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ここから始まる新しい明日(あした)

澄んだ秋の空を見上げると、23年前の青く澄み渡った空に重なります。
初秋に入ると、あの衝撃的な事件の渦中で、命と向き合った一瞬一瞬が甦ります。
 
23年間、ドラマのような展開が待ち受けていましたが、今に至り、その一つ、一つが、かけがえのない人生の宝のように思えます。
 
どの艱難もかけがえのない体験でした。

私は人生を四つのphase(フェーズ)に分けています。
今は、人生最後の第四phase(フェーズ)=last chapter(ラストチャプター)に入り、そして再び、この日(2024年9月11日)此処から新しい明日(あした)が始まります。

『人生最後の章をどう描くか』、日本と米国に於いて三回にわたる劇的な外科手術により、再建した身をどう生かし、どう運ぶか、明日(あした)から訪れる朝は、今までとは違う朝と感じてきます。試練の連続にも、何故、溢れるように、『負けない』『諦めない』『立ち上がろう』と力が涌きあがって来たのか、それは…奇跡の力としか、今は思えません。
23年経って、改めて、当時の思いを綴ったエッセー記録を開きます。

もう一度、今の自分が客観的にあの時の自分と向き合おうと思うのです。

9月6日の夜、Remembrance 9/11 Tribute in light、崩壊したツインタワーを象徴する二本のビームライトが、点灯しました。

青い光は、真っすぐに高く、まるで月に届いているように見えます。
私はやっと今、言葉に表せない心の内を綴った何冊ものエッセーのドラフト、ブログに掲載した原稿を取り出して、心の軌跡を辿り始めました。
先ず、開いたページは、2008年の小さな出来事が綴られたエッセーでした。そのまま、自身の悲しい気持ちが伝わってきました。

『新しいphase(フェーズ)に入る今、辿る心の軌跡』、その一校をここに掲げます。

Open the page of my note, August 11. 2008


世界を駆け巡った私の旅を支えてくれた、沢山の靴が残されています。捨てがたいのです。一足ずつの靴に、どこを旅したかを思い出されるからです。
出会った人々や、感動した出来事や、楽しかった事、心を打つ出会い、地球上の片隅で衝撃的な現実を目の当たりにした事、等々、靴を見ていると、どこを旅したか思い出されてくるのです。このエッセーはその思いの一つです。

ー 灼熱の陽の下で、“さよなら老兵” ー


私は焼けつくような強烈な炎天下でもひたすら歩く。焼け付く陽射しを遮る建物の影をつたって、かすかな風が吹き渡るのを期待して、流汗を拭いながら黙々と歩く。
歩かなくては居ても立ってもいられないから歩く。8年目の9.11が巡ってくる、その一刻に落ち着かない思いで河沿いの道をひたすら歩く。
 
ハタハタと靴底の音に気がついて足を止めた。
滝の水音が涼しげに聞こえてくる小さな公園のベンチに、腰をおろして靴底を見る。踵の部分が剥離していた。

 この靴は9.11の当日、脱出の際に意図して底の厚目のものを、と選んで履いていった靴である。避難中もずっと、私の足を支え続けた靴である。
 
”今日その命が尽きた”、私はこの老兵たる靴をぬいで、最後の姿を写真に収めた。

捨てられずにいたのは同志だったから。あのとき階段を転げ落ちた時も、リバーサイドを、灰を蹴散らして走った時も、じっと耐えて支えてくれた。
 そしてこの8年間、私が土を踏みしめる度に、どんな思いを胸に閉まって歩いていたか判っていてくれていたから。

この老兵は、2001年8月にCole Hannで購入したものだ。新品だった靴は、9月6日から10日まで私とシカゴを旅した。そして翌日、9.11同時多発テロに遭遇。

私は脱いだ靴を、ベンチの脇の小さな岩盤の上に置いた。
8年目に命尽きた。辛かったろうに。誰も知らない心のうちをじっと耐えて老兵だけは支えてくれていた。
胸が一杯になった。笹竹の群生が川風に吹かれてサラサラと音を立てていた。一刻一刻、たとえ重い足取りであっても、ひたすら前に向かって歩いてと、私にささやいていた。
 
”さよなら老兵”、でもどうしてお前をゴミ箱に捨てられようか。
心の奥で涙が溢れた。

Akiko Endo
2009年8月11日(NY時間 8月10日午後6時半)


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