日記のようでそうでないもの #7
2018.11.21(wed)
インターネットやSNSがなかった頃の人々のコミュニケーションツールを考えてみた。
手紙、電話、電報、無線、モールス信号や、手旗、伝書鳩も?
遥か昔は、何ヶ月もかかって手紙のやり取りをしたこともあったに違いない。
受け取った時に、差出人がもう既にこの世に居ないかもしれない場合もあっただろう。
電気や光の信号を使うことによって遥か遠く離れた人の元に、自分の伝えたい情報が、時差が無く届くようになった。
これはすごいことだ。
いまや地球と地球外との双方向の迅速な情報伝達の手段までもがある。
だが、まだ世界から、手紙は無くならない。
私個人的には、文字を書く機会すら遥かに減ってしまった。
誰かに手紙を書くことも、年に数回あるか無いかである。
こうして、日記のような文を書くことも指先でタッチパネルを操作しているだけて、文字を綴っているわけでは無い。
もし実際に日記帳に書くとしたら、簡単な漢字すら思い出せず、筆が止まることが度々あるだろう。
誰かに想いを届ける為の手段としてのテクノロジーは日に日に発展しているのに、
文字を書く、という人間の原始的レベルの情報伝達能力はどんどん退化していく、そんな矛盾を感じてしまった。
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