軍靴のひびき
辺境伯の近江へいたり駒若く白木綿花をかちわたる 見つ
旧鉱山跡へと黄鉄鉱の淡き色を孕みつる火夫へと緑衣
ルドルフ・バレンティノは眞昼白黑の映画靴履きつつ黙す
胃潰瘍に倒れき前髪へとワニス青年に壮年の渓間ふかく
欧州帰りに旅客雨中をあゆぶへも函館旅館霧らへり柳絮
銀梅の葉へ霜置くも睫長きをとめならずをとこならず
下野國寒川郡字凍蝶はあらざるか郵便脚夫
不躾にも美作郡へと三度葉書を活版印刷してしまつた
教授鞭打つ宝永元年の高千穂峰御鉢ふるへるいただきへ煙
遅れて届くは昭和二十年元旦なにいははれるもなき招集令
ぬはりとぞ薄絹の襯衣こもれるはクォーツ時計切断面図
灰泥の雨滴計かがふる給水塔は市街区域へまなこむけをり
一首とは断腸のよすがともおもふに秋海棠なかばはも日へ
落葉履む草壁に眞處女向かふへ草鞋のかたへにかすりつきず
霊妙なる歌女攀ぢれマイク・スタンドへ囁きき「いつかは」
をとこへしふたつにきつて方喰のくちさきよりまづ鵠となりぬ
絶妙と神妙の間に眉根よす修道院長へふる声ふとき
議会乱入事件へ市長、区長、村長ら相寄りて曰「そのかみは」
まつぶさにたどりたどれりはたと止む公会堂に懺悔せよ、こゑ
をかしからざる日ををかしともせる秋荻にてふてふの扇なす黄揚羽
雑念がひとつとしかぞふるに葛切いろに花水母の暈
しろたへのきぬぎぬののち一行「東下りせりかきつばた」
八橋みづゆく河の蜘蛛手なるへかけわたされたなびきぬ雲の井
乾飯などは見しとも下五句をかきくだし下しぬ燕子花
行き行きて宇津蔦楓おそろしく茂し山の辺にゆきあふはゆめ
比叡二十重にかさぬるがごと富嶽へ鹿のこまだらにてゆき
武蔵國下総境へ河いとどふかくなれがり舟守暮れり
おもふひとはありやなしやに都鳥とはばいみじう驚かれぬる
舟こぞりてむせび泣きせる袖にえも隠さざり水洟色の心太
伊勢物語西へ返らず業平の都落ちそののちの妻問ひ
壮行會期せずして已む軍装のなまやさしきをとこ残して
徴兵令へすなぼこりたつ看板に「逞シキ青少年ヲ求ム」
米櫃の底へ貝殻虫かつゑ死す一俵盗み得たりし 空笑す
軍需工場空地今空襲実験場しらとりならずみどりなす一機
特高そ迫る こととふ汝が家主はいかな國是を否といはむか
國體を謀るものらが蓼虫がごとく集きをりし旧議事堂
警官のみが保有せず自衛官はたれうつために 的へ蜂窩は
やすらかならざるときをやすらぎて日本赤十字血液銀行車
現実界虚実門噂話綱隣組目寡婦科夫人へあらざれよ、舌
鳴釜のひびきおぞまし。十二月八日わが国は先制攻撃に成功せり
新潟県柏崎市へ七基棺しろく覆はる第九十四元素
冥王星1930年天文学者乾板写真より発見す、ふたごぼし
ベツレヘムの星は八紘へ燈りゐてみどりごの頸へ乳臭ふ
原子炉心臓へと寄すマリア靑衣つつましき骸布なりき
聖母像画のなか呼ばふ苦艾の河へ土地なす石棺ありし
基督の復活 鉱毒なせる錫ふふみをりし杯そそぎて血
シオンの仔羊よりあふる供犠の葡萄なす色の血の河は
相貌のなきなきがらは燻りき原曝図なす地上をうづめ
ヴェネツィアのコンスタンティノーブルのほろびふたつの鍵もちて漁夫
終末をいはば十一時五十八分三十秒の時計 針ふれつつも