内仕事は平穏だったわけだ(笑)。
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