艾の聖別
うかららが薄き葡萄酒われひとり水杯へ振る乾燥艾
聖隷は婢女たる母崇めをりし下水溝には上澄み湛へ
マリアの画に腕逞しく引き離す嬰児憎しみて愛す
靑桃の實卓上に熟れゆきて懺悔室より洩るるこゑ 闇
光の淡彩画へ掛かる十字の画架にくらくかはける松脂の肌
木材店ひきはがされき樹皮に白き木きりきざみて積みぬ
木酢臭ふ青年大工ふるき樫の箪笥へ斧当てしのちは森へ
ゲオルギウス吊り下がる森の闇へ鏡絵のなかのまがしき蛇は
蛇色に滑りて古典劇の椅子並べり 刺し違ふ短剣のごと観葉
老エディプスへ若輩の倅子あらず足許へ断ち切らるくちなは
血の森へ乾ける響き老婦人長けふ夏鳥へよみがへりしとか
抜歯痕鈍く疼ける夜夜をぬるみ蛇口より雲母零るみづ
死者は貌を洗面臺に写す 暗渠へつながれる排水溝の口
白薔薇牛乳色に汚れある花鉢ゆ散り散りす濃きみどりの細頸
漁夫は魚の血にあざやけき氷室へ四葉若葉を閉じ込めをりし
窓あらざる四方へ壁天井までそびゆ塔へいただきなす鐘突出でて
東京塔展望室。ミニアチュールの市街区の箱なす塔の肩に落日
バッキンガム宮殿。箱庭に逞しき牝羊は戴冠せり収穫祭
五月祭の町にさまよへる希臘人は自動仕掛の時計を乞へり
貂の毛皮は縫ひ合はせらる仕立屋のミシン臺へと仰ぐ五弁花
鐡の寝台十字にへだてある通路奴隷船の底に蜿蜒として
酪乳壜へそそぐ蜂蜜約束とは誰が受けたる苦役のかへし
打たるるまへに打て 善き隣人は砂男読み聞かすをさなき甥に
望遠鏡型録開く塔のもと緋色の鶏卵へとはしる影
交響曲「運命」突如止む無電機ゆ冥府降れる青年こゑす
陽に炙られて時計臺の円天井、薄暮ゆかなむものら影を負ふ
洋傘の青年老ふるケロイドのごと刺繍の影を腕へ落して
晩年と思へ散らかり放題なる煮沸壜・沸騰石の白き結晶
戦災孤児院の窓へ守衛の上半身灼きつき黒き襤褸菊
神去りて霜月の懐妊産科医院へ反響検査の靑桃ひとつ
政變の噂下水道をながれ降灰す発電所につづきぬ
變電室より見ゆ死火山へ高圧線鐡塔の架け渡す電線
ぬるき湯注ぎ贅沢に老婆は迎ふスターリン歿後も七十年
暗殺の元・総理大臣へやすつぽき菊の造花捧げ歎く 偽花なり
暗室へ縺れをり投下後の市電ひと数多足ならべて死しき
仮釈放なる祖父達は英靈か出獄すへ与ふる洗礼名にありき昨日
なまぬるき茹卵剥く誕生日へくづれり粉噴く卵黄の目は
黙し馬鈴薯を食しぬ葱の収穫人靑きおもて告ぐ 一デナリ
新聞紙廃刊号よりそのさきに黒き檸檬を据ゆ、酸きほろび
緑党派躍進すひとごころの底へナツィズムの蘇り誰か死なしむ
終身奴隷一族の裔家族あり閉ぢられ昏き玄関の門
われ跨ぎ過ぎこし肋木の下へ瀕死の犬繋がれて舐むるは血
聖家族逃避行にわだかまるくちなはのごと護謨手袋に指
イエスの死癒ゆるなき一縷を纏ひ磨かれゆく青銅に四肢は
をとめは散弾のかけら摘むごとく扁桃の殻しろき實を別け
由縁こそを問はばいけにへのしらうを熱き茹水・聖別の杯
赤銅色の膚に軍神マルス鶏冠ある兜の胸像は一矢を受け
マルクスへ嗣子は緑の革表紙を著せたる純粋統計に 関
労働工死後無銘碑へ祀ろはず文明のきりぎしへ佇つべし
苦艾より立棺並ぶ繃帯へ油そそぎをみな 罪ありしとか