Mリーグにおける運の扱い

 最初に言っておくが、別に「運か実力か」という話をしたいわけではない。書き手のスタンスとしては「運も実力も」としておく。
 さらに、「特定選手の運がどうこう」という話をするわけでもない
 そういうことよりも少々抽象的に、Mリーグという麻雀対局番組において、「運」というファクターをどのように扱っているのか、という話を展開したいと思う。
 「番組において」であるから、これは麻雀そのものに相対している選手のみならず、実況や解説を含めた話になる。

観ていると、大体こんな感じ

 Mリーグをしばらく観ていると、「運」への言及パターンが何となく見えてくる。さらに選手と実況・解説でそのスタンスが違うことに気付いている人も多いのではないだろうか。
 選手側は、「勝ちは運で、負けは実力」というスタンスを取っているように見受けられる。これは試合後インタビューのコメントからそのような傾向が読み取れる。(チームや選手ごとに微妙にバラツキはあるものの、インタビュアーの「素晴らしいアガりでしたね!」という振りに対しての、選手側からの「いや、さすがにあれは誰でもアガれます」「爆運でした」という返しは当たり前のようにあるし、ほとんど座っているだけに等しかった4着インタビューであっても打牌選択の反省に言及していたりする)
 対して、実況・解説側は「勝ちは実力、負けは運」というスタンスであるように見受けられる。と言うか、実況・解説が「運」に類する言葉を発する機会が意外と少ない中で、使いどころと言えば「リーチ後の引き合いに負けた側」「どうしようもない状況でロン牌を掴んで放銃してしまった側」に立ったコメントとして、「ツキが無かった」と称するケースがほとんど。勝ちの要因や好配牌に対して「ツキ」を口にするケースはほぼ記憶にないレベルである。(まあ、ツモり合いの負けの要因を「ツキ」と称するということは、裏を返せば勝ちの要因も「ツキ」になるのだが、その向きでコメントされることは無い)

 このように、スタンスが全く対極であるように見える。
 はてさて、これを一体どのように捉えれば良いだろうか。

とりあえずは好意的に解釈してみよう

 初手からネガティブに解釈するのも良くないので、まずは好意的に解釈してみよう。と言っても、諸手を挙げてブラボーを唱えるのではなく、「それが成立する理由」を考えてみる、という意味での「好意的」だ。

 とは言うものの、「成立する理由」とした時点で答えは決まっていて、「番組的な事情」がトップレベルに来ることは間違いない。あるいは「麻雀対局番組におけるセオリー」であるかも知れない。いずれにせよ、一種のノウハウ的な事情から来るものだというのは確定として、ならばその中身の理由を想像してみよう。

 番組内で真逆のスタンスが混在しているというのは、一見すると一貫性を欠いている、と見ることも出来る。
 対局→インタビューという順序を経ることを考えると、対局中の実況・解説においては「勝ちの理由=実力」であるかのように述べていたにも関わらず、対局後の選手インタビューではあっさりと「勝ちの理由=運」と述べてしまう。
 これは視聴者側からすると不思議な光景であるが、敢えて二つのスタンスを見せている、という捉え方が出来る。何せ「運 or 実力」で捉えられがちな麻雀であるので、あまり片方のスタンスに寄らない、という方針で、選手側と実況・解説がそれぞれのスタンスに立ったコメントを心掛けているのかも知れない。

 もう一つ考えられるのは、単純に「ハッキリと運と言ってしまうと興ざめだから」と思っている可能性だ。
 まあ、ものすごく口さがなく言ってしまえば、何も知らない人が見れば、やっていることは「クジ引きのようなもの」である。
 しかし単なるクジ引きではなく、そこには様々な読みが働いてるんですよ、を説明するために実況・解説を置き、そこにドラマ性を持たせることで不特定多数へ向けた「番組」が成立する。
 「番組」として成立させたい側としては「クジ引き」の性質を可能な限り薄めたいという思惑があるだろうことは容易に想像できる。
 とは言え、選手側の正直な感想にまではフィルターをかけない、というあたりは麻雀プロの思考を尊重している、というバランスだろうか。

個人的な感想

 何となくの、説明できそうな背景を想像した上で、Mリーグとその周辺を眺めた感想を言わせてもらうと、

もうちょっと「運」と言ってしまっていいんじゃないか?

に尽きる。

 観ている側も、Mリーグについて語りたい側も、何より番組を構成する側も、眺めてると本当に出来る限り「運」と言いたくないのが、それはもうものすごく伝わってくるんですよ。
 逆に「運」と言いたい人は、とにかく全部を「運」ということにしたいというスタンスに立っているように見える。
 何と言うかどちらにしても、「運」というものの扱いに困ってる、ようにすら見えるんですよ。

 Mリーグだの麻雀だの言及したnoteを見てても、どちらかと言えば「楽しみたい」スタンスの意見においては、「運」は無いものとして(出来るだけ触れないように)持論を展開している様が見受けられて、ここまで来ると、もはや宗教の様相を呈しているなあ、と感じることが多々ある。
 まあ、このへんに関しては「そういうものという設定で」楽しんでいる向きもある中でのケースバイケースであろうから、深くは論じない。

 Mリーグの実況・解説ですごく気になるのは、素人目に見ても「これは何の選択もなくアガれてるでしょう」という展開(ドラ赤満載の一~二向聴の配牌から、明らかな不要牌を切るだけで聴牌→リーチ→程なくツモみたいなやつ)、所謂「誰でもアガれる」アガりに対して、「強い!」とか「これが麻雀!」といった、ひたすら持ち上げるようなことを言ってる場面で、いくら何でも少々やりすぎ感を覚えてしまう
 そこはもう「これはツイてますね」でいいんじゃないか?と。
 2022-23シーズンから、用語解説テロップが出るようになったわけで、初心者向けの配慮としては良いと思う(*1)が、よもや初心者が戸惑うポイントが用語だけと思ってやいまいか。
 麻雀特有の「運」の要素もまた、初心者の視聴者が戸惑うポイントに数えられると考える。

 ぶっちゃけた話、観ていてそれが、果たして運なのか技術なのかの区別が付きにくいのだ。

 これをカバーするのがまさに実況・解説及び選手インタビューであるわけだが、先に述べたように、Mリーグにおいてはそのスタンスが一貫していないわけです。
 結果として、初心者としてはそれをどのように捉えて良いかが判らない、という事態を引き起こしてしまう。
 これは「判断は視聴者にお任せします」の範疇からは少々逸脱している。信仰云々というのは、ある程度訓練された視聴者に委ねられるもので、初心者向けを意識するならば、ごくごく簡単な区別ぐらいは明言してもバチは当たらないのではと思う。

 一応、クギを刺しておくと、ここで「運も実力のうち」という言葉を安易に持ち出すのは無しね。この言葉は間違っても「これ言っときゃOKだろ」という万能の必殺技などではなく、特に勝負の場を表す上では「ちゃんと説明できなくてごめんなさい」の代わりに発する方便に過ぎないのです。
 双方が持てる技術を尽くして競い合った結果、ひとまずは白黒付いたものとしよう。しかしあまりにも実力が伯仲しすぎて、専門家の目を以てしても明暗を分けた決め手が見分けられなかったとする。その時さすがにそのまま「判りませんでした」ではカッコが付かないので、「いやあ、運も実力のうち、ということでしょうか」と、お茶を濁すため、に使うと便利な言葉なのだ。
 どちらかと言えば、実力オンリーでの競い合いを評する際に使うと効果抜群、という言葉なので、運要素の絡む場で使うには少々適性が低い言葉とも言える。
 むしろ、運要素の絡む場で使ってしまうと、実力の価値が良く判らなくなって(オカルトに片足突っ込むことになって)ややこしいことになってしまう。

 ちなみに私がMリーグを観始めたのは昨シーズン(2021-22シーズン)からなのだが、好感を持てたのは、現在はKADOKAWAサクラナイツに所属している渋川難波プロの解説で、たまにハッキリと「これは誰でもアガれますね」とコメントしていたことだった。
 これって結構珍しいと感じたし、素人目に見て「運だよなあ」に対して、解説者=プロの麻雀打ちの目から見ても「運だよなあ」というお墨付きが得られるわけで、一つの安心ポイントになるわけですよ。

 おそらく、先に述べた通りに「運と言ってしまうと興ざめ」という意見もあるかも知れない。
 が、同時に、「運と言わなさ過ぎるのも興ざめになる」という可能性も見逃してはならない。
 ましてそれが「運も実力も」という代物を扱っているのであれば尚更だろう。「運も実力も」でありながら、「運」は出来るだけ触れないようにする、というのは矛盾しているし、それは「触れられたくないポイント」を露呈することに繋がってしまう。
 さらにそれが「エンタメ」的側面を強く打ち出しているものであれば、「説得力」は超重要なファクターとなる。
 そして説得力とは、ただ単に(送り手に取って都合の良い)同じ主張を繰り返していれば醸成できるほど簡単なものではなく、時には「触れられたくないポイント」も認めて見せる、ことが有効な戦略になるケースが多々あるわけだ。(たまに世間を騒がせる「どこかの企業の何かの不祥事」における謝罪対応などを思い起こせば、この仕組みは理解できると思う)

 麻雀の放送対局自体、随分と長年続いているらしいので、ある程度のセオリーなんかが確立してるのだとは思う。その中においても、「運」に言及するというのは非常にデリケートな問題なんだろうなあ、というのも観ていて何となくは判るんですよ。
 麻雀プロ視点においてすら「これは運、これは技術」の明確な線引きを行うことが、そもそも難しいというのも判る。
 が、ここで言っているのは

そういう微妙なラインまで厳格に区別しろという話ではなく、「誰の目にも明らか」ぐらいは言っちゃって良いんじゃない?

という話。
 それこそ、「何切る?」問題として成立しないレベルの簡単手順だけでアガれました、みたいなのは「誰でもアガれます」と言い切っていいんじゃないの?
 ちなみに、これがまさに先に触れた「認めて見せる」に当たる。
 「素人目にはそう見えるけど、どうなんだろう」を、「だよなあ」に変えてあげる。視聴者の抱く小さなモヤモヤを解消しつつ、本当にプロならではの選択を解説する方が、対比も生まれていいんじゃね?と思う。
 「小さなモヤモヤ」と書いたが、これは言い換えると「視聴者が抱くフラストレーション」に他ならず、それが番組内で解消されなければ、別の場所で発散されることになってしまう。そのへんを完全にコントロールするのは無理としても、だからと言ってしらばっくれるのも良くない。Mリーグにおいては、これまでとは異なる視聴者層を取り込もうとしている真っ最中であろうから、同じく試行錯誤の真っ最中であってほしい。

 ま、あ、認めて見せることによって、「誰でもアガれる」がその対局を決してしまったケースが、初心者にも判る形で鮮明になってしまう副作用はあるかとは思う。
 とは言え、「運」に言及しようがしまいが、現象そのものとしては幾度となく発生しているので、もしそれが問題になり得るのであれば、目立つか目立たないかの違いでしかなく、「遅かれ早かれ」の話にしかならない。さらにもし仮にそれがまずいという声が上がるのなら、そりゃつまりルールなり器材なりレギュレーションなりを見直しましょうって話に繋がって、コンテンツの硬直を防ぐ意味でも良いんではないかと思う。

 色んな記事を見るにつけ、思ったよりも「運」に対する言及のバリエーションが少ないようなので、こういう考えもどないでしょ?てな具合で書いてみた。
 とは言え、単なる逆張り主張では無く、

もうちょっと「運」と言ってしまってもいいんじゃね?

と、いつもそう思いながらMリーグを観てる。



*1) 「教科書的な専門用語」はカバー出来ているものの、「麻雀界隈での慣例的と思しき言い回し」はスルーされている。「目いっぱい(に受ける)」なんてのは最たるもので、息をするように、それこそ最頻単語のレベルで使われてるけど、結構特殊で感覚的な言い回しだと思う。
 

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