平和への寓意

 
寧ろ遅過ぎたる死なる薬品の壜ゆ硝酸銀泛ぶ汝 憲兵

薔薇屑へ脆き襟紙の咽輪剥ぎ捨てり。窒息のむらさきなすガーゼ 

絹の覆布蜘蛛の網目に囲まれて蘇りさへも死なり 民よ 

傷痍軍人に欠けたる肩 兵舎ありて菊花へ蜂入りき犇き 

議会院議員の絞首 菊章黒く胸板より吊られをりき

政治家諸君 ひざまづけり宰主へ愛に溢るる蜜の河別つとも 贄 

議会つどへる死者を揃へ壁の競鳩場円筒建築廻れり

苦き蓮根の穴ゆ滲む闇覗き見つ裏窓にてひとり犯罪せり

クロゼットゆ悲劇・喜劇のあらはるること俳優は語りき 愛とは

闘争の麗しき不在閣下へ糾弾の銃創貫通す 国家など
  
  
苦艾に濡つ死の雨へからつぽの竈を洗ふうち盈てる闇を

総統は薔薇を画きき国民党の掲ぐるやすき民族なる璽に

羽蟻躊躇はず押し潰す指へ収容所看守のこころもて霜 

田舎風絵葉書画家 ノイシュバン・シュタイン城の尖塔へ旗

総裁へ献ず咽健やかなる猟犬の黒毛の細かりきを、

政争の街四分五裂に整ひうつくしき区画へ暗殺のごと車は

日章の襞垂れつつを市庁室へそらおそろしき闇ある

議士ら一日のみ看板へ晒さるる肖像にほほゑみあざとく

肖像、されこうべの並びき寫眞ただちに水腐りき河へ

誰が闘争 日面の薔薇と日陰の木賊へ水屍栞とならむ
  
  
選るために饒舌の議士蟻群に宣ぶる健やかなれわが奴隷

黄蟻密集す市庁まへに一輪の百合傾きぬたれしも虜囚

自称百合夫人は寒村区へ 札遊びに卓挟み区長、青年群憎しみ

深き渠へ足とられ敵味方距てりおそろしくつたなき青年 睨めて  

旅客機へ脚触れあへりなかぞらへ浮かびき椅子犇きて底は 死

日航機墜落ゆ黙祷の眸かさなりきあらたしき 半旗堪る日

戦歿のいづく消ぬ霙そぼふる鎮魂碑昏きよりくらきは赤光

蟻悉く潰しぬ指示に從はば薄きパラフィン紙へ指紋なす 脂

咲き盈てる塩の花浮かべて鏖殺の巣の穴へ入るべし 蟻は 

人間動物園へと俘虜ありし 羽蟻へも塚築かむ、翅翅、なきがらの累衣
  
  
とどかざる彼奴の死をゑみ送るべし精霊會に亜麻油の炎がたちすぎる

橄欖、かんらんはいづくとや 鳩騙しの絵鏡絵の格子柵

白檀の棺白百合ことごとくを斬つて捨つべし黒蟻兵士

黒人の哀しきあなうらならびゐて釘受けき降架図に背く、祝ひ

奴隷徴用吏しろき繊維の毛の羊もとめり。後髪へ鬱蒼たり森

水葬礼遁るる樂人にリュートの胴うつろなり枇杷熟る枯野の色

西洋版画展眞向ひに銀行の立つ 金庫番職員の鍵しらず

聖トマスの犯罪或いには西日差す受胎告知図の有翼‐戸

三面鏡胸から上を吸はれをりいもうとのしらかみ、曼荼羅華

現実の許にも亡母の黒き遺髪延びつる櫛箱は ふるるな
  
  
皇帝病みしはぶきき銀婚の午餐室開かれてをり、解散へ

太平樂も過ぎつつありぬ 貴族院議員の煙る海芋は

議事堂ゆ出入せる花輪運びをりきは園丁か蜜蜂の脚か 

恩寵の御苑へ育つは薔薇、菊、桐苗 きはめて清からむ。謀りき

裏切者のみ逃れざりし殉教画に車裂きのをとめ見、誓約す

戦時内閣発起 市民は鐡の骨組みき棺ともなりたる円天井へ

亡命成らず 出征祝の車乗りき死にき石榑となりき たれか

空母の胎ひきあげられて黒死病の町に吊りぬ船員百數名

水兵の屍総て折れし旗にもつれ、澪標へぬるき日晒

平和とは 砂時計括れて積りぬ砂の音絶ゆるまできのふ
  
  


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