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マダミスと国語っぽいおはなし

真面目な記事はあまり書きたくないので「国語っぽい」と少し逃げましたが、いわゆる国語文法的なおはなしを書こうかなという記事です。

マダミスアプリ(と言ったらほぼ一つに絞られてしまいそうですが……)関連のサーバーでの雑談でシナリオ審査における文法の話が出たので、何となく思い立ちまして。

趣味で15年くらい物書きをしている中で知ったことや使っていることを書いてみるだけです。「※諸説あり」くらいの気持ちでご覧ください。



いきなり偉そうに話をするのは本意でありませんし、サーバー内で挙げられていた3つをお借りして、まずそれらから始めましょう。


1.「」内の句点

×「最後の句点は書かないらしいよ。」
○「こんな風にね」

小学生のとき、作文では
。」
を同じマスに入れて書くルールを習った気がしますが、普段の文章ではカギカッコを閉じる直前の句点は不要なようです。


2.?や!の後ろの処理

△  こんな感じで!詰めて?書くより
○  どう? こうやって! 全角スペースや半角スペースを開ける方が見やすいみたいだね

横書きの場合の見やすさに関わる話ですね。JAGAT(日本印刷技術協会)には、文の区切れとして感嘆符を使う場合、後ろを全角アキとすると書かれていました。規定というよりは慣用と見受けられたので、一つの作品内でバラバラでなければよいのではないかと思います。

また、逆に、文の区切れではない感嘆符の場合は、スペースを開けなくてもよいと思います。


3.三点リーダー

× とりあえず…
○ 2つセットで……使えばいい

という話が出ていました。偶数個になるようにと言い換えることもできますね。


もう少し細かい使い方は勝手に書いてみますが、例えば

「文末に置いたり……」

「……先頭に置いたり」

「間に……置いたり」

「こう……。句点で切ってみたり」

このような感じで使うと良いのではないかと思います。三点リーダーの仲間的なものとして、―(ダッシュと打つと変換される)もよく使います。ほぼ同じですが、4番で詳しく話します。


4.ダッシュ

ダッシュも2つセットで使います。

――このように文頭に置いたり

文末に置いて余韻を出したり――

説明――このような挿入――を入れたり

といった使い方ができるかと思います。3つ目のような場合は(丸括弧)でもいいのですが、何となくカッコいいので、ダッシュに登場してもらいがちです。


5.なので・なのに

△ こういう書き方はよく見かける。なのに――
○ 本当はこのように書くのが正解なので、一応取り上げてみた。

「なので」「なのに」は、「~なので」「~なのに」と使うのが正しいとされています。句点を打ち、文を切った次を「なので」「なのに」から始めるのは文法的には間違いです。

代わりとしては

・そのため
・だから
・したがって

・それなのに
・しかしながら

などが挙げられるかと思います。でも、難しいところですよね。よく見かけるということは、それがまかり通りつつあるわけで、違和感を持たない人の方が多いのかもしれませんから……。


6.たり

× またこういう微妙なラインを挙げたりしていますが
○ 繰り返したり、連続させたりするのが正しい使い方なので

上の例が全てですが、「たり」は1回しか出てこないのなら使えないという話です。「Aたり、Bたり」が正しい使い方になります。ただ、これも5と同じで、ひとりぼっちの「たり」は非常によく見かけます。文法を知って気にしているほうが損な気もしてきますね。


7.れる・られる

× どっちが正しいかなんて考えれませんよね
○ 何となくで決められなくても問題ないと思われます

巷でもよく言われる〈ら抜き言葉〉に関わる話です。「考えれる・考えれない」は間違いで、「決められる・決められない」「思われる・思われない」は正しい表現です。「思われる・思われない」には〈ら〉が入っていませんから、何でもかんでも〈ら〉を抜かないでおけば正解というわけではないのです。このあたりがややこしくなっているのは、口語(話し言葉)のせいだと私は思います。「時間に起きれなかった」とか「去年まで着れたのに」とか、口語では普通に〈ら抜き言葉〉を使いますからね。ただ、文語としては間違えたまま載せたくありません。よく使うものだけ覚えておく、自信がないときは検索するなどが誤用回避手段になるでしょう。

と、一般的な対策を書き置き、少し暴走しましょうか。私はいつも国語文法で考えています。義務教育課程で習う国語文法では、五段活用・サ行変格活用の動詞には「れる」をつけ、上一段活用・下一段活用・カ行変格活用の動詞には「られる」をつける、と説明されています。上の例で言うと、「考える」と「決める」は下一段活用なので「られる」が正しく、「思う」は五段活用なので「れる」が正しいと考えられるのです。それぞれの動詞が何活用になるかは、ないをつけてみると見分けられ……って、もういいですかね。マダミス制作中に国語文法を唱えるのはシュールで悪くないですよ、とだけ書いておき、次に行きましょうか。


8.主語述語・繋がり

――この例文のおかしなところは、文が長くなればなるほど気付きにくくなるが、主語と述語が破綻している。

普段から非常に気を付けて書いているので、あえて間違えて書こうとすると難しいが、上の例文では主語と述語の繋がりを破綻させてある。間に言葉が入ると分かりにくいので、主語(主部)と述語(述部)だけを抜き出してみる。

主部:おかしなところは
述部:破綻している

ここでの破綻とは、簡単に言うと「抜き出して繋げて読んでみたときに違和感がある」といった感じである。この例では、「おかしなところは」と名詞的に始めているのに「破綻している」と動詞的に終わっているからズレを感じるのである。

主部:おかしなところは
述部:破綻しているところである

と変えてみると繋がりが良くなる。「ところ」の重複を避けたいなら、

主部:おかしなところは
述部:主語と述語の破綻である

とすれば解決。他のパターンも例文にしてみよう。

――主語と述語の繋がりや文字に起こしながら、例文になっているか考える。

これは受ける動詞がうやむやになっているパターンである。
この例文では、「起こしながら」に「主語と述語の繋がり」と「文字」の両方がかかる構造になっているが、「主語と述語の繋がりに起こしながら」は正しく繋がっていない。「や」や「と」などで単語を繋ぐときにはそのあとに来る動詞がちゃんと全ての単語を受けられるかを考えておく必要がある。上の例文をより自然に直してみるなら

――主語と述語の繋がりを見て、文字に起こしながら

――主語と述語の繋がりや文字を確認しながら

といった感じになるだろう。間に動詞を挟むパターン、後ろの動詞を工夫するパターンなどが修正の方法として挙げられる。と、解説チックに話しているものの、自分の作品内にこういった齟齬が絶対にないと言い切れるわけではない。書いた本人は脳内でその文章が示す状況を補って読んでしまいがちなので、気付かないときは全然気付かない。時間をおいて読み返す、くらいしか今のところ有効な対処法がないのである。


9.文体

さて、気が付いていたでしょうか、8で文体が変わっていたことに。1~7までは敬体(ですます調)で書いていましたが、8では常体(だである調)を使っています。書き進める際に時間が空くことも多いと思われるマダミス制作では、こういった文体の揺れが起こりやすいのではないでしょうか。これも8と同じく、後から確認するのがベストだと今のところは思っています。


10.統一

9では特に文体を取り上げましたが、その他のこともシナリオ内で統一するのがより自然であると考えています。例えば、カタカナの半角全角、時刻の表記の仕方、見出しの強調方法などです。これらも制作途中では注意が回り切らないかもしれないので、最後にまとめて確認することが多いです。


そろそろ授業みたいになってきてそうで困りますね。ただの国語っぽいおはなしですから、ご承知おきを。書き方は人それぞれ、諸説ありです。納得できない、好みでない部分は読み飛ばしてくださいね。


11. 漢字

紙の国語辞典や広辞苑を引いて調べていますと言えたら雰囲気は出るでしょうが、残念ながらどちらも使っていません。ググる一択です。「ググる」に辿り着くための個人的なポイントは疑いと違和感です。自分の当たり前を疑ったり、違和感に気付いたりすることで調べて確認するフェーズに移行できます。

空く・開く
早い・速い
暑い・熱い
捉える・捕らえる
保証・保障・補償
同士・同志

などなど、怪しい同訓同音異字は確認推奨だと思います。単純に変換ミスも起こりやすいでしょうし。

その他の漢字を確認する方法としては、熟語の利用や英語への変換などがあります。

空く→空白
開く→開放

早い→early
速い→fast

のような把握の仕方ですね。


さらにおまけとして、漢字をひらく工夫についても書いてみましょう。例えば

更に僕は窓の側で煙草を取り出そうとした時に昔何度も読んでいた絵本の事を思い出した。

みたいな一文があったとします。読めないわけではありませんが、少し漢字が多く堅い印象を与えている気がします。漢字のひらき方としては「ひらがな」にする、「カタカナ」にする、があります。日本語は3つも文字種があり面倒な言語ですが、その分だけ融通の利く言語であるとも思っています。開くも閉じるも自由、バランスを見て決めることができます。上の文を多少ひらいてみると、

さらに僕は窓のそばでタバコを取り出そうとしたときに、むかし何度も読んでいた絵本のことを思い出した。

のようにできるでしょう。「とき」や「こと」はひらがなにする場合が多く、カタカナ表記でも不自然ではない言葉にはカタカナ役を担ってもらいがちです。「昔」も絶妙に邪魔な位置に来ることが多いので、よくひらがなになってもらいます。ひらくと不自然な漢字がどうしても続く場合は、語順を入れ替えたり言葉ごと変えたりもします。

彼はその会社で数年間営業担当兼事務員として働いている。

少々ふざけ気味なのはさておきまして、この例文において「数年間」と「営業担当兼事務員」はどちらもひらがなだと不自然です。こういう場合は文意を変えずに言葉や順番を工夫します。例えば

彼は数年間、その会社で営業と事務を兼任している。

のような感じです。楽しい作業だと思いませんか? 日本語は本当におもしろいですね。


12.頭痛が痛い

・犯罪を犯す
・多額のお金を借金する

などなど、重言と呼ばれる表現があります。こういう表記を見ると、頭痛が痛くなって……おっと失礼、頭が痛くなってくる気がします。これっていいんだっけ? と気になった際は、表現そのままGoogle先生につっこめば、どこかの有識者さんの説明が降ってきます。全然有識者ではありませんが、私なりの理解としては、
・辞書で調べたときに〈~動詞こと〉と表記されている名詞に、その動詞を重ねると重言になる
・辞書での説明に含まれる名詞を重ねていると重言になる
です。

頭痛(頭が痛いこと)が痛い
犯罪(罪を犯すこと)を犯す
お金を借金(金銭を借りること)する

それぞれ、頭が痛い、罪を犯す、借金をする、に言い換えることができます。漢字が重なっていて見た目が美しくない上に、使い方も正しくないケースであれば、修正しておくのが無難です。

それとは別に、見た目は美しくないが使い方に問題がない場合も存在すると思うのです。例えば

違和感を感じる
高橋が橋を渡る
男は「こんな物語を知っているか?」と語り始めた
話題の新商品について話す

のような表現はどうでしょうか。一方通行の記事で、どうでしょうか、と問われても困ると思いますが。重言とは違い、ただのこだわり全開な部分であるため、流し読むか、もう少しお付き合いくださるかは自由にどうぞ。

高橋には何の罪もないので、橋を渡っていただいて全く問題ないのですが、可能なら橋橋感を拭いたくなります。カギかっこ内の「物語」と地の文の「語り」に、文法的な誤りはありませんが、語重なりを何とかしたくなります。話題と話すについても、たまたま使用する漢字が同じだっただけで、問題はないのですが、もう少し距離を離して配置したくなります。「違和感を感じる」に関しては、人によって意見が分かれそうですが、個人的には偶然の漢字の重複と捉えています。「違和を感じること」を感じる、といった重なり方ではないからです。とは言え、橋橋と同じく、避けたい表現ではあるので、違和感をおぼえる、違和感に気付くなどが代替案ですね。

個人的好みまで脱線してしまいましたが、要は、同じ漢字が近距離で続いたら何か間違ってるかも? ってことです。ググりましょう。


13. 視点

多くのマダミスでは、全員で見る部分(オープニングやエンディング)と個人で見る部分(ハンドアウト)があるでしょう。書き方としては、前者が第三者(三人称)視点、後者が当事者(一人称)視点になると思います。

例えば、アカネ(女)・アオ(男)・シロ(男)の3人のキャラクターがいたとします。

「あなたが悪いのよ」

アカネはアオを指差しながら話し始めた。目を逸らすアオに対し、アカネが距離を詰める。シロはバツが悪そうに二人の様子を見つめている。

このように書くのが第三者視点で

「あなたが悪いのよ」

私はアオを指差しながら口を開いた。アオが目を逸らすのを見て、私はそちらに何歩か詰め寄る。シロは気まずそうに私たちを見つめてくる。

「あなたが悪いのよ」

俺を指差しながらのアカネの言葉に、つい目を逸らす。アカネが俺の方に詰め寄ってくるのが分かった。シロはこちらの様子をうかがっているようだ。

「あなたが悪いのよ」

アオを指差しながら、アカネがそう切り出した。アオが目を逸らし、アカネはさらに詰め寄っていく。僕は気まずさを感じながら二人の様子を見ていた。

以上のように書くのが当事者視点です。ちょっと大げさというか、くどめに書きましたが。

まず一つは、視点を混ぜないことでしょうか。第三者視点では、アカネでもアオでもシロでもなく俯瞰する誰かとして書いています。3人の立ち位置はこんな感じでしょう。

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逆にアカネ視点では「アカネ」という言葉は登場させずに書いています。アカネの目から見えているものが自分の視界と思って書きます。アオ視点、シロ視点でも同様です。

分かりやすいのは「くる」「いく」「そうに」「〜を感じ」あたりでしょうか。アオ視点ではアカネが詰め寄ってくる、シロ視点では詰め寄っていく、アカネ視点では気まずそうにしているシロ、シロ視点では気まずさを感じている自分となっています。誰がどこでどのような動作をしていて、今書いている視点からはどう見えるのかを意識しておくと、ブレずに進められると思います。


……と書いておきながらですね、ややこしい話をすると怒られそうですが、三人称での書き方と一人称での書き方を混ぜたような技法も存在します。私・俺・僕のような言葉は使わないものの、心理描写や視点をあるキャラに寄せるような書き方です。私の中では撮影カメラの位置が動くようなイメージです。シーンの切り替え(広めに改行したり線を入れたり)をして、順にそれぞれのキャラに立ち寄りながら書いていくこともあります。正式なものかは知りませんが、名称としては一元視点型と多元視点型です。11の最初に示したようなものは完全客観型と呼ぶそうです。さぁ今から多元視点型で書くぞ、みたいな意識でやっているわけではありませんから呼び方なんてどうでもいいのですけれどね。


もう一つ意識しているとしたら、それは主観のものと固定のものの区別です。ここで言う主観は、そのキャラ視点での見え方です。主観は事実と異なっていても良いと考えています。だって、そのキャラ的にはそう見えちゃったのですから。例えば、行動主はしゃがんだだけのつもりだったが、あるキャラ視点からは何かを拾っているように見えた、と書くことが可能です。固定は言い換えるなら事実でしょうか。上の例文では、セリフの内容、その発言をしたキャラ、視線などは固定として書いています。

いやぁ楽しいですね。実際に文章を書くフェーズは本当に楽しいです。例文の数行だけでもう楽しくなってしまいました。


14. 文末の処理

マーダーミステリーのハンドアウトでは、過去の行動や記憶が中心であるため、「~た。」で終わる文が多くなります。あまりケアせずに書くと

昨日、お父さんと遊園地に行った。たくさんの人が来ていた。まずメリーゴーランドに向かった。私はカボチャの馬車に乗った。お父さんは外から写真を撮ってくれた。ジェットコースターは待ち時間が120分と長くて乗れなかった。最後は観覧車に乗った。てっぺんから見えた夜景が綺麗だった。

こんな感じになります。文法的には何ら問題ありませんが、そこはかとない絵日記感が残ります。例文の題材が悪い? それもそうですがね。

「~た。」で終わらない文を挟み、絵日記感を消すと

昨日、私は、父と遊園地にいた。休日だったからか、たくさんの人が来ており、入場がなかなか進まなかったのを覚えている。まず最初に、メリーゴーランドへ向かった。父は外で写真係。私はカボチャの馬車の中から父に手を振ったり、ポーズを決めたりした。続いてジェットコースターに向かったが、そこにあったのは120分待ちの表示である。今回は諦めることになり、観覧車へ移動した。ゆっくりと上昇するゴンドラの中、父と二人だけの空間で話をした。てっぺんから見えた夜景の美しさが、しんと胸に残っている。

こんな感じになりました。
文末の工夫やリズムの調整は、臨場感アップにつながると考えています。そのキャラの体験として掴みやすい、視界を重ねやすい、といった表現になるでしょうか。

個人的な感想ですが、「~した。~だった。~た。」が続くと、映像が途切れる感覚になり、俯瞰や客観視に寄っていく印象を受けます。好みの問題もあると思います。




また、ネタを見つけたら15以降の見出しで書き足そうと思います。ここまで読んでくださりありがとうございました。少しでも参考になりましたら幸いです。

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