さちの恩返し〜母校、岩小へ〜
【お願い】このお話は現状悲しすぎることに“何も“進んでいません。くれぐれも当該記事に載っている、岩原小学校、南足柄市をはじめとする機関に問合せ等はしないようにしてください。ただし、「もっとこうした方がいいんじゃない?」など私への情報提供は大歓迎です!
私の母校の小学校が、廃校になる。
その話を聞いたのは、確か2019年の夏の頃だった。それまでも少子化の影響か、都会に人が流れてしまっているからなのか、近隣市町村にある小学校は廃校になったり統廃合していたりしたが、まさか、我が母校が、というのが第一印象だ。
私の小学校は“ふつー“の小学校だった。私がいた頃から少しボロかった気はするけれど、春には桜が咲いて、夏にはプール、夏休みにはプールを解放していて帰りに100円のアイスを買った。近くに園芸屋さんがあって、50円の花を母に買って帰ったりもした。もちろん、母の日のカーネーションもここで買っていた。
私が、岩原小学校のある南足柄市と関わりを持つようになったのは、小学校入学直前だった。父の転勤により家族で越してきたのだった。それまで父は単身赴任をしていて、初めて父と一緒に過ごせると私たち家族はとても喜んでいた。しかも母の希望する川沿いの一軒家。希望に満ち溢れていたのだ。
もちろん、知らない土地ゆえ誰も知り合いはいなかったし親同士のコミュニティーもなかった。そのせいで小学校1年生の家庭面談までずっと遅刻していたのは今では笑い話だ。話しても越して来る前に住んでいた富山訛り全開であまり通じないし(笑)。
そんな私を“地域“の一員にしてくれたのは他でもない、岩原小学校だった。
これまでたった23年とちょっとしか生きていないけれど、思い返せば最も平和で、愛おしい6年間だった。
それを象徴する小学校が、廃校になる。
6年間平和な思い出をくれた岩原小学校に、何か恩返ししたい。
そう思っていても、なかなか踏み出せないで気がつけば2年近く経っていた。
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私が“地域“というものに興味を持ち出したのは大学3年の冬。周りは就活というものを始めていた。
大学内の部活動執行役員会に有力候補だった(勝手にそう思っていた)のにも関わらず選出されず、悔しい思いを引きずっていた。選出されるために、努力嫌いの私が努力をした。今までちゃんとやろうと思って努力したものは実ってきてしまっていた分、強い挫折の念を抱いた。選出されなかったことが遠因で当時親友であり想いびとだった人とも疎遠になった。
そういう背景があり私は全く就活なんかできる心境ではなかった。前述の通りめちゃくちゃ挫折していたし、後々聞いた不選出の理由は「我が強くて言い合いになった時揉めそう…」なんていう理由だった。正直、自暴自棄だった。
そんな時、声をかけてくれたのがM。彼女は地元で以前行われていたイベントを復活させようとしていたのだった。「具体的に何かはわからないけれど、何か熱中できるものをやりたい」と思っていた私には好都合。就活も当時本腰を入れるつもりもなく、その場で、軽いノリで参加すると答えたのだった。
彼女が復活させようとしていたのは「こどものまち」というイベント。わかりやすく、平たく言ってしまうと“市民版キッザニア“。ただし、大きく違うのはこども自身がお店を持ち、こども自身がその店やその街の秩序となるルールを決める点。例えばジュース屋さんなら、コップやジュースの仕入れの数までこども自身で決める。(実情は、現実味のないことをいう子がほとんどなので大人が添削をして“気づかせて“修正することが多いのだが。)
私はそのイベントの企画として参加することになった。運営メンバーはほとんどこどものまちを体験したり、大学での学習を通じて知っている人が多かった。まったくの無知は私とあと数人。なので準備期間はまるで真っ暗闇の中をマラソンしているような気持ちだった。これは来年はやれないなあ、とも思っていた。
その考えが変わるのが本番当日。こどもの参加者は100人を越え、当日ボランティアを含めると140人近くが一斉に介し、開催市の共催をもらうなど、大きなイベントとなった。(市長も見学にいらしたし、後日市長の御子息が参加していたことを知り運営メンバー全員で度肝を抜いた。)
その中で見た、こどもたちのキラキラ、イキイキとした目、その日のうちにインプット、アウトプットする柔軟な姿勢。一瞬でこどもたちが成長する姿に、当時その子達とは初対面なのに目頭が熱くなったし、私たちが準備したきたものってこのためにあったのか。“まち“を作るってこういうことなのか。とひどく感動したものだ。
そして、楽しみながら、気づかぬうちに自分の街・社会を知る仕組みは素晴らしいものだと、思ったのだった。
こうして自分の街を知るって、実はすごい大切なことなのでは?自分の居場所、アイデンティティの根幹にあるものだと思うようになった。
そしてまだ、私はその団体に所属し続けている。
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なかなか踏み出せないでいたのにはもう一つ理由がある。
私の経験値が少なすぎることだ。もし仮に「こどものまち」を恩返しとして開催するとしても、1回しか成功させていない。(2回目は新型コロナの影響で開催直前のところで中止、企画を変更してオンラインでの開催となった。)
もう少しだけメンバーとして経験を積みたいと思った。
ただこの状況は予想以上に長引いてしまった。ワクチン接種を全国民が終えれば事態は変わるかもしれないが、ワクチンはこどものまちメインの参加者層である12歳以下は受けられない⑴。
このまま時が来るのを待っていては、母校岩原小学校の廃校に間に合わないかもしれない、と思った。当初の予定では2026年。現在は、廃校については再考されているというが⑵、校舎の老朽化もあり耐用年数まであと2年である。校舎の取り壊しは免れず、予算難な南足柄市はそれに伴い廃校にするという選択を取りうる、と考えたのだ。あくまで、個人的な感想に過ぎないが。
学校というものも大切な児童期の思い出になるし、アイデンティティである。廃校や取り壊しが免れなくても、せめて何か良い思い出を後輩である岩小生にあげたいと思った。
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同時期に、南足柄市と小田原市の合併の話が浮上した⑶。実は私が高3の頃にはまことしやかに噂されていた、と記憶しているが当時は市民ミーティングまで開催されて、結構本気で統合しかけていた。市民投票の結果、否決され合併の話は流れたが、普段私のように地域に興味がある(と言っても普通の人よりである。私よりもっと地域に関心のある人間はたくさんいる。)人以外がこんなにも自分の街について考えた機会は他にないのではないか。
この機会を逃すわけにはいかないと思った。
まず私は退路を断つため、私の夢を叶えるため、団体のメンバーに打ち明けた。
「母校が廃校になるから、それまでに地元でこどものまちをやりたい」
メンバーたちは皆「やろう!」と言ってくれた。すごく心強い。
現在は都内在住のため、まずはFacebookで情報収集をした。地元の友人に拡散をお願いしたりもした。
悲しいことに情報はゼロ!
次にFacebook のコミュニティーから、地元で活動している団体に不躾ながらいきなり連絡を取ってみた。めちゃくちゃいい人で、南足柄で中心に活動していらっしゃる団体を紹介くださった。今度、イベントに参加させてください、、、!あわよくば私のイベントも手伝ってください。(笑)
ご紹介くださった団体さんにコンタクトを取って現状は終わり。何か良い方向にことが進みますように。
また進捗があれば編集します(2021/07/19)
参考文献:
⑴厚生労働省,「新型コロナワクチンQ&A,Q.子どもはワクチンを受けることができますか?」 [https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0044.html]
⑵南足柄市,「学校施設の今後のあり方」2021年3月21日[https://www.city.minamiashigara.kanagawa.jp/global-image/units/117055/1-20210318153618.pdf?fbclid=IwAR2Y6TLrtG4VBlEe0W-Cez2d1ZXiIyMfr15n7VHZ_6BQOZh1eJ8VJIN1PII]
⑶小田原市,「協議の終結について」2018年3月22日[https://www.city.odawara.kanagawa.jp/municipality/merger/p24522.html]
(卒論とかじゃないので参考文献の書き方は間違っていてもご容赦くださいね〜)