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094成人の日を迎えて 家族の在り方考
卒業アルバムと学校写真のエキスパート 一級写真技能士の田賀谷浩です。今回もお目通しいただきありがとうございます。
成人の日を迎え新成人を迎えられた皆様にはお祝いを申し上げます。おめでとうございます。
お祝い事にみる家族写真を通じて
今日も家族全員で成人を迎えた子を囲んでの撮影の方がおられましたので、家族の在り方の変遷をお祝い事における撮影を通じて見つめてみましょう。私が仕事を始めた昭和の終わりから平成の始め頃までは、お祝いで記念写真を撮るといえば本人だけで撮るのが当たり前。成人式は言うに及ばず、七五三ですらも家族で撮るのは稀でした。それが平成の10年頃から家族も撮るという需要があれよあれよと増え始め、令和の今はむしろ撮らない方がめずらしくなるほど、年祝いは家族のお祝いになっています。
学校行事でも傾向は同様で、私が子供の時分はもちろん平成の一桁当たりまでは母親一人が参列がほとんどで、入学式や卒業式で集合写真を撮る場合も子供の数と親の数には大差がないのが通常でした。それがものの数年であっという間に父親の参列数が増え、ここ十数年は子供の2倍親が並ぶのが標準となりました。
この先どう変遷していくかは分かりませんが、孫でも片手で余る数しかいないケースが大半ですから、親族内でのお祝い事は家族みんなでのお祝いとなる傾向は強まりこそすれ、逆回転はしにくいんじゃないかと思います。
社会の構成要素からみたら
個人の単位で完結している諸外国と異なり、日本では家族に限らず、自治体、会社のような組織やコミュ二ティも絡み合うように社会が構成されている側面が多く見られます。諸外国型が進んでいて日本型が発展途上的だとの捉え方も出来なくはないですが、歴史的な背景をみればそうなる必然があっての事だろうと思われるのです。
常に対外勢力によって国、自治体、組織は言うに及ばず、時には民族や家族に至るまで干渉や侵略、時には壊滅的破壊に遭うほど脅かされてきた歴史を綴ってきた結果、我が身を護る単位は個人で完結するしか許されなかったのが欧米各国をはじめとする諸外国。
方や日本は対外勢力に国土を脅かされる経験も限られた数しかなく、戦国時代ですら諸外国からみれば内輪の小競り合いレベルで、部族民族単位で壊滅的なダメージを与えられるような経験をほぼすることなく過ごすことが続けられた結果、安定的、継続的な社会システムを数百年単位で構築し維持することが出来たので、一族や集落という単位で身を護る体制が作られました。
生き残るために頼りになるのは自分だけ という諸外国型社会
身の回りの組織体も相まって自分を守ってくれる 日本型社会
個の能力が高い人はともかく、大半の人は日本型の方が生きやすいからこその現在に至る家族単位での生計を一にした生活なのではないでしょうか。
小言や干渉が面倒と核家族化が進んで久しい昨今、たとえ親からであっても、他者からの干渉とも思える言動を面倒に思う事は分かりますが、長い年月を掛けて続けられてきた仕組みや慣習は永く続く必然性があったからこそ続いてきたのですから、時代に即して見直される一面はあるにしろ、頭越しに全否定することはないというのが私の持論です。
ステキなお客様に恵まれました
数日前に飛び込みで「せっかく家族が揃ったので写真を撮ってくれないか」と仰せのお客様がお越しになりました。祖父母夫婦を頭に3世代13人。特別にあらたまった格好は一人もいない普段着で。伺うと最寄りの古刹に初詣に来た帰りとのこと。
戦後しばらくまで、新年を迎えるとともに新調した着物や履き物を下ろし、その格好で初詣をした際に写真舘で家族写真を撮る風習が一般的だった事もあり、正月は掻き入れ時で元日から営業が当たり前でしたが、そんな習慣もすっかり廃れた昨今のご依頼です。みなさん普段着なのでさすがに華々しさはありませんでしたが、みなさん朗らかな笑顔でお福分けしていただけたようでした。苗字がまたおめでたい方だった事もあって、正月早々とてもありがたい思いでした。
写真に揃って写ることで家族の結びつきや絆を実感する。そんなお手伝いをする機会を与えられて本当に幸せな仕事だなぁと思います。
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