![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171856900/rectangle_large_type_2_b3d20cd1ddee7bd612b60c00c3ff807a.png?width=1200)
Photo by
gentle_hippo9054
最小公倍数
水田地帯の一本道。
見通しはめちゃくちゃ良い。
横断歩道に押しボタン信号。
あたりはシンと静まっていて車の影も音も気配すらない。
それでも小学校では「押しボタン信号を押して青になってから歩いて渡りましょう」と強要する。
万一、時速300キロの電気自動車が音もなく走ってきたら。
そういうことを想定しているわけだ。
押しボタンを押して青になったら渡ったほうが”より”安全。
でも、まず間違いなくボタンを押さず、青になるのを待たず、
走って渡ったほうが早い。
安全の最大公約数
世の中で起きることは千差万別、ケースバイケース。
それに対処するために脳みそがあるはず。
それらに対応するための能力のほうが人間にとっては必要なはず
なのに、「考えるな! 言われたとおりにやれ!」と教育するのは
どうなんだろうな。
私は自分の子どもたちに
「安全に渡れると判断したら渡れ。そのかわり事故にあったら、自分も痛いし車の人にも迷惑がかかる。それは自分の責任」
と育てた。
普段なら安全に渡れるタイミングだとしても
足を捻挫して走れないときもあるだろう。
そういう個別の条件をすべて合わせて
結果を推量できるのは自分だけなはず。
もしかして、子どもが事故にあったとき
「『押しボタンを押して青になるのを待って歩いて渡りましょう』という
指導に背いたから事故にあったんです」
と言いたいのだろうか。