明治皇帝盛衰記:一,
皇帝こころみき罪を百年の秘密もて贖へり家督図
開廷へ鐘は鳴る靖国地獄より召集されし民、臣、軍、帝
雄鶏は三度鳴けるも聖帝の否認さる橄欖園の臣下へ
キデロンを越えしとか 膏浮かべて偽基督の從徒十余人
裁かるる爲には裁け 靑桃の園つのぐめるをちぎり黑衣は
聖約翰教会。複製画のなかのふたごへ熟るる瓜しらじらと
焼落ちし旧伽藍より西へ千万の軍のかばね埋めてたつ塚
戦争の起源を問へば 祀ろふはすめろぎの辺に下に きみ
誰が歴史を決する 殖民宗主ならむとし殖民國家打ち建てし たれか
審問の始り か細き批難やがては飛び交へり 天皇に
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武甕槌尊は醜男なりしか ゆづられて棺大工が打込む鎹
朝日さす豊浦伽藍堂焼き討ち佛頭ふたたびも毀釈さる
英才齢五つにして曰 雁群月亙りみづかがみへ発つなり
紫宸殿譲國図ふるきかみ衰へあらたしき大君へ項垂れき
汝軍神 すめらみことと皇帝の違ひ危ふし行幸 落雹
凱旋。埃及をしりへにし軍、勝鬨治めり薔薇、菊花大鉢差
戴冠式の画へ祝はれて基督は懸架さるべき黒き棘冠
大嘗會祭。神祇並めてを祝りき暁の御儀飛び入る虎鶫
天皇の騎行 洋式ヴァージナルへ扁桃蔓花唐草紋の蓋
太陰暦ほろびて日嗣の大君に耀ふ新暦鬱蒼たる群鴉
断髪式終へてすずしき項より理髪店椅子冷ややかに 民
軍装の帝帯剣す洋刀の鞘、柄へ御手組みて頬、死の影
旗艦「龍驤」伊勢参礼図 騎乗せる皇帝御鏡に写らずは
産業博覧会。洋傘の骨たたまれて聞こゆは勅語 訥弁
西方見聞録へわきたてる国民 白峯陵までに絶ゆ行幸は
近衛兵3000名ほどつれだちて抜剣す皇帝陛下引きかへし
習志野陸軍操練場。夜の天幕へ来りききぬ「陛下如何」
明日 平野にて皇帝陛下落馬せし折に宣へり「痛い」
プロイセン教育機関摸倣三等学制に建ちしまなびや
大広間会談之図 艦艇ゆ降立ちきアレクセイ、帝昏きへ
「土地ニ生レシ人々ハ赤子の如ク」琉球國呑みつくしぬおほきみ
征韓論諌めてひとり友降しき失墜の皇帝 第一子の薨去
旧江戸城。皇居失火し天井梁柱くづれき近衛兵離散す
赤坂仮御所「朕惟フニ租税ハ國ノ」土地なりきゆゑに納む税、民は
ジェノヴァ公爵洋装午餐會へ皿しろき麺麭ぬぐふ油膜を
台湾出兵のいざこざに膺懲とありし。軍艦四隻千人派兵
蛮族の一人撃つて慶ばしき国家とは野蛮のほかならず
「徳川邸行幸」へ玉璽がごとく櫻万朶の死を散りばめき
梅宮薫子内親王早逝すみどりごへかなしみのゆびにぎりしむ
詔 元老院は立法なれ大審院は司法なれ、樹立の半ば
「雲揚」被弾すに日本兵死者一人朝鮮兵死者三十五人 防衛とは何なる
晴雨計一個贈られある時を宗主の貌つきす醜き日本人
サンクト・ペテルブルク「冬宮殿」設計図天覧に入る冬霰
秋月にみだれ荻附く攘夷とはたが者のために戦はざるか
京都御所行幸図 降されき朋の反乱を聞きしに治めよとこゑ
正倉院「蘭奢待」二寸をふたつ折りにかたへを戴香す、塵へ帰りき
西南役熊本籠城図ゆ追儺 旧友遂には賊将とし果てしとか
臣下へと宣ぶる薩摩潟沈みゐるちがひのゆくすゑとは斯く在りぬ
陛下の脚気医者嫌ひなる叔母死して國営病院など建てそめき
上野縮小博覧會機械館出づる皇帝へ降りき「産業の革命」のこゑ
大久保卿斬殺事件つだつだに裂かれたる装飾花の額咲き
皇帝政治へ飲み込まれゆき庶人民の公議を汲む杯へみづ
嫡母は能へ。碓氷峠行幸図にぬかるめる途歩くみちづれの伴
琉球絶ゑき「二帝に仕ふは姦婦に等し」尚泰王穢されて
小御所代にて。フリードリヒ三世第二皇子ハインリヒへ大綬章贈呈さる
西洋王侯たてつづけに来日し菊花勲章附けては帰る
米将軍来日し二箇月こはばりき握手の後に帰国す、些かかの齟齬
印象 皇室画に勲章佩章し胸ととのへる皇帝へ逼る翳
逢坂山隧道抜けて客車へと皇帝行幸す閲兵の後
春秋園遊會諸候貴賓に賑へり日面の菊日陰の櫻花