日記のようでそうでないもの #11
2018.12.04(tue)
ニュースでは全国的に、季節外れの暖かさ、というか暑さ、といったほうが正しそうな陽気であった今日であるが、noteも投稿無沙汰のまま、いつのまにか師走を迎えている。
何事も続ければ偉い、と一概にいえるわけではないかもしれないが、継続は力なり、何かを成し遂げたり、習得する為には一定期間、それなりの持続力は必要であろう。
思えば、飽き症で、長続きせず、熱しやすく冷めやすい性分は、幼少期の頃からである。
決して強制される訳でもなく自分から好きで始めたことも、一定の期間続けると、それが上達や習得にポジティブに影響したとしても、徐々につまらなくなったり、続ける意欲が失せていくのである。
大人になってもその性格は変わっていない。
そのことだけで、自分を否定する必要は無いのだと思うようにしていきたいのだが、何かひとつのことを継続することを研鑽や精進、探求と捉えると、それが出来ている人と比較してしまい、途方も無く劣等感を抱えてしまうのである。
性格はなかなか変えられない、とよくいうが、人間の性格は幼少期から自覚有る無しに関わらず、度々大きく変わっている、という検証に基づく記事を昔見たことがある。
私のこの飽き性は死ぬまでに変わることはあるのだろうか。
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