ひょんなことから
流れに任せて生きていると、ひょんなことから、面白い案件が降ってくる。今回降ってきたのは「マーダーミステリー文章校正依頼」であった。
へぇ、そういうご経験が?
もちろんない。
ただのクマにそんな経験があるわけがない。ご依頼者様にはクマの中身と諸々をお伝えした。それでも構わないと言っていただいたので、お受けすることにした。私はなんだかんだで新しいことに挑戦するのが好きなのである。正式なお仕事としてのご依頼だが、個人的には少しわくわくしていた。
ちなみにアラン校長の能力と経験
・15万字程度の小説を書いたことがある(サガサナイデクダサイ)
・国文法、古典文法を人に説明できる(アルバイト)
・小論文の添削をしたことがある(アルバイト)
・日本語と英語がそこそこわかる
・クマの割には漢字が読める
・記憶力がいい
自覚しているのはこのあたりだ。どんな風にこれらが発揮されるのか、自分の中での反応にも非常に興味があった。そして実際に、校正作業は体験として非常に面白いものであった。勝手に分類した項目ごとに書き記していこうと思う。
1.無意識に近い反応 60%
この反応は自分でも不思議であったのだが、視覚と聴覚それぞれにおいて頭で理解するよりも先に違和感に気付くという感覚があった。
例えば、視覚
・グループに別れて話し合います
・私は彼を怒らせてしまったことを今だに後悔しています
・彼女の態度に怒りが沸きました
これらの文章は読み上げたときに違和感はない。だが、視覚的に何かおかしいというモヤモヤが読み飛ばすのを拒んでいた。よくよく見ると、これらの文章には漢字の打ち間違いがある。グループに別離するのではなく、分離するので、正しい漢字は「分かれる」だ。「今だに」は校正の例としてもよく挙げられるが、「未だに」が正しい。怒りは沸騰しそうだが意外とそうではなく、湧き出てくるものなので「湧きました」が正解。いったいどういう仕組みなのか分からないが、何か違うぞと、どこからともなく教えてくれる機構があるらしかった。普段、自作品を書いているときには意識したこともなかった反応である。おかげさまで自己理解がひとつ進んだ。
次に、聴覚
・私は家事をしたり、テレビを見ながら日中を過ごしました。
・私はみんなに気に入られたいので、愛想を振りまくようにしています。
これらは心の中で読み上げたときの違和感から間違いに気付いた例である。どこかが違うというモヤモヤさえ捉えることができれば、あとは国語的に精査していくことで文章の修正が可能である。1つ目は「たり」の用法が間違っている。「たり」は2回以上続けて使うためのものなので、「家事をしたりテレビを見たり」と書くのが正しい。恐らく、2回目の「たり」がなかったために聴覚的な違和感をおぼえたのだろう。2つ目は「愛想を振りまく」が違っていた。なぜか聞き慣れない感じがすると思って念のためググると、「愛嬌を振りまく」という言葉がヒットした。そうだ、それだ。愛想は振りまけないじゃないか。違和感×グーグル、この強さを知った日であった。
2.知識 20%
主にアルバイトの経験から、こういう間違いはよくある、と知っているものがある。これも例を挙げてみよう。
・僕は子どもが好きだ。なので教師の仕事だ。
・話した事を分かってもらえたかな…。
まず1つ目は「なので」の使い方。句点を打った次の文頭から「なので」とは使えない。何らかの文につなげて「~なので、」とするのが正しい。添削でもよく赤ペンを入れていた。
2つ目は主語述語のズレである。これもよく見かける。後半の文章に主語を補うと「なので、(僕は)教師の仕事だ。」となる。主語述語をセットで抜き出すと、「僕は仕事だ。」である。僕は仕事か?そんなことはない。こういった主語述語のズレは長い文章になればなるほど起こりやすい。自作品でも読み返しの際に注意して見るようにしている。
以上を踏まえて修正すると、「僕は子どもが好きなので、教師の仕事をしている。」くらいにしておくのが自然である。
3つ目。よくある三点リーダー問題と事こと問題である。ここまでくると、小説的には、より自然にするなら、くらいの話になる。一般的に三点リーダーは「……」と2つセットで使うことになっている。私もツイートやチャットでは「…」と1つだけで使うことがままあるし、果たしてマダミスにそこまでの正確性を求めるべきかという議論になってくる。正直分からない。どちらでもいいのかもしれない。事ことも同様で、事を漢字表記するのは、それ自体に意味があるとき、事件といったようなニュアンスを持つときである。話したこと=話した事件ではないので、ひらがな表記の方が自然であるようなという話だ。まあこれも正直分からない。日本語が漢字とひらがなとカタカナを使う言語であるのが諸悪の根源。全く困ったものだ。
3.マダミスならではの校正 20%
記憶力がいい、と最初に書いた。小学生のころ、国語の教科書の音読の宿題が、途中から暗読(そんな言葉はない)になっていたくらいには記憶力がいい。母の話によると、宿題となっている物語の初めから終わりまで一字一句違わずに暗唱していたらしい。そうつまり、細かい言い回しまで暗記が可能ということである。
例えば、PC1とPC5が会話をする場面があるとする。PC1のハンドアウトから順に読んでいき、PC5のハンドアウトに来たところで、PC1のハンドアウトで見たセリフと少し言い回しが違う、なんてことを言い当てられる。作品特有の固有名詞について、オープニングでは「・」が入っていたけれどPC4のハンドアウトでは「・」が抜けているだとか、半角だったものが全角に変わっているだとか、そのあたりも割と記憶を活用できた。
自分の得意とすることが、マダミスならではの校正に役立つという発見ができ、有意義であった。
まとめ
初めての体験は往々にして、自分自身を新しい視点から見る機会とさらなる自己理解のきっかけを与えてくれる。今回の校正の経験は、今後の創作活動のための新たな知見を得られる機会となったように思う。これからも流れに身を任せつつ、興味深い案件に出会っていけたらと思う。
おわり