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ヤングケアラーについておもうこと


突然だが、わたしは元ヤングケアラーだ(と思う)。 

中学3年生の頃から、母が不倫で料理を作らず塾の前に妹弟たちの夕食を作っていた。

高校3年生の頃、母が鬱病に倒れた。家事がままらなくなり、わたしと妹を中心に家事をしていた。

前者はただの育児放棄だとしても、後者は現代の"ヤングケアラー"の定義に当てはまるのではないかと思っている。

当時わたしは、家事をすることを褒められるのに違和感を覚えていた。素直に受け取らずにいた。わたしは幸い周りに恵まれ、一通りの家事ができたからなんとかやってこれたがそうでなければだ一家は破綻していただろう。

これを美化され、褒められることに非常に違和を感じたのだった。

わたしが社会人になり、世の中でヤングケアラーという単語が聞かれるようになった。

ヤングケアラーという単語自体知らなかったが、その言葉を調べて報われた気持ちがしたのだ。

当時覚えてしまった心のざらつきは良いものなんだと、過去を肯定してくれる言葉のように思えた。

当時、父は単身赴任で海外、うつ病の母から遠方に住む両祖父母に連絡することを禁じられており、精神科でも本人の意思を尊重してくださいと連絡できず、誰も頼れる大人がいなかった。(今思えばこの困窮した状態を救ってほしいところだ。)

また、わたし自身も大学受験かつ、夏には1ヶ月のスウェーデン留学が確定しておりどうにもこうにも困窮していた。八方塞がりだった。

当時の苦しさはもう2度と消えない。私たちの苦労は母が鬱病だったことを知っても伺い知ってはくれない。

そう、親戚からも認めてはもらえないものだった。

あの時の自分に会えるなら、「もう、なんとかなるよ、楽に生きようよ、大人をたくさん頼ろうね、今頼れなかったからそのあと自分のSOSも言えなくなっちゃだてるんだよ。大丈夫、助けてくれる人はたくさんいるよ」というだろう。

過去は消えない、現在ヤングケアラーしている人たちは、コロナ禍も相まってさらに厳しい状況に追い込まれていることだろう。

大丈夫、あなたを見ていて、助けてくれる人は必ずいる。たくさんいるよ。あなたがあなたを救ってあげてね。



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