自分は運がいいだけなんだ
2年前くらいからよく思っていることがある。
「自分はただ運がいいだけだ。大学通ってても、別に勉強できるわけじゃないんだ。きっと仕事ができるわけでもないんだなー」。
自分は今までの人生、一生懸命努力してきた。そう思っていた。
たぶん、それは間違ってない気がする。それなりに努力はしたんだろう、きっと。
ふと疑問が浮かんだ。
「なんで努力できたんだろう?」
いろいろ考えた。たぶん答えはこんな感じだった。
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「努力したら報われると信じているから。」
「どうして努力したら報われると思った?」
「そういう環境のもとに生まれたから。」
「そういう環境って?」
「家族がお金を出してくれたり、応援したりしてくれる。友達が支えてくれる。子どものときから、ある程度なら好きなことしててよかった。それを許してくれる社会だった。」
次の疑問がやってきた。
「今の自分じゃない誰かに生まれていたら、同じように努力できた?」
「自分じゃない誰かってだれ?」
「たとえば、君がもってるそのスマートフォン、ノートパソコン、デジカメ。
コバルトって金属が使われている。
世界産出量の50%を、世界最貧国のひとつ、コンゴ民主共和国が占めている。
そのうち20%は手掘りで採掘されている。
その鉱山は危険だ。
いつ坑道が落盤するかわからない。
空気がわるくて窒息の危険もある。
事故が起きても遺体はがれきに埋もれたままだ。
そんなところで働いているこどもがいる。
君がその子どもだったとしたら、今の君と同じように努力できたか?
今の君と同じように勉強できたか?
今の君と同じように趣味を持てたか?
今の君と同じように夢を持てたか?」
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私は答えられなかった。
いや、あまりに答えがはっきりしすぎていた。
私たちは、自分が生まれてくる環境を選べない。違う宗教を信じていたかもしれない。違う性別だったかもしれない。違う容姿だったかもしれない。それらは違う社会的地位をもたらしたかもしれない。
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「妄想だっていうか?
それとも、悪いのはコンゴ民主共和国だけか?
その子どもたちにだって金払ってるから問題ないか?
でも考えてみ?
別に子どもに掘らせなくてよくないか?
おとなだってそうだ。
そんな危険な場所で作業させなきゃいいんじゃないか?
コンゴ民主共和国をそんな状況に追いやってるのはだれだ?
そのコバルトを使って便利なものいっぱい作ってる会社があるだろ?
そいつらはお咎めなしか?
それを買ってる君はお咎めなしか?
その会社に、原材料の調達先だったり、労働環境の見直しを求めるように声をあげたりできるんじゃない?
その高級な何かを買うためのお金で、君はすこしのゆたかさを手にしたかもしれない。
じゃあ、そのお金でだれかの命を救えた、とは考えられないか?
いま、君は池を通りかかったとしよう。
子どもが溺れているのを見た。
今すぐ助けなければ死んでしまう。
助けを呼ぶ暇はなさそうだ。
その高そうな靴を脱いでいる時間はない。
助ければきっと、もうその靴は使い物にならない。
おそらくみんな、その子どもを助けてくれるとおもう。
助けないやつがいたら、池の近くの監視カメラで特定して、ネットにさらして血祭りにあげるというお得意のやり方で断罪するか?
おっと、少し話がそれちまった。
じゃあ、目の前にいないってだけで、コンゴ民主共和国の子どもを助けない理由があるかな?
その少しのお金とか、別の何かで命が救われるのに?」
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私のゆたかさ、それをもたらした努力って、ただ運がよかっただけなのかもしれない。
「ゆたかさってなんだろう?」
これを考えるなら、まず。
「自分が他の誰かだったら」
を自分に聞いてみることからその答え探しがはじまるのかもしれない。
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本文中のコンゴ民主共和国のはなしは本当に起きていることです。
アムネスティ・インターナショナルのリーフレットを参考にしました。
また、池に子供が溺れていたら、という話は以下の本を参考にしました。